02−




 天幕の周囲は相変わらずざわめいていた。
 人々の警戒あらわなその場所の正面で、たった一人で荒野を渡っていた旅人が立ち止まる。
 埃避けの布を取り去り、はっきりと顔をさらした。
「失礼つかまつる。私は旅の者だが、水と食料を分けていただけまいか」
 返るのは、ざわめきばかりだ。誰一人として、彼に向き合い話そうとしない。遠巻きに見て、ささやきあう。
「旅人?まさか」
「ウマじゃないぞ、キバにも見えん」
「隊長は・・・」
 そんな中から、一人女が進み出た。
 〈ウマ〉らしい、がっしりとした骨格に、しなやかな筋肉の、均整の取れた体つきである。
 女は相手を恐れる様子もなく、にこりと笑った。
「――やあ。あたしが話を聞くよ」
 ――目の奥は笑っておらず、得体の知れない相手を一片の漏れもなく探ろうとしていた。
「うちはイグナシオの第二隊商。見ての通りウマがほとんど。天使の街に商売しにいく途中にある。あんた、種族がよくわからんね。言ってみな。それと目的地と、食料の代価に差し出せるものも聞かせてもらおうか」
 彼は一拍おいて答える。
「私はフクロウとウマの混血だ」
「ほう、混血。よく五体満足で生まれてきたな。それで?」
 その言葉に嫌味の片鱗はない。ただ感心していた。
「あなたがたと同じく、天使の街に向かっている。差し出せるものは、薬と知識」
 そのとき、隊商の人々の表情が一瞬にして変わった。
「薬・・・?医術に心得が?」
「多少ならば」
 女の決断は早かった。
「来てくれ、病人が居るんだ」



