No.002_39









 マナが目を覚まし容態が落ち着いた頃、マナのもとを訪れる人の姿があった。
 名を、リッセ・マーマーと言う。
 ベッドに半身を起こしたマナの傍らに椅子を置いて座り、まっすぐにマナを見つめてきた。語弊がありそうだが、表情に乏しい。努めてなのか、生まれ持った性質なのかはわからない。
 リッセと共にマナをおとなった青年を、クオン・ラと言った。彼はなにからなにまでやわらかい印象だ。柔和な表情を浮かべ、リッセの後ろに控えている。その隣りに、生真面目な顔をしたアキハル。さらに後ろ、出入り口を守るように、ミヤモトが立つ。
「このたびは、我らマーマーの民と、エウノミア政府の問題に巻き込んでしまったことを、お詫び申し上げます」
 リッセの声は固い。真面目そうな印象を受ける。ただ、アキハルのような堅苦しさがない。何の差だろうかと不思議に思う。
「事の顛末は、私からお話すべきだと思い、この場を設けていただきました」
「先に言うけど、あまり気にしないでほしいんだ。私の体は、そんなにダメージを受けたわけじゃない。こういうものなんだ」
 向こう側でミヤモトが眉根を寄せるのが見えたが、無視する。
「すぐ治るしね。というか、あと数時間もすれば動ける。だから、ね」
 念押しするように首をかしげて言うと、リッセはふっと笑った。驚くほどやわらかくなるが、一瞬で消えてしまう。
「――エウノミア政府からの妨害は、おそらくマーマーの遺児たちが届いた瞬間から始まっていました」
「・・・・・・」
「〈揺り籠〉にあった遺児たちを、枯らそうという動きがあったようです。遺児がただ一つしか残らなかったのは、もしかすると彼らの妨害のせいかもしれません。が、今となっては証拠がありません」
 顔がこわばる。
 〈マーマー〉の遺児たち。
 それらをここまで送届けたのは、他でもない、マナだ。
 同じ種で、マーマーからも近く、そして旧マーマー市民たちがもっとも多く移り住んだ都市だから。そんな理由で、エウノミアを選んだ。選ぶにあたって判断したのは旧マーマー市民やクロスアウダ情報局の面々だが―――
 リッセが眉尻を下げた。悲しそうなのに、微笑もうとしている。
「白都、というそうですね」
「・・・うん」
「アキハルは、あなたからその名を聞いたと。――ずっと、知りたかった名です。教えてくださったこと、心より、感謝します」
「私は・・・・・・」
 泣きたいほどに、胸が痛い。
「他の、兄弟の名も、知りたかった」
「私もです」
「みんなの名を、知りたかった」
「ええ」
 樹は、生まれたときに名を持たない。
 ずっと後に、その性質を見極められ、もしくは将来への期待を込めて、ふさわしい名が与えられる。
「一族のマナ。私たちマーマーの民は、もう一つあなたにお礼を申し上げねばなりません。――白都が、遠くない未来に、二つ目の名を得る機会を守ってくださった」
「・・・それは、私だけじゃない」
「ええ」
「アキハルもそうだし、あなたたち旧マーマー市民たちも動いた。心あるエウノミアの民も。私や、クロスアウダに属する人間は、それに手を貸しただけだ」
 リッセは黙って頭を下げた。
「話を続けましょう。――次の政府からの妨害は、おそらく開拓団教育です。これはクロスアウダからもたらされた情報ですから、あなたのほうがよくよくご存知でしょう。私たちが知るのは、その次――開拓団編成の折です」
 リッセの背後に立つ青年二人が表情を固くした。
「残ってもおかしくない者たちが多く、不合格となっています。この時点で、選ばれた団員は八人です。あまりにも、少ない。基準に著しく達していない者ならばともかく、少しくらい瑕があっても目を瞑ってもう一組、二組ほど入れようと言うのが、普通ではないでしょうか。――私とクオンが落とされただけならば、私もこれほどに疑いはしなかった。私に何かが足りなかったのだとあきらめたはずです」
 そういえば、アキハルたち団員は、頻繁にリッセの名を挙げた。
 本来ならば、リーダーとなったはずの人材だと。
 そしてアキハルはエウノミアへ帰還してから、リッセを頼った。
「もう一つ、このときにおそらく、――おそらくですが、政府が為したこと。それが、ヴィルジニを入れたことです」
「・・・やっぱり」
「ご存知のようですね。――ヴィルジニは、ずっと不安を口にしていました。この体で、受かるはずが無い。自分の落選は、アキハルの落選でもある。都市国家運営学をトップで修了したアキハルは開拓団に入るべき人材なのに、自分の存在がそれを危うくする。離れるべきか、否か、本当に、悩んでいました」
 アキハルが眉間に皺を寄せて、何か物言いたそうにしている。が、話を進めたいので無視する。
「私も、彼女が受かるとは思っていなかった。ただ、アキハルが修めた学問は都市の運営にもっとも重要なものの一つですから、そちらを優先したのだろうと思うことも出来ました」
