夕影鳥




 高校一年、初冬。
 予鈴を聞いて教室に入ろうとした至輝の横をすり抜けて、慶藤が教室から出て行った。
 ぎょっとしたのは、慶藤が通学鞄を持っていたからだ。
「フジ!」
 反射的に慶藤の腕を掴む。すると慶藤は迷惑そうに振り返った。
「急いでるから、話があんなら後でな」
「ちょっと待て!これから授業だろ」
「休む。先生には言ってあるから。――じゃ、おまえは真面目に受けてろよ」
「またかっ!平気でサボるな!っていうかどこへ行くんだ!」
「大声で言えないトコ」
「はあああ?」
「いーから放せってば」
「おれも行く」
「馬鹿言わない、そこ」
 冷めた態度であしらわれる。こういう態度をされると、腹立たしくて、余計に意地になるのが至輝だった。
 ぐっと声を潜めて。
「め、い、れ、いっ」
「・・・・・・ほんっと馬鹿もいい加減で終わらせてくれよな」
 慶藤は額に手をあてて、壁によりかかり、長いため息をついた。
 どんな態度をとられようと、こういえば慶藤は必ず折れてくれる。
 至輝は教室に入ると急いで荷物をまとめる。何事かと問いかけてくるクラスメートには「帰る」とだけ一言。
 しかし教室の外に慶藤の姿は無く、あわてて校舎の外に出てみれば、慶藤は門を出ようとしている。
「フジ!」
 呼びかけると、嫌そうな顔で振り返る。
「マジでいらっしゃるんですか〜?」
「敬語は使うな!」
「もう影役でもないし、学校の中でもないし、使わないと議会から半殺しにされちゃうんですー」
「そのやる気無い敬語のほうがよっぽど無礼だからな」
 校門を出ても、車が待っていない。至輝はそれに違和感を感じるが、慶藤は慣れた様子で歩いていく。
「どこ行くんだ?」
「言えません〜」
「その口の利き方どうにかしろっ!」
 慶藤は歩みを止めてため息をついた。
「な、なんだよっ」
「いえいえ、なんでもないです〜」
 至輝とは視線を合わせないまま、慶藤はおもむろにタイピンをはずした。太陽にかざしたり裏返したりしていたかと思うと、「やっぱりな」とつぶやいて、車道に投げる。
 車が通過して、タイピンを踏んでいく。
 至輝は呆然とした。
「あ、・・・おまえ・・・なにして?」
「ああ、あれ盗聴器ついてたから」
「は?なんで!」
「おれ議会に睨まれてるんだよ。ま、最近はちょっとやりすぎかも、と自分でも思ってんだけど。ああ、盗聴って言ってもある程度の至近距離からじゃないと盗聴できないから、今はたぶんされてない」
「あ、敬語・・・」
「さてと。――とりあえず、コートは前閉じて。途中で暑くても脱ぐなよ。それと鞄は置いていくから」
「え、なんで」
「この制服だと中学生と間違えられて補導されるから」
「それはおまえの身長のせいだろ。っというよりも、経験アリかっ」
「されかけたけど、されてない。深くつっこむな、おれの人生の汚点なんだから」
 二人が通う中高一貫の私立高校は、中高の制服にほとんど差異がない。男子制服の数少ない違いはタイピンと組証だ。
「身長とか関係なしに、近辺だったらこの制服は目立つんだよ」
 そう言いながら、慶藤はコートの前をきっちり閉じていく。
 補導云々を差し引いても、昼間から制服でふらふらしている人間が目立つであろうことは至輝にも容易に想像できた。
 次に、慶藤がおもむろに学校指定の鞄から取り出したのは、たたまれた紙袋。
「はいこれ、至輝の」
「なに、すればいいんだ?」
「これに鞄入れれば、学生ってバレずにすむから」
「ばれるだろ。鞄がなくても、おまえの顔と身長で」
「身長のことは言うな。――駅に寄って、コインロッカーに鞄入れるから、それまで我慢してろ」
 何の我慢だと聞き返そうとしたときにはっと気づく。――紙袋は、女性向けブランド店のハートをあしらったものだった。色はピンク。
 すでに前を行く慶藤を見れば、茶色の無難な紙袋を持っている。