「では、この荒野での出会いに祝して!」
 杯が高くかかげられ、打ち鳴らされる。もっとも、夜光の杯とはいかない。長旅にも耐える、木製の無骨なものだった。
 酒樽一つを開ける大盤振る舞いに、皆浮かれていた。
「いいんすかー?売りもんでしょ、この酒」
「隊長、絶対怒りますよ」
「こんなところで寝込む馬鹿に、怒る権利があるわけないだろ」
「そりゃそうだ」
「まったく、迷惑な話だ」
 文句を言うが、口調に非難めいた色はない。杯を満たした酒に加えて、鍋いっぱいに作られた煮込み料理も、自然と人々の笑みを引き出す。
「ほら、先生!飲んでるかい?」
「あの、私は医者ではなくて・・・」
「ほら、遠慮せずに、飲んで食べて」
「――ありがとう、いただきます」
 迫力に少々圧されながら、彼はうなずいた。
 隊長の代理を務める女――彼女は隊長の妻でもある――が、彼の隣に座った。
「やれやれ、久しぶりに安心して食べられるよ。あんたのおかげだ」
 皿には料理が山盛りになっている。
「私こそ、暖かい食事は久しぶりです。ありがたい」
「運がよかったな。ちょうど知識と薬を売れる客がいて」
「ええ、幸運だった、・・・と言っては怒られそうだ。あなた方の好意に感謝します」
「そうかい。まあ、幸運ってのはこっちのほうだな。隊長のことは心配だが、いつまでもこんな荒野にとどまっているわけにもいかんからね。どうしようかと悩んでいたんだ」
「天使の街へ商売に行かれるんでしたね。イグナシオからここまで、随分と遠いのに。こどものいる大所帯では大変でしょう」
「そうだねぇ、といってもうちらはウマだから。生まれつき、移動は苦にならんよ。あたしも物心ついたころにはこうやって隊商と一緒に移動してたけど、悪いもんじゃない」
「なるほど」
「あんたはどうなんだ。一人旅なんて、普通危なくてできないだろ。どこの出身だい?」
「生まれは南の平原ですが、今はパゴダの学問所に属する身です」
 学士の説明に、女はあごに手をやって「ふむ」と唸る。
「パゴダ・・・といえば、イデア派の学術集団だったね。西国を支える、というよりも西国を実質支配している・・・だったかな」
「よくご存知で」
 学士は苦笑で応じた。
 城壁都市より東では、西国のやり方が好かれていない。そのやり方を主導しているものこそ、パゴダ学問所である。
「西国との商売を広げたくて、何度か足を運んだからね。結局無駄になったが」
「すみません、〈楽園〉の思想が入って来ないよう、東から来る者には警戒しているんです」
「らしいね。気持ちはわからんでもないさ」
 女は数度うなずいてから、椀に残っていた汁を飲み干した。そして学士に、新たな酒を勧める。
「それで、あんたはなぜこんな遠くまで旅なんぞ?しかも、天使の街は〈楽園〉の真下だ」
「学問所の卒業課題のためです」
「はあ・・・卒業のために旅をさせるのかい?お嫌いな、楽園回帰主義が蔓延している只中に?」
「皆が皆旅をするわけではありません。学問の師が、一人ひとりにふさわしい課題を与えるのです。〈楽園〉のことは、・・・政治的には、排除したいようです」
 最後には苦笑が洩れた。
 パゴダに属する者は、すべて学問の徒であるとされる。しかし実際には、西国の政治に口出すことに忙しく、学問はおざなりの者も少なくなかった。
 その辺りを、彼女は察しているようだった。皮肉を少しばかり含めて、笑い飛ばす。
「ははっ、なるほど。で、あんたの課題は?」
「――真理の探究です」
「しんり?」
「ええ。恥ずかしながら、手がかりすらつかめず・・・以前立ち寄った砂の城壁都市で、この世のすべてを書き記した〈完全なる書物〉というものが存在すると聞き、今はそれを探しています」
「完全なる書物、ねぇ・・・」
 女の口調には、少々呆れが混ざっていた。しかし学士は問いかける。
「お聞き覚えはありませんか」
「ないね。うちらは本なんて基本扱わないし」
「そうですか・・・」
「で、その本は天使の街にあるって?」
「いえ、・・・あまりにも、情報がないもので・・・でも天使ならば何か知っているかもしれない、と思いまして」
 歯切れ悪くなる学士に、女は呆れながら笑った。
「・・・なあるほど、学問なんざするもんじゃないね」
「まったくです」
 二人の間で会話は途切れたが、周囲はまだ浮かれた空気が漂い賑やかだった。
 そこへ、一際華やかにこどものたちの声が響きわたった。
 すぐにこどもたちが姿を現す。混み合う食事の場を縫うように、学士と女が座る場所へと駆けて来る。
「待てよ!」
「よし俺の勝ちーっ」
 少年たちが学士のもとへたどり着いた。ここまでどちらが早くたどり着くか、競っていたらしい。
「まってー・・・」
 少女たちが遅れて到着する。
 興奮したこどもたちに対して、女はすぐさま怒鳴りつけた。
「こら!火の傍で走るなっていつも言ってんだろ!」
 だがこどもたちは聞いていない。
「ねえねえねえ!砂漠越えてきたんでしょ!砂漠狼に遭った?!」
「すっげーでかいんだよな!」
「聞いてんのかこの悪がきども!」
 賑やかなことこの上ない。怒られてもちっとも堪えていないこどもたちは、きらきらした両の目で学士を見つめている。その様子に、学士は微笑んだ。
「狼には遭ってないな。遭っていたら、今頃やつらの腹の中だ」
「なあんだぁ・・・」
「なあんだじゃないよ、まったく!」
 先頭をやってきた少年が、首根っこを掴まれて怒られている。そんな光景を微笑ましく思っていた学士に、遅れてやって来たこどもが声をかけた。
「ねえ、――あなたは誰を探しているの?」
「ん?・・・・・・いや、人探しは・・・」
 周囲のこどもとは少し雰囲気の違う少女だった。線が細く、両手両足がいびつな形をしている。
「あー、ニキ、また変なこと言ってるー」
「だって、探しているから旅するんでしょう?」
「探し・・・・・・・?」
 聞きなおそうとした学士の声を遮り、こどもたちが声を上げた。
「ばーか、そんなこというのニキだけだよっ」
「えー、でもねー・・・」
「ばーか」
「ニキはちょっと黙ってろよ」
 少年たちはその少女を邪険に扱う。その様子に少しばかり驚いたが、学士は表情に出さなかった。
「もー、うるさい!迷惑だ!あんたらあっち行きな。そろそろ寝る時間だろ」
 女が怒鳴り、こどもの母親と思しき者たちも立ち上がりこどもの名を呼ぶ。
 こどもたちはいっせいに不満を口にした。
「えー!」
「やだーっ!」
「えー、じゃないっ。ほら、行く!」
 鋭くにらみつける女に、こどもたちはひるんだ。その隙に、母親たちがこどもを捕まえる。
「ちぇーっ」
「自分で歩くってば!」
 火の周囲は間もなく静かになった。
 若者たちが片づけを始めるが、女は学士に留まってくつろげばいいと言う。
「・・・あの子は、少し感じが違いますね。ウマには見えませんが・・・混血かなにかですか?」
「ああ、ニキ?あれでも一応〈トリ〉なんだよ」
「トリ?しかし翼が・・・」
「奇形でね、翼がうまいこと育たなくて、飛べないのさ。ほとんどのトリがそうだけど、あんまり賢くないしね。かわいそうな子なんだが、まあ本人が全然気にしてなくって。なにすんのも一生懸命だから隊長が気に入ってるんだ」
「なるほど・・・」
 こどもたちが去っていった方を見つめながら、つぶやいた。
 少し離れた場所から、こどもとは別の元気な声が聞こえてきた。
「おーい、お客さんの寝床、ととのったよー」
 女が応えて立ち上がる。
「ああ、ありがと。――砂漠越えなんてして疲れてるだろ。大していい寝床じゃあないけど、そいつに案内してもらって」
 紹介された若い男が、歯を見せて笑っている。その背後にも何人か、同じ年頃の男たちがいた。彼らは皆見習い若衆である。ここで商売を学んで、いつかは彼ら自身が隊商を率いるのだ。
「俺らの天幕で正解だよ。他じゃあガキどもがうるさくてかなわねーもん」
「男だらけでせまっくるしいけどな」
「それ言ったらおしまいだ」
 若者たちは夜の静寂にはばかることなく笑い声を上げる。
「悪いね、天幕は基本、家族ごとなんだよ」
「こちらこそ、狭いところに邪魔してすまない」
 学士は少しばかり懐かしさを覚えた。
「気にすんなって!――こっちこっち。ゆっくり休んじゃってよ」
「かたじけない。だが、・・・寝床の感触は後ほど。寝る前に少しばかり、星を観ますので」
 そう告げると、予想通りの反応が返ってきた。






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