No.002_34








「あらー・・・お客さんだ」
 小さな明かりだけが漏れてくる地下道に、イリアの声が反響した。
 平時ならば、そのやわらかい声音には情けないという評価が下る。だが唐突な緊張下では、優位性を感じさせる。
「うーん、ほんとにこの先この仕事やってく自信なくしちゃうよ」
「そんな感想どうでもいいから、状況をどうにかしてくれる?」
「マナ、それは無茶ってもんだよ」
「ミヤなら十人相手くらい余裕だけどね」
「僕はミヤさんじゃないもん」
 見るからに物騒な男たちを前にした会話である。二人という人数だから、ミヤモトがいれば確かに安心だったと思われる。
 アキハルはマナとイリアに庇われていた。イリアはともかく、自分よりも小柄な少女に庇われている現実から目を背けたいところだ。
「ていうかさぁ、マナが尾行されてるのに気づかないのが悪いと思うよ。便利な能力揃ってるのにさ」
「確かに〈共有〉はしてなかったけど、つけられたのはイリアって可能性もない?」
「うーん、否定できないけど。でも僕そんなに顔も名前も売れてないはずなのにねぇ?」
 大柄な男二人を前に、小柄な二人がそんなことを暢気にしゃべっているのだから、庇われるほうは気が気ではない。
「あの、どうするの?」
「とりあえず話し合いをしようか」
 イリアが、今にも抜こうとしていた腰の木刀から手を離した。そして、まるで舞台役者のような動きで、何も持たない両の手を相手に見せる。それに合わせて、マナが一歩下がった。
 驚いたことに、向こうの二人も武器から手を離した。一人が進み出て、先ほどのイリアと同じように何もない両の手を見せる。
 精悍な顔つきの、四十前後の男だ。身長はずいぶん高く、百九十センチは超えると思われた。向かい合うのは百七十センチに足りていないイリアだから、頼りないことこのうえない。
「聞こうか。もっとも、われわれに決定権はないが」
「僕も決定権ないんだよね。最初っから建設的とは言いがたいですけれど、――じゃあとりあえず、みなさんの目的は?」
「アキハル・サトミと彼と行動を共にする者の身柄確保だ」
「つまり僕ら全員ってことだ。じゃあ決定権のある方々は、アキハルをどうするつもりかご存知ですか?」
「いや。命令系統が混乱している。どうなるかはもちろん、そもそも自分が誰の命令で動いているのかよくわからんよ。しかし、大樹の根元で命を奪う真似はしないだろう」
「どこかに一生監禁したり、白き大地に置き去り、って可能性は充分にありえるわけだ。穏やかじゃないですね」
「否定はできないな」
 思わず物言おうとアキハルは身を乗り出したが、マナに腕をつかまれた。唇に指を当てて黙っておくよう指示される。
「僕らを捕まえたとして、どこに連れてくんです?」
「中央の役所だ」
「中央エウノミアには監禁する場所あるんですか?うわー、悪趣味」
「監禁するためのように言うな。普通に鍵がかかる部屋くらい、あるに決まっている。どこにだって在るだろう」
「それがうちの役所にはないんですよねぇ。監視システムが最強なもんで。鍵なんて可愛いもんですよ」
「・・・なるほど、クロスアウダの者か」
 口を出すなと言われ焦るアキハルの腕を、マナがいっそう強く掴む。
 そのときだった。
 掴まれている場所から、感覚が消失した。
(え?)