 もしまともな政府ならば、事前にアキハルにパートナーを変えることを勧めるはずだ。しかし、以前聞いたとき、アキハルは「そんなことなかった」と言っていた。
「私が政府の妨害をひそやかに確信したのは、アキハルたちが旅立つ直前です。最終選考でも残っていたイーニィが、体調を崩しました。今まで風邪一つ引かなかったという青年が、偶然にも。幸いすぐに良くなりましたが、彼とそのパートナーは開拓団から除名されました」
「・・・ねぇ、それ、・・・イーニィの体調不良は偶然?」
「証拠はありません」
「へぇ」
 怪しいところはあるのだろう。上手く動けばこれも追及できるかも知れない。
「こう言っては何ですが、私は、開拓団の選考で落ちるとは思ってもみませんでした」
「・・・それは、みんな言ってたよ」
「そうですね、周りもそういっていましたし、健康面でも成績面でも人間関係でも問題ありませんでしたから、落ちる理由が無いんです。そんな状況下にあってさえ、選ばれなかったという悔しさもありました。――だから私は、ひそやかに、けれど必死に調べたんです」
 リッセが微笑む。どこかいたずらっ子のような雰囲気で。
「意外にも簡単に、見つかりました」
 彼女が取り出したのは、封筒だ。受け取ってみる。封蝋の印は破られており、中には数枚に渡る手紙。斜め読みをしたが、内容は充分にわかった。
 何が何でも、第六開拓団を成功させてはならない。あの生き残った遺児は確実に枯らさなければならない。そのために、遠き地を指定したのだから。護衛にも言い含めよう。それから、リッセ・マーマーは確実に、落選させよ。あの女ならば、番狂わせもありうる。
 マナが手紙から顔を上げると、リッセは相変わらず微笑んでいた。
「そうとう腹立った?」
「まさか。これほどに褒められたのは、小さい頃以来でした」
 その台詞に、マナは思わず吹き出した。
 なるほど、番狂わせもありうる女だ。
「これ、誰の?」
「開拓団の選考委員長のもとに届けられていた手紙です。差出人は、――外務長官です。不正な方法で入手したものですが、今ならば、筆跡を照らし合わせれば証拠として認められると思います」
 外務長官、といえば、外との一切を取り仕切る立場にある。国民にとっては外交という概念の薄い世ではあるが、食料のやりとりは重要である。古参であるエウノミアは輸出が多く、そのために世界会議では発言力が大きい。また、出入りする運送屋を管理するのも仕事だ。運送屋たちがマナとアキハルを追ってきた理由も、これで説明がついた。
 国内では強くない立場なのだが、他都市に対してや運送屋に対してならば大きな力を持つ、特殊な地位ともいえる。
「けれどこれを見つけたのは、アキハルたちが旅立った後でした。私やクオンはすでに政府から監視されていましたから、すばやく手を打つことが出来ませんでした。だからといって、イーニィたちを不用意に危険にさらすわけにもいきません。悶々と過ごしていたところに、あなた方が現れました。本当に、・・・本当に、うれしかった。ディーノから伝言をもらったとき、私がどれだけ安堵したことか。そしてこうしてその感謝を伝えることが出来たことも、私はとても、うれしい」
 リッセの表情の変化は決して大きくない。だが、彼女が内心では感情豊かな女性なのだとわかった。情が深く、礼儀正しい。まるで、樹のようだ。
 だからマナはその誠意に応える。
「リッセ・マーマー。最初に言わなかったことを、一つ許して欲しい。あなたは知っているのかもしれないけれど、私は、一族のマナ、と呼ばれているんだ」
 最初は、マナとだけ。アキハルがそう紹介してくれたから、黙っていた。
 リッセは問いかけるような目でこちらを見る。よく分からないらしい。
 それでもいい。彼女はきっと、遠くない未来に知ることになる。
「私はあなたを信頼できると思った。だから、この先、この都市を出たとき、何か困ったことがあったら私と知り合いであると言ったらいい。言う相手は選んでね。あなたなら選べるはずだ」
 彼女が見立てどおり賢く誠実な人間ならば、相手を間違えない。
「正直、よく、わかりません・・・が、信頼してくださったことは、純粋にうれしく思います」
「うん。それで、あなたは私に何か頼みごとがあって来たんだよね?」
「ええ」
 リッセは淀みなくうなずいた。
「政府の内部に、マーマーの遺児――白都を枯らそうとした者がいることは確かです。しかし私たちが知るのは、それだけなのです」
「うん」
「あなたならば、白都が狙われる理由を知っているかもしれない。そう、アキハルから聞いています」
 マナはにやりと笑ってみせる。
「うん。知ってるよ。それはきっと、エメラウダが証言してくれる」
 リッセが笑みを返す。






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