No.002_32
一月弱前まで暮らしていた、慣れた街。――であるはずなのに、アキハルの目に映るのは見慣れぬ闇だった。
街は夜を迎え、地下道からは光が消えた。手入れの行き届いた場所ではあるが、水路なので湿っぽく、この季節でも寒い。
地下道は、知らぬものからすれば迷路同然だ。時折こどもや、整備のための作業員が迷ってしまって大捜索が行われるくらいに。
方向感覚がよいイリアによれば、今はおそらく中央エウノミア市の郊外だろうとのことだった。
エウノミアは五つの衛星都市を持つ。つまり、中央と呼ばれる街を入れて、六つの都市樹によって成り立つ。
「ということで、衛星都市を目指そう。衛星都市のセントラルホールにもぐりこみたいな」
「・・・・・・なかなか無茶を言うよね」
セントラルホール、もしくは〈心室〉と呼ばれるのは、街の中央、役所内部を指すのだ。政府を敵に回しているらしい今、いくら衛星都市だからといってもぐりこめるとは思えない。
「私一人ならどうにかなると思うんだよね。ばれても見た目からしても、悪戯ですむでしょ?」
「すまないかと・・・」
「自分の見た目を過信しすぎだよ、マナ」
マナには人形のようなかわいらしさがあるものの、それが通用するかどうかは時と場合による。
「それより僕はヨチさんたちと合流するべきだと思うなぁ」
「そのためにもいい環境で〈同調〉するべきなんだよ。今はせいぜい周囲のことを探るくらいしかできない」
「エウノミアは政府が害意を持っている、って言ったんだったよね?その害意ってどの程度?程度によっては逃げるより出て行ったほうが早いと思うよ」
「わかんない。ただ、普通樹にはどちらかに肩入れするなんて発想がないんだ。私たちにわざわざ知らせるっていうことは、本当に不穏だったんだと思う」
「ヨチさんたちにも知らせたのかなぁ?」
「ううん、あっちは勝手に逃げたらしい。さすがだよね。そういう意味では、あの四人でよかったんじゃない?私たちがいたら、逆に足引っ張って逃げられなかったかも」
聞くからにエリートしかいなさそうな情報局の局員たち(イリアを除く)に、破壊の女神なんていう物騒な二つ名を持つ運送屋。――負ける要素はなさそうだ。
「ねえ、マナが同調しなくたってさ、みんなの逃げた先ってある程度予想つかない?」
「まあそうか・・・マルタミラの知り合い、――旧マーマー市民って線が濃厚だな」
「旧マーマー市民?」
「マルタミラはもともと情報局の外交官なんだ。マーマー担当のね。その縁を利用して、旧マーマー市民のふりしてエウノミアに移り住んだんだよ。だから旧マーマー市民の、しかも中央に居た人間とは付き合いがある」
「名前、わかるかな」
「わからない。マーマーを名乗っているとは思う。・・・そうか、シェローやヴィルジニの実家もありえるね」
開拓団メンバーのシェローとヴィルジニは、それぞれにシェロー・マーマー、ヴィルジニ・マーマーという名である。どちらも親族は政治の中枢にいた。
二人の実家ならば、アキハルも知っている。
「――エメラウダ=エウノミア市、かな」
もっとも新しい衛星都市であり、移民も多い所だ。
「それともうひとつ、・・・考えがあるんだけど聞いてもらえる?」
闇の中でマナとイリアがうなずいた。
朝の活気満ち溢れる大通りを、マナは堂々と行く。アキハルは帽子で、マナはヴェールで顔を少しばかり隠しているが、見る人が見ればすぐにわかることだろう。アキハルは不安になるのだが、今のところ平気だ。今朝別れ際のイリアにも胸を張って「大丈夫」と保証された。イリアは留守番役である。
「昨日も言ったでしょ、エウノミアは人口が多いし、その辺歩いてる運送屋もたくさんいる。人ごみにまぎれたら、そうそう見つからないよ」
そう説明するマナは、現在も〈同調〉をしているらしい。
樹の感覚を借り、周囲を探り、自分たちを見張っているものが居ないことを確かめている。どこまで信用なるのかわからないが、今頼るべきはそれしかない。
マナは目を閉じているので、アキハルが手を引いている。歩くくらいは出来るといっていたが、案内がついたほうが確実に安全だから、との話だった。
目指す場所は、渡し舟の乗り場。これはあちこちにあるが、どこで誰が働いているかは大体決まっている。目指すのは七番乗り場。
乗り場に着いたマナは目を開き、すぐに近くの船頭に話しかけた。船頭はうなずいて、向こう岸を指す。
「呼ぼうか?それとも、これに乗っていく?」
「じゃあ教えてくれたお礼に売り上げに貢献するよ」
「いい心がけだ。二人かい?」
「うん」
二人で小型の舟に乗り、向こう岸まで運んでもらう。
マナが水路の中ほどで、大きく手を振った。すると、手を振り返す者がある。――ディーノ・リマだ。知り合ったと言っていたが、本当らしい。
「やっほー、ちゃんと働いてるんだねー」
マナが接岸するのを待たずに舟から飛び降り、岸で客待ちをしていたディーノに駆け寄る。なにか失礼なことを挨拶代わりに言っていたが、状況が状況なので黙殺した。
「失礼だなぁ。どしたの、今日は連れがいるみたいだけど」
「いろいろあってね、お願いに来た」
マナがディーノの耳に顔を寄せて、何かささやく。ディーノは不思議そうな顔をして、そしてアキハルのほうを見た。
彼は首をかしげ、次の瞬間瞠目し、マナに袖を引かれて驚きを引っ込めた。
「ええと・・・」
「観光案内、お願いできるかな。舟からがいいな」
マナは無邪気にしか見えない笑みで、そう言った。