夕影鳥




「何になりたい?」
 慶藤はそう問い返した。
 すると至輝は視線をさまよわせた。昔から変わらない、言葉を捜す時の癖だ。
「おれは、・・・」
「少なくとも、至輝はおれの主には成り得ない。おまえの後ろを歩くつもりはないから」
「だったら何になるんだ」
「何だっていいだろ。無理に言葉捜さなくたって。しょうもないこと気にして落ち込むなよ」
 ほら、と手招きすると、至輝はまだ不満そうな顔だったが、立ち上がって慶藤の横に並んだ。
 並んでみると、中学入学時にはほぼ同じだった身長が、今では十センチ近く差が出ているのが良くわかる。くだらない感情だとは思うが、たかが身長でも差がつくと嫌な気分になる。――ささいなことでも、誰かよりも劣っていると感じる瞬間がたまらなく嫌いだ。
 だが宮野に仕えるべき家の生まれであることを、嫌だと思ったことはない。至輝に仕えようと思ったことがない、と言うのが正しい。
「授業抜けた説教はおまえ一人で受けろよ。おれ知らないからな」
「嫌だ」
「二度とついて来んな、邪魔だから」
「嫌だ」
 交わす言葉の、その端々から笑いがこぼれる。
 だが。
 ふと前を見た慶藤は、表情を堅くした。隣で至輝が「どうした?」と言い、次の瞬間、うっと唸って半歩下がる。
 丘を登ってきた者が一人。それも、見知った顔。
「徳美か」
「至輝様のお迎えにあがりました。――慶藤、あなたが謹慎程度で済むことを祈っています」
 徳美は高校の制服だ。――至輝を連れ戻すために、呼び出されたのだろう。
 わざわざ徳美を呼ばなくても、手の空いた間者はいくらでもいる。それなのに徳美を使う理由は、彼女が紘家の人間だから、ただそれだけ。
「場所がわかるってことは、・・・・・・――おかしいな。おれのは全部はずしたし、至輝のケータイは置いてきたし。――答え合わせ、いいか?」
「それは後ほど」
 徳美の答えは、にべもない。
「やっぱり至輝の持ち物にあるな?悪趣味だろ、高校生をそんなもんで見張るなんて」
「回答は控えさせていただきます」
 慶藤は肩で息をつく。
 固まった至輝の腕を、とんとんと叩いて気づかせる。
「帰りは車だそーです」
「おれは見張られてるのか?」
 われに返った至輝は、驚きの声をあげる。人生の大半を慶藤という見張りつきで育っているのだから、今更おどろくなと慶藤は思う。
「見張りと言うか、万が一の時のいろいろが沢山あるんです。大丈夫、少なくとも盗聴器は仕掛けられてませんでしたし」
 敬語を使うと、至輝は傷ついたような表情を見せる。
「はいはい、こんなトコで泣くのは止めてくださいね。迷惑です。さっさと車に行きますよ」
 至輝の背中を押す。
 徳美が慶藤の言葉遣いや態度に眉をひそめたが構わない。
 慶藤はそれ以上徳美を相手にしなかった。徳美もあきらめた様子で、一つ息をついて視線を前に移す。
 下った先の道が合流する地点に、見慣れた黒い車が止まっていた。その傍らに、運転手が立っている。
 運転手は三人の姿を認めると、軽く手を挙げた。
 徳美が軽く頭を下げた。
「お待たせいたしました、和真殿」
「いえいえ、こっちは待つだけだから楽なもんです」
 慶藤も至輝の影役だった当時、この男――瀧家の和真の運転する車で、宮野と学校の間を行き来していた。だが、影役を降りて以来、言葉を交わした記憶が無い。
 和真は慶藤を視界に入れず、至輝に会釈する。
「至輝様、お乗りください」
 車のドアを開けて、至輝を促す。至輝が乗ったのを確かめて、ドアを閉め、そこで初めて慶藤を見た。
「慶藤」
 和真は、つかつかと慶藤に歩み寄ってきた。慶藤は眉をひそめて、彼を見遣る。
「なんだよ」
 和真が手を振り上げたのは見えていた。
 次の瞬間に、顔の左側面に衝撃が走り、視界が大きく揺らいだ。
 気がつけば、アスファルトが目前にあった。
 痛みより眩暈のほうがきつかった。手で殴られた部分を押さえ、反対の手をついて半身を起こすが、視界がはっきりしない。
「慶藤!」
 車のドアが開いて、至輝が飛び出してきた。
「和真!おまえ・・・っ」
「至輝、やめろ」