「おまっ・・・」
「今から教室帰っても家帰ってもいいですからねー」
 いったん許可したように見せかけながら、来るなといわんばかりの仕打ちである。
 至輝はもう一度、恐る恐る紙袋を見つめた。
 一つ息を吐いて、覚悟を決める。


 駅で五駅先に行く切符を買った。
 滅多と電車を使わない至輝は、どこに行くかもわからないけれど、楽しくなってきた。
「切符、自分で買ったの、初めてかもしれない・・・」
「いい年してはしゃぐな、恥ずかしい」
 後ろから頭をはたかれて、はっと自分の表情が緩んでいたことに気づく。
 改札を抜けてホームに立つと、冷たい風が吹き付けてくる。地方都市では、本線と言う名がついても、電車の本数はそう多くない。
 やってきた電車に、乗り込んだ。客の姿はまばらだ。
 初めはものめずらしさにきょろきょろしていたが、やがてどこへ行くのか気になり始めた。
 隣の慶藤を見れば、イヤホンをはめて、なにやら真剣な顔をしている。
「なぁ、フジ」
「うるさい、聞こえないから静かにしてろ」
 ぶっきらぼうに手を払われる。
 慶藤は苛立った様子で、イヤホンをはめなおした。
 何を聞いているのか、教えてくれない。イヤホンのコードはケータイ電話からのびているが、会話をする様子が無い。
 当分の間、至輝は無視され続けていた。
 やがて四駅が過ぎた頃、ようやく慶藤はイヤホンをはずした。
「フジ」
 怒られないか、ちょっとびくびくしながら話しかける。
 しかし慶藤は、今度は至輝を邪険に扱わなかった。
「何?」
「それ、なに聞いてたんだ?」
「内容は言えない」
 難しい顔で一瞬悩んだ慶藤だったが、至輝の耳元に口を寄せて無声音で言う。
「盗聴」
「はっ?」
 至輝が聞き返そうとすると、慶藤は声を立てて笑った。
「そんな身構えるなよ。――おれは一族で情報網をまだもってないから、こうでもしないと自分の身を守れないんだよ」
「守れないって・・・」
「大人しくしてるならこんなもの必要ないさ。だけどおれは敵を作ってでもやりたいことがある。――ということで危ないから、以後ついて来んなよ」
 実に楽しそうに慶藤は語ったが、そこに誇張があるように聞こえなかった。
 至輝はたまらなくなって、慶藤の手から携帯電話を奪い取った。
 一拍置いて、慶藤が戸惑ったような表情を見せる。
「何してんだよ」
 至輝も、慶藤以上に戸惑った。
 この先どういう言葉を続けていいのか、どんな態度をとるべきなのか、見当もつかなかった。
「返せよ」
 至輝の手から、携帯電話がもぎとられた。
 何も言葉が出てこない。
 手が何かを掴もうとして、宙を握る。
 何を掴もうとしたのかよくわからなくて、自分に戸惑い、視線を彷徨わせた。
 電車が速度を緩め、やがて止まった。慶藤に促されて、どこかも良くわからない駅に降り立つ。
「しーきー。どうした、帰りたいなら連絡つけてやるぞ」
「いや、なんでもない」
 降り立った駅は、決して大きいとはいえなかった。
 改札を出ても、駅周辺に目立ったビルは無く、ファーストフード店や、コンビニなど、どこの駅近くにもありそうなものがちらほらと。多くは昔ながらの商店街の、シャッターの下りた姿だった。
 慶藤は慣れた様子でバスに乗り込む。
 こういうバスも、至輝は初めてで顔が緩んだ。すかさず慶藤が注意してくる。
「至輝に社会見学させるために来たんじゃねーぞ」
 やがてたどり着いたのは、田畑が風景の五割を占める、そんな場所。
 バス停には、中学校前とある。
「これ、同じ県内か?」
「田舎の程度はおなじだろ。宮野の家がある辺りは昔からの住宅地だから田畑は無いけど」
 ちょうどそのとき、チャイムが聞こえてきた。慶藤が「よかった、間に合った」と言う。何のことかわからないし、それほど興味もわかなかったので聞き流していた。
