No.003_02
花びらが舞い落ちる、その中を行き交う舟。
水音。歓声。翼の先が桃色の鳥が、近くの看板に降り立った。――家畜以外の動物がいるのは、大都市の証拠。それほどに大気と水の浄化が進んでいるということ。
もとは外から連れてきて放したもの。すでに飼われている様子はなく、街の風景にすっかり溶け込んでいる。
そんな風景の下で、老獪なもと外交官、マルタミラがにやりと笑う。
ササキは遠くへと目を逸らしたい気持ちに襲われたが、ここは船上、建物と建物の間を縫うように通る人気のない水路だ。建物の壁が視界をふさぐ。
「ありがと。助かるわ」
「いやいや、ルードさんの頼みとあっちゃあね。――しかし、大丈夫なのか。政府があんたの正体に気づいたなら、もうここにはいられないだろ」
「最悪クロスアウダに帰ることになるかしらね。ま、上手くやるから心配しないで」
ルードというのは、マルタミラのこと。ルード・マルタミラ。
現在、人気のない水路で悪巧みの真っ最中である。
昨夜、ヨチが宿の外の不穏な気配に気づいた。武装をした人々、――と言っても、木刀、木剣だが――が、宿の様子を伺っていたのだ。
宿にいたのは、ササキ、ヨチ、ミヤモトと、そして宿の主マルタミラ。
「あらま、俺たちのことバレてるのねん」
ヨチが軽い口調で言う。
どんな状況であっても切り抜ける自信があるのだ。その楽観はどこからくるのか不思議である。
同じ情報局の人間でも、すべてがヨチのようにはいかない。マルタミラはそわそわしている。
「どうする?マナたち、外に出てるわよ」
「置いていきましょう、マナがいるならば、逃げられるでしょうから」
心配するマルタミラに対し、ミヤモトは冷静である。
「置いていくって、逃げるつもり?どこへ?」
「どこ、と聞かれても、安全な場所へ、としか。――私はアキハルに雇われている身なので彼と合流したいところですが、あなたがたはそうはいかないでしょう?結論が出ていない今、政府と関わり合いたくないはずだ」
「関わり合いたくないのは確かだ。俺は、ここは逃げるべきだと」
ササキも意見すると、ヨチがうなずいた。主にヨチとササキの話し合いが必要なのだ。マルタミラはあまり関係がない。
「ミヤ。おまえは無関係だ。別行動でもいいぞ」
「いや・・・慣れない都市で、わけありの人間を探せば致命傷を負いかねない。マルタミラを頼りたいな」
これは半分嘘、半分本音といったところだろう。あちこちの都市を訪ねたことのあるミヤモトが「致命傷」になるようなことを簡単にするわけがない。
マナならば〈共有〉の力を使ってほぼ確実に逃げることができるので、一緒にいるアキハルは安全だ。万が一つかまっても、やはりマナがどうにかする。
一方、情報局の面々はマルタミラの伝を使っても確実ではないだろう。ヨチとマルタミラは、運送屋とはいうが実際はその職を離れて久しい。政府が送り込んできた武装をした人々は、間違いなく現役の同業者。遅れをとることもありうる。――だからミヤモトは暗に、いざと言うときのための護衛になろうと言っているのだ。
「無理するな、別行動しておけ」
「私はマルタミラを頼りたいんだ。無理なんてしてない」
「ミヤ」
「時間がない、説教は後で聞く。――マルタミラ、逃げ道くらい用意してあるでしょう?」
「あるわ。行きましょう」
話が決まれば後は早い。
宿から直接つながる地下道へと逃げ、マルタミラの知り合いのもとで一夜を明かして今に至る。
現在、ヨチとミヤモトは別行動中。というよりも、彼らは留守番だ。大人数では動けない。
マルタミラがササキを護衛代わりにして訪ねた先は、エウノミア市の大きな水路の一つである。そこで働いていた知り合いらしき船頭を捕まえて、今現在の密談の場へとやってきた。ほかに船の姿もない水の上であれば、盗み聞きされる心配もない。周囲には気を配っているが、それほど張り詰めなくて済むあたり有難い。数日間歩き続けて疲れがたまっているし、さらには昨日の件で寝不足なのだ。いくら自分で平気だと思っていても、粗が出ないとは限らない。
「じゃ、帰りましょうか。残してきた二人が心配だわ」
「お連れがまだいるんかい。大変だな」
ゆるやかに舟が動き出す。ヴェニス種の街は総じて時間が緩やかな印象を受けるが、おそらくはこのゆるやかな交通手段に起因している。よい文化だとは思うが、しかしこういう状況では苛立ってしまう。
「あたしよりもみんな逃げるのうまいから、大変なことはないわよ。心配は心配だけどね。――ねえ、ノア」
「そうだな・・・俺はイリアが一番心配だ」
ヨチへの心配は、たとえ懸念材料があってもしてやろうとは思わない。ミヤモトへの心配は体のことのみ。マナへの心配も、まあいらない。そしてアキハルのことはマナが守るはずだ。
となると問題はイリアである。あのちょっと頼りない後輩は、クロスアウダ市民らしい平和ボケをしている。マナは守る義理がないといってそれほど手を貸さない可能性もある。マナは時に驚くほど冷めている。
「あのわんちゃん?案外平気じゃない?」
「実力は、あると思うが・・・・・・」
その実力がちゃんと発揮できるかどうかは別問題である。
「いやだわねぇ、ミヤのこと心配してるのかと思いきや、後輩の心配?」
「ミヤに対して心配は無用だ。体調は別にして」
「破壊の女神に対してはそうでしょうけども。――ノアわかってる?あんた今、からかわれたのよ?あたしはあんたが心配になってきたわ」
「わかっている。くだらないから無視したんだ」
「まっ、かわいくなくなったわね」
「エリシアは未だにかわいいと言ってくれるが?」
「それこそからかわれてるわよ」
「知っているから放っておいてるんだ」
ササキは苛立ちをごまかそうとこめかみを押さえた。
エリシアは情報局を取り仕切っているうちの一人である。逆らえようはずもない。
船頭が舟を進ませながら声を立てて笑う。
「おもしろいところなんだな、クロスアウダってのは」
「おもしろいところよ。いつか、来るといいわ」
「ははっ・・・運送屋は簡単に言うがね、一般市民はそうはいかないのさ」
船頭はどこか寂しげに言う。
――この船頭は、旧マーマー市民だという。都市の外へ出ることなく一生を終えることが普通であるこの時代にあって、白き大地を渡った経験があるのだ。
白き大地の苛酷な環境と、難民であった頃の苦労が思い出されるのかもしれない。
「俺は・・・エウノミアに来てよかったと思ってる。ここはマーマーに負けないくらい綺麗なところだよ。死ぬまでここで暮らしたい。クロスアウダはいいところなんだろうが、しかし、行きたいとは思わんよ」
「ええ、・・・エウノミアは綺麗だもの。そう思っても、おかしくないわ」
「だから、ずっと続いてほしい。二度故郷を失うのは嫌なんだ。頼むよ」
「わかってるわ」
見方を変えれば、クロスアウダ情報局がやっていることはエウノミアへの過剰な内政干渉だ。だというのに、それを望むエウノミア市民がいる。
内部崩壊。
樹とヒトの共生が始まって約五百年が経ち、そのシステムは狂い始めているのかもしれない。
ササキはそんなことを考えながら花びらの舞う空を仰ぐ。