 慶藤を庇うように立つ至輝を引きとめようと手を伸ばしたが、揺れる視界の中で掴み損ねた。
「フジ・・・、」
 振り返り手を貸そうとする至輝を、慶藤は断り、和真を見上げる。
「手加減出来ねーなら、殴んじゃねぇよ」
「こっちの台詞だ。手加減できないやつに殴らせるな」
 和真は腫れた右手を持て余しながら言い返してくる。
「若君連れまわしたことだけを怒ってるわけじゃない。――身に覚えがあるだろう?議会がおまえを呼んでるぞ」
「へぇ?前野の良家のことか?勝手に潰れていったんじゃねーか」
「それも含めて、だ。――どれだけ騒ぎの種をまけば気が済むんだ」
「和真!」
 至輝が再び声をあげた。
「なんでございましょう、若君」
「・・・・・・明日から来なくていい。二度と顔を見せるな」
 声の端が震えていたが、至輝が出すには充分迫力のある命令だった。
 慶藤はふらつきながら立ち上がり、至輝の腕を握った。
「やめろ」
「なんで!」
「おまえがそんなこと言う価値なんてないから」
「どういう・・・」
 至輝が泣きそうな顔でこちらを振り向いた時、和真が二人に歩み寄り、慶藤の胸倉を掴んで思いっきり突き飛ばした。
 慶藤は受け身さえ取れずに道路に倒れこんだ。
「フジ!」
「帰りましょう、若君」
 和真が無理やり至輝を車に押し込む。
 今まで黙っていた徳美が、慶藤の傍らに手を差し出しながらしゃがんだ。
「大丈夫ですか?」
「気分悪い」
 徳美の手を払う。
 徳美は一瞬顔をしかめたが、それを非難したりはしない。
「その状態で、一人で帰れますか?無理せず人を呼ぶことを勧めますが」
「ああ。――いろいろ振り回して悪かったな」
「いえ、わたしは構いません。――構うのは、議会の方でしょう。少しは大人しくしたらどうですか」
「無理だ」
「そうですか・・・。――では、気をつけて」
 徳美が離れて行き、車のドアの閉まる音がする。すぐに車は発進した。
 慶藤は眩暈をこらえて立ち上がる。
 口の中にじんわり血の味が広がっていた。
 唾と一緒に飲み込んで、一つ息を吐く。
 冷たい風が、頬に当たる。


 土曜日の春日道場には、門下生が二十人弱集まっていた。春日一族の頭領が教えている、春日一族以外の門下生――つまり一般人だ。
 至輝は道場の入り口で、中の様子を見ていた。
 頭領の孫だと言う春日利一の剣道の腕前は、至輝の目になかなかのものに見えた。時折、年下の門下生になにやら教えたりしている。
 汗を流す門下生をくまなく見たが、慶藤の姿は見当たらなかった。
 至輝はその場にため息を残して、道場を出る。
 道場の隣は、春日の屋敷。和風建築の、時代を感じさせる外観だ。
 屋敷の門をくぐると日本庭園が広がり、その先に玄関。
 呼び鈴を押そうとしたとき、ふと人の気配を感じて庭の奥を覗くと、慶藤が箒を持って掃除していた。
 近寄って行くと慶藤もこちらに気づき、会釈した。
「慶藤!」
「はいはい、なんでしょう?」
 答える慶藤の顔の左側は、腫れこそひいていたが、ところどころ痣が残っていた。
 端正な造りの顔に痣は非常に目立つが、その他は元気そうだ。
「痛く、ないのか」
「痛いですよ。軽い脳震盪起きる衝撃だったんですから、痛くないわけ無いじゃないですか。剣道も禁止ですし」
「禁止って・・・そんなに酷いのか?」
「いえ、脳震盪起こした後は、当分気をつけろって言われたんで。外傷は見たとおり、順調に治ってる最中です」
「じゃあなんで学校来ないんだ!」
「あー・・・」
 ここで初めて慶藤が言いよどみ、視線を逸らした。
「ほら、立ち話もなんですから部屋に入りません?」
「誤魔化すな!」
「いやいや、誤魔化してません。とにかく座りましょう」
 縁側に座り、ほら、と慶藤は手招きしてくる。
 至輝は疑心のまなざしを慶藤に向けながらも、彼の隣に座った。
 やはり慶藤は、話を逸らそうとした。それでも、至輝が睨み続けていると、とうとう折れた。
 慶藤は覚悟を決めるかのように一つ息を吐き出す。
「・・・この顔で、外に出たくないんですよね」
 どんな理由が出てくるのかと身構えていた至輝は、一瞬呆けた。
