01−人はなぜ祈るのか
小さな一人部屋。――白ばかりで目が痛い、薬のにおいが染み付いた病室だった。
部屋の外は嫌になるくらい静かで、嫌になるくらい騒がしい。――不安という耳に響かぬ雑音が漂い、静まり返っているのだ。
死を隣人として怯える患者がいる。死を怯えの対象とさえできない患者もいる。――だが例外なく、どろりとした靄が人々を包んでいる。
不安ならば叫べばいいと思う。死が見えるのなら向き合えばいい。私はそうしている。そうしているから、心穏やかだ。
そして私は一日中考えている。死ぬ前に、やるべきことを。死ぬ前に果たさなければならない望みのことを。
思考を邪魔する見舞い客なんていない。
私の現状を知る人間には極力来るなと頼んだ。そしてそれを知る人間というのを数えるには、両手があれば充分足りる。
そのことを、担当医が心配する。いわく、
「ご家族は、忙しい人ばかりなんだね」
ものすごく気の毒そうに、言い難そうに言う。
私が断っているとは知らないから、当然といえば当然なのかもしれない。ある日、面倒だから正直に言った。
「病院って考え事には最適なの。黙っていても食事は出てくるし、痛くなったら看護師を呼べるし。――だから、見舞い客なんかに邪魔されたくないのよ」
担当医はそれを強がりととったらしい。以来、彼や看護師がやたらと気にかけてくれるようになった。なんとも皮肉で、なんとも鬱陶しい話だ。
私は一分一秒だって無駄に出来ない。
私は考えなければならないから。
死ぬまでに、答えにたどりつかなければならないから。
長い廊下の一角に、休憩用なのか長椅子がある。そこに座ると、広い窓越しに病院の中庭を見渡すことができた。
日当たりはいいのに、意外にも人は来ない。自動販売機さえ近くにないことが原因なのか、ここまで来る元気な患者がこの周囲の病室にいないことが原因なのかは、はっきりしないが。
私はここが好きだった。
人が来ないというのが、特にいい。
考え事に最適なのだ。
「あなたは、どうも理解しがたい人だね」
「・・・また来たの?」
私の思考を邪魔するのは、白衣の優男だった。
まだ三十をいくつか超えたほどの年齢と思しき、威厳の備わらない風貌で、私がよく知る人を髣髴とさせる。
とても会いたくて、けれど今最も会いたくない人を。
「休憩なんだ」
「あらそう。――それで、私の何が理解しがたいのかしら?」
「前向きなのとも、後ろ向きなのとも違う、病気に対する態度、かな」
「きっとあなたに言ったところであなたは理解しないし、私は理解されることを望まない」
「ほら、そういうところ。どう接すればいいのか、わからなくなる」
「悩む必要なんてないわ。構わなければいいのよ」
「気難しいお嬢さんだなぁ」
白衣の優男は苦笑した。
そして、私のほうに缶ジュースを差し出す。
「ぼくのおごり」
「気を使わないで。私は死に行く人間なのだから、見返りは期待できなくてよ」
「・・・・・・こんな言い方はしたくないけど、普通、死に行く人間には気を使うよ。見返りなんて期待せずにね」
「そうかしら」
「そうだよ。――ほら、見て」
白衣の優男が、視線を窓の外へと移した。
病院の中庭に植えられた、大きな木が見える。その下に近づく、親子らしき人の姿があった。
中学生くらいだろうか、女の子が木の枝を引き寄せ、なにかをくくりつける。
母親らしき人は、手を合わせ、頭をたれた。
「別れることは、淋しいものだと思うんだ。だからそれを遠ざけるのは、普通なんじゃないかな」
そうね、とうなずき返す。
彼はさらに言葉を続けた。
「ねぇ・・・なんのために、人は祈るんだろうね」
そんな言葉に、私は心の中だけで答えを返す。
己のためでしょう、って。