 フェンスの向こうに、運動場、さらにその向こうにそれなりの大きさの校舎。そのシンプルさと、年季に少しだけ驚く。――間近で公立中学を見たのも、初めてかもしれない。
 校舎から、生徒がわらわらと出てくる。二クラスあわせたくらいの人数だ。全員体操服姿。
「至輝はここで待ってろよ。顔見られないよーに」
「え、なんで!」
「後で言う」
 慶藤はフェンスに近づいていった。
 生徒の一団が、慶藤の姿を遠巻きに見ている。背後から見る至輝の目にも、慶藤の姿は不審者に写った。
 だがその時、生徒の一団から、警戒心の無い声があがった。
「フジ?何してんだ?」
 その瞬間、遠巻きに見ていた生徒たちの視線が、疑いから興味へと変化する。
 生徒の一団から抜け出して、フェンスに駆け寄ってきたのは一人の男子生徒だった。こちらの気が抜けそうなほど、無邪気で人の良さそうな顔つきである。
「ちょっとな。――学校は何時に終わる?」
「部活があるから、五時半」
「道場には行くのか?」
「いや、予定は無いけど。フジがいるなら行こうかな」
「おれも今日は行かない。――土曜は行くけど」
「おれも土曜に稽古入ってる。じゃ、また試合出来るじゃん」
「そうだな。――で、おまえはそろそろ授業だろ。悪かったな、邪魔して」
「別に邪魔になってないよ。――じゃ、土曜に」
「ああ」
 手を振って去っていく少年を、フジはしばらく見送っていたが、授業が始まったのを見ると、至輝のもとに戻ってきた。
「なんて顔してんだよ」
「べつに・・・」
「あれは、じじさまの孫だよ。次期頭領の候補に名前が挙がってる一人」
「春日の、頭領の?・・・でもおれはあんな顔知らないぞ」
「一族の人間じゃないから。――頭領の息子が一人、一族を抜けてるだろ。その息子」
 話を続けながら、慶藤は至輝を手招きし、学校の東側の小高い丘に通じる道を歩いていく。
「春日の人間じゃないのに、頭領になれるのか?」
「だからこそ、いいんじゃないか。――古めかしくて、融通の利かない連中が目を覚ますいい薬になる。それにおまえ、ニノ春日や桜井の人間と仲良くする自信なんてないだろ」
「やつらは嫌いだ」
「じゃ、あいつ・・・利一になってもらったほうが、おまえにとってもいいじゃん」
「おれはあれがどんな人間か知らない」
「そのうち引き合わせてやるよ。今はまだだめなんだ。利一は一族の存在知らないから」
「なんで?」
「利一が頭領候補の最後の一人に絞られたら、知らせる。――仕方ないだろ、一族の存在を、簡単に広めるわけにはいかないんだから」
 至輝はたくさんある質問を、一時頭の隅に追いやった。
 最終的に一つ、一番重要な質問に絞って。
「中三の時から、なのか」
「え?なにが?」
「おまえが授業をサボるようになったのって、中三になってからだろう。そのころから、あの頭領候補に会いに来てたのか?」
 至輝は真剣に尋ねたのに、慶藤はふっと笑い飛ばした。
「あいつに会いに来たわけじゃねーよ、――というか、なにおまえその顔」
「今日は、何しに・・・」
「あいつの周囲の監視だよ。他の候補を支持してる人間が、あいつの傍に間者を送り込んでる可能性があるから、定期的に見てるんだ。実際に、前いたし」
「なんで、」
「跡継ぎ争い、とでも。――一族でも家によって支持する候補が違うし、支持する対象を決めてない家もある。たくさん家があると、対立する候補を蹴落とそうとして、邪魔してくることも珍しくないんだよ」
「さっきのやつ、十家が支持してるんじゃないのか?それなら、おまえが動かなくたって、使える間者はいるだろう」
「あいつを頭領候補として推薦したのはおれなんだよ。つまり後見。――実はじじさまの後ろ盾があるけど」
「じゃ、十家は・・・」