 感覚の消失はあっという間に広がる。首をめぐらせて腕を確かめようとしたときには、すでに全身の「感触」がなかった。
 同時に、ほかの感覚――五感も失われていた。
 それだというのに、マナの声が聞こえてくる。なぜか鼓膜が震える感触ではなく、色づき匂うように伝わってきた。
「アキハル。私は中央の役所にぜひ行きたい。捕まろう」
「え」
「〈心室〉じゃないにしても、エウノミアと直接〈共有〉するなら充分だ。政府がどうするつもりかはわかんないけど、しばらくは監禁してくれる、つまりは時間があるんだ」
「だけど」
「今ここで、イリアには逃げてもらう。君は逃げてもいい。逃げる自信がなければ、私と一緒に来て。どちらにしても、私が守る。必ず」
「マナっ」
 待ってくれどういうことだ、と訊ねようとしたのに、ぐらりと意識が揺れた。
 ごちゃごちゃになっていた感覚が戻ってきて、体ごと傾いで地面に膝をついている自分に気づく。マナがその体を支えていた。
「――アキハル?」
 イリアが振り返る。だが応える余裕がない。
 必死で感覚を寄せ集めた。心臓が、激しく鼓動している。どっと汗が吹き出す。
 先ほどのマナとの会話は、互いに声を発していない。それも、ほんの一、二秒の間だった。なぜかそうだと理解できる。理解できるからこそ、余計に混乱する。
「――ずいぶんと、体調が悪そうだが」
「うーん、ショックだったのかも?」
「気持ちはわからないでもないが、どうする。その状態では逃げるのも難しいだろう。こっちだって、命令だけで動いているんだ。素人相手に実力行使は気持ちがいいものじゃない」
「ありがたいし、後ろの二人はたしかに素人だけど。僕は一応運送屋ですからね」
「大差ないようにしか見えん」
「よく言われます」
 呼吸をどうにか落ち着かせる。
 マナの手にすがりながら立ち上がった。それを見計らったかのように、男が言う。
「そろそろ結論を出してくれるか」
「うーん。とりあえず僕は逃げます」
「・・・・・・君だけ?」
「この様子だと、僕だけですね。で、無理やり僕を追いかけます?」
「面倒だ。アキハル・サトミがおとなしく同行するというならば、君まで追うのは止めておこう。見つからなかったと報告しておく」
「ありがたいですね。じゃ、彼体調も悪いみたいだし、その辺も含めてお願いしますね」
 話はまとまったようだ。
 いつイリアとマナが打ち合わせをしていたのか疑問が湧くが、今はそれどころではない。
 イリアは相手に背を向けることなく下がり、マナに並んだ。
「これでよかった?」
「完璧じゃん。あとはよろしく」
「そっちもね。あと、アキハルは平気?」
「たぶん」
 イリアの手は再び木刀の柄にかかっていた。視線も男たちのほうへ向けたままマナと言葉を交わしている。
「じゃ、ね。健闘を祈るよ」
「うん。――エーマリーサ イリア オーヌ」
「〈オーヌ〉」
 二人で軽く手を打ち合わせたと思ったら、イリアはすぐさま身を翻し、地下道の奥へと姿を消した。ほぼ素人扱いされていたが、その身の軽さはやはり素人とは違う。
 向かいの男たちは、宣言通りイリアを追わなかった。最初の物騒な雰囲気はなりを潜めている。
「さて、君たちは運送屋じゃないようだが、――異存はないな?」
「ないよ。ルールはちゃんと理解してる」
「では、こちらへどうぞ」
 臆すことなく、マナはイリアと言葉を交わしていた男の横に並んだ。まるで親子のような体格差だ。
 まだふらついていたアキハルに、もう一人の男がさっと手を貸した。彼は若いように見えた。三十に届かないくらいだろう。身長は百八十センチ程度。肩幅のがっしりとした、運送屋らしい体型だ。
「ありがとう、ございます」
「時間がないのはわかってるが、確かめたいことがあるんだ」
 若い方の男が言う。アキハルに対してではなく、先に進もうとしていた同僚への呼びかけだった。
「さっさとしてくれ」
 返答は簡潔。
 すると若い男はアキハルに向けて、こう言った。
「私はエウノミア国籍だが、父はマーマーの人間だ」
「・・・!」
「何が起こっているか、教えてくれないか」
 心臓を掴まれたような衝撃に襲われる。
 自分は間違ったことをしていないと胸を張って言える。だからと言って、他者から厳しい疑いのまなざしを受けることまでは、覚悟がしきれなかった。
 開拓団は、危険な大地へ出て、新たに都市を創る。だから尊敬の対象である。とくに白都開拓団は、難民を経験した旧マーマー市民たちの希望である。
 その開拓団のリーダーが、密かに帰って来た。政府はこれを追っている。
 問い詰めたくなる理由は充分だ。
「――あなたは意識共有適合率、高いほう?」
 彼の背後から、マナが声をかけた。彼は振り返り、怪訝な顔をする。
 アキハルの耳には〈共有〉の二文字だけが強く響いて、尾を引く。だがその理由にまではたどり着かない。
「なんだ、それは」
「あんまり高くなさそうだ。まあいいや、私の口から話そうか。地下道を抜けるには、それなりに時間があるでしょ?それに何時間以内に連れ帰らないと給料が出ないとか、そんなセコイ労働基準で雇われてないよね?」
 若い男は少し迷いを見せた。
「信用の問題だ」
「命令系統が混乱してるんじゃなかったっけ?少しくらいバレないって」
 マナはそう言い、隣にいた男に同意を求めている。求められたほうは、こどもの小さなわがままを受け入れるかのように、鷹揚にうなずいた。――本当に初対面かと、アキハルは一瞬疑ってしまう。マナは初対面相手に気安すぎる。
 それは若い方の男も同じ気持ちだったらしい。怪訝な顔でマナと同僚を見つめ、それから問いかけるような表情でアキハルを見る。アキハルが首を横に振って見せると、再び怪訝な表情をマナへと向けて、やがてうなずいた。






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