 この数日重ねた心配が、ぼろぼろと剥がれ落ちていく。
「んな女みたいな理由?!」
「男でもこの顔晒したいとは思いませんよ」
「おれのここ数日の心労をどうしてくれる!」
「こっちだって心労だらけですよ、顔変形するくらい腫れてたから、治らなかったらどーしよーとか。せっかくいい感じの顔に生んでもらったのに、それ崩すなんて親に申し訳立たないし。っていうかおれも嫌だし。鏡見るたびにため息もんですよ、ここ数日おれ半分鬱状態。整形の費用とかマジ調べましたよ。あ、あと、和真にどう仕返ししてやろーとかも考えてました」
 慶藤は淡々と並べていくが、言葉に冗談や嘘が感じられない。それに慶藤のこういう言動は、初めてではない。かつて男子校を嫌がった理由だって、――後から聞いたことだが――あの学校の校則に短髪にすることが明記されていたからだ。
 冗談ならまだ笑い飛ばせたが、本気なのだから、言い返す言葉が見つからない。
 至輝は一気に脱力した。
「心配して来てくださったんですか?大丈夫ですよ、もうちょっと痣が薄くなったら、化粧で隠して学校行きますから」
「おまえ、謹慎じゃなかったのか」
「謹慎中ですよ。学校以外、外出禁止。誰かと会うのも基本禁止。――至輝様は例外です」
「楽しそうだな」
「楽しくはないです」
「そうは見えない」
 じわじわと、苛立ちが沸いてきた。
 敬語を使われることにも、至輝の心配を軽く扱ったりすることにも。
 至輝はぐっと怒鳴りたい気持ちをこらえた。
「・・・慶藤」
「なんだ」
 返ってきた声は、先ほどまでのものと違って、親しみが感じられるものだった。
 至輝ははっと顔を上げ、慶藤の表情を確かめる。
 そして、ためらいを捨て、言う。
「跡継ぎ争いとか、関わるのやめろ」
 慶藤を取り巻く空気が冷たく真剣なものに変わった。
 慶藤はしばらく黙っていたが、やがて、静かに口を開いた。
「なぜ、と聞いておいた方がいいな」
「殴られたり謹慎になったり学校サボったり、・・・そんなこと、なんで自ら進んで引き受けるんだ」
「危険を冒してもやりたいから。――手っ取り早く結論言うなら、おれは絶対に止めない」
「なんで・・・、だよ!」
 至輝は思わず立ち上がった。
「おれは絶対に嫌だ!おまえがそんなふうに生きていくなんて!――ふざけるなっ、自分のことだろ?!おまえがそんなことする理由なんてない!」
「落ち着け」
「落ち着けるかっ!――殴られたのに謹慎にされて・・・!おかしいだろう?!」
 慶藤は、目をあわせようとしない。
 至輝は苛立って、慶藤の胸倉を掴み上げた。それでも慶藤の視線は逸れたままだ。
「言ったって、」
 吐き捨てるように、慶藤が口を開いたのはそのときだった。
「変わるわけがないんだ」
 慶藤の視線が、真っ直ぐ至輝を捕らえていた。
 至輝は続けようとした言葉を掴み損ねて、力の入りすぎた体の末端を振るわせた。
 慶藤は滅多と至輝に対して怒りを表さない。自分に対して感情をぶつけてくる慶藤は、正直言って苦手だし、怖いし、逃げたい。
 襟元を握る力も緩み、及び腰になってしまう。
「おまえの言うとおりだ。ここはおかしいとこなんだ。――それは少々おれが叫んだところで、変わらない」
 慶藤が、彼の襟元を握る至輝の手を乱暴に振り払う。
「いいや、違うな。――・・・どんなに言ったところで、変わんねぇよ。それが春日で、それが宮野だ」
「・・・・・・っ、」
「――おれが叫んで変えられるものなんて、ここにはない」
 震える声は、興奮のせいか、冬の風のせいか。
 睨み付けてくるような慶藤の真剣なまなざしが、幼い頃の記憶と重なる。
 由布にそれを背負わすのは間違ってる、と。由布の病室で、大人に向かって、慶藤は怒りをあらわにしたことがあった。あの時と同じだ。
 いつだってそうだった。
 言葉を探し出せない至輝の代わりに、慶藤が叫んできた。
「もう叫ぶのは止めた。――おれの手で、変えてやる」
 唐突に理解する。
 慶藤はまだ、至輝の影なのだと。







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