「親父はまだ態度決めてない。おれが動くのに名義とかは貸してくれるけど、助けらしいことは一切ないな。――まだほとんどの家が、態度を決めてないんだ。利一を支持してるのは、家としては三家だけだし、どの家の支持を得てない候補もいる。まだまだ決まらないさ。――そうだな、五年くらいのうちに決まれば、いいとこだろ」
 話しているうちに、丘の上まで来ていた。
 丘の上は、簡単な公園になっている。まばらに木が植えてあり、古い遊具が揺れている。手入れが行き届いていない感があふれていた。利用者も少ないのだろう。
 学校の方を見ると、運動場に散らばった生徒の姿が小さく見えた。
 慶藤はぼろぼろの小さなベンチを運んでくると、学校の方角に向けて置く。そこに座ると、今度は鞄から双眼鏡を取り出した。
「完璧に不審者じゃないのか?」
「覗いて楽しければ、その言葉も甘んじて受け入れるところだけど」
 慶藤はしばらく同じ体勢でいたが、やがて双眼鏡をしまって、ベンチの背もたれに体重を預けた。
 一つ、長いため息。<
 至輝は慶藤のそんな様子を、眺めていた。
 同じ年齢とは思えないほど、その横顔は大人びている。もとの造作がよいものだから、雑誌に載っていそうなほど綺麗な画になる。
 そしてふとわきあがる疑問。
「慶藤」
 慶藤が、こちらを見ずに返事をする。
「なんだよ」
「おまえが、あっさり影役降りたのは、これのためなのか」
「はあ?」
 慶藤が呆れた顔でこちらを見た。
「おまえさっきから様子おかしかったけど、そういうこと考えてたのか?」
「だって、影役を降り立って、――おれが呼んだ時くらい来ればいいのに、ぜんぜん来ないし」
「じじさまに利一紹介されたのは、影役降りた後だよ。中二の終わりごろ。動き出したのは中三になってから。――宮野に行かないのは、確かにこっちが忙しいこともあるけど、影役を降りた以上あんまり宮野に出入りするわけには行かないからで・・・」
「なんでおまえが、あんなやつの後見をしなきゃならないんだ」
 至輝がそう言った瞬間、呆れた表情を浮かべていた慶藤が、ふっと堅い表情になる。
「強制されてなんかない。おれがやりたいから、やってるんだ」
「でもフジ、」
「至輝!」
 低く迫力ある声で呼ばれて、至輝は押し黙る。
「おれたちは、おんなじトコでおんなじように育ったし、おれにはおまえを守る役目もあったけど、おまえの所有物には、今まで一度たりともなってない。おれは春日の人間だけど正式な間者じゃないからおまえの命令を聞く義務だって無い。――おまえにとっての、おれって存在はなんだ?便利な間者の一人か?所有物か?――勘違いもいい加減にしろ」
 慶藤は決して声を荒げることしない。けれど声に怒気が篭っている。
 昔から慶藤に怒られると、至輝は必ず言葉に窮する。怖いというよりも、慶藤の前から逃げ出したくなる。
 謝る事も反論することも出来ずに、至輝は俯いた。
 寒い風が吹き抜けていく。運動場から、掛け声が聞こえてくる。
 隣の慶藤が立ち上がった。至輝の肩に軽く手をかけて、後ろの方へ去っていく。
 しかし、しばらくすると、くすくすと肩を震わせる気配がしてきた。
 はっと振り返ると、慶藤が体を九の字にして笑っているのが目に映る。至輝と目が合うと、今度こそ我慢せずに大笑いし始める。
「おっ・・・」
 さっきとは別の理由で言葉を失う至輝。
 慶藤は目の端に涙を浮かべている。
「もういいから。――おまえはそれでいい」
「おまえっ、だって、」
「いいから」
 いつもそうだった。
 慶藤は怒っても、すぐに笑って、事を終わらせてしまう。
 小さくて細くて頼りなさそうな背中なのに、いつも至輝は追いかける側で。
 昔から慶藤は至輝の前に立っている。
「おれは、」
 頭の中でたくさんの言葉が渦を巻いていて、選び取れない。
「おれは、おまえの、何になれる?」
 慶藤が振り向いて、そして笑う。







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