No.002_14 [Songs for MANA]
宿舎に戻りたくない、とアキハルが言い出すことは予想がついていた。
この落ち込みようは、隠せない。本人も努力しているようだったが、幽霊のような暗さはどうやっても拭えなかった。これでは団員たちを不安がらせてしまう。
「なら、一緒に〈静寂〉を聞きに行く?」
「せい、じゃく・・・・・・」
反応は薄い。
そんなことも予想済みだったので、マナは勝手に連れて行くことにした。
市役所内の一角で、防護服を勝手に借りてアキハルに押し付ける。自分自身も、かっちりしたコートを借りて着る。
そしてそのまま、門へと向かった。アキハルは幽霊の様相のくせに、引っ張って歩くと重い。
先ほど入国審査をした門番に対しては顔パス。
あっさりと白紙地へと出た。――と言っても、中央にある市役所から二百メートルと離れていない。
白との境。あいまいで、風向きやその日の気温などによって一メートル程度の変動はすぐにある。白い大地の方向を向いて、マナは地面に座った。アキハルがのろのろとそれを真似る。
「白き毒は静寂を奏でる。ヒトは鼓動を刻む。樹は歌う。だけどどれも複雑で、気候の変化なんかによって音を乱す。それを聞くの」
「・・・・・・」
「白き毒の静寂を聞けば、遠くからやってくる雨や風のこともわかるんだよ。大地を渡る人の気配すら、届けたりする」
「・・・・・・」
「雑音も情報だよ。どんな雑音を出しているかで、そのヒトや樹の体調がわかる。どうして人間はこんなに耳が悪いんだろうね。樹は共生の相手を間違えたんじゃないかな。共生するなら、もっと耳のいい生き物を選べばよかったんだ」
アキハルが答えないことについて、もう気にしていなかった。マナは勝手に喋り続ける。
「これが〈静寂のアリア〉。きれいな名前だよね。これって、ヒトがつけたんだって。つまり、昔々、ヒトの中にもこれを聞き取る者がいたってことだ。今、世界には何人いるんだろう」
胃袋をぎゅっと掴まれるような不安に襲われる。――静寂がもたらす、言いようのない不安感。わざわざ聴くのは自傷行為と大差ない。
多くの生き物がこの白を敵としている。それは毒性からだけではなくて、この〈静寂のアリア〉のせいだろう。
それほどに心を乱すというのに、この静寂は美しいのだ。
アキハルはひざを抱え、うつろな眼で白き大地を見ていた。
マナは彼を真似て、ひざを抱える。そのひざに額を押し付けて、静寂が胸の内の傷を撫でる感触をやり過ごした。
白紙地は、誰のものでもない土地だ。街の周囲にぐるりと、街の面積と同じくらい広がっている。白き毒は侵食できないが、他の動植物が生きていくには過酷である。
ここにいれば、静寂のアリアも、樹が歌う無言の歌も聞こえる。他の動植物に邪魔されずに。
この不思議な静寂の中から、エナ=クロスアウダの脈を探し出す。脈は、地中を渡る樹の無言歌である。
脈に己の感覚をあわせてゆく。その波長が重なった瞬間、世界が激変した。
色が感触を持ち、匂いが色づき、触れるものは鮮やかに匂う。
――感覚の共有だ。
エナ=クロスアウダは若い樹だ。発芽から、丸四年が経過したばかり。樹本体は街を形成できるほどになっているが、そこに宿る意識は未熟で、混沌としている。
早い話、白都のような個の意思がない。樹本体の成長スピードに比べたときの精神的成熟の遅れは、クロスアウダ種の弱点のひとつだ。
意識がないものと、意識の共有はできない。だから、波長を合わせて感覚を借りるのだ。
樹の感覚で白き大地に接することは、心地よかった。彼らは互いが生きるために場所を奪い合っている。――はずなのだが、彼らの感覚では、とても緩やかで温かみすらある関係なのだ。
ずいぶん長いこと、そうやっていた。
ささやかな風が髪を揺らしたときに、ようやくヒトの感覚を思い出した。街に帰らなければと思い立つ。――風に毒が舞い上げられる、危険な時間帯に差し掛かっている。静寂のアリアも、風によって弱まっていた。
「・・・・・・綺麗・・・」
ぽつり。
呟きが静寂の中に落ちた。
マナははっと顔を上げる。
――アキハルは変わらない体勢で、大地を見ていた。
「・・・聞こえる?」
「たぶん・・・これかな。もう、ほとんど聞こえない」
「・・・もう、行こう。風が出てきた」
「うん」
立ち上がって、土を払い落とす。
アキハルはまだ酷い顔をしていたが、幾分かマシにはなっている。少しだけほっとした。白都が無事に根付くにはこの青年の助けが必要で、そのためにこの青年には健やかであってほしいと、マナは思っていた。個人的には気に入らないこともあるけれど。
先に歩き始めると、背後からのろのろと力ない足音が続く。
「マナ」
出てきた風の音に負けそうな声がした。
「何?」
「みんなには言わないで欲しい」
その内容に、マナは眉根を寄せた。
「言わなくたって知られるよ。君の口から聞くほうが、マシだ」
「いつか知られるとは思ってる。でもそれは今じゃなくていい。そんな悪意、みんながみんな背負わなくたっていいと思うんだ」
「じゃあどう説明するんだ。長すぎる道のりを、あの厳しい辺境を」
「なにか考えるよ。隠せなくなるまで、これは俺一人のものにする」
「無理だ」
「頼むよ」
アキハルの懇願は続いた。
「少なくとも、――ヴィルジニに知られたくない」
振り返ってみて、マナは驚いた。
さっきまで、幽霊のような暗さを背負っていた。けれどもう、それは見当たらなかった。酷い顔ではあるけれど、その中に決意がしっかりと存在を主張していた。
「嫌なんだよ。ヴィルがこれ以上、変に責任感じて思い悩んでる姿見たくない」
「君だけがそれを負う義務もなければ、権利もない」
「・・・権利?」
「知る権利。団員のみんなにはそれがある。甘やかすなよ。あの人たちが甘やかされて喜ぶとも思えない。当然、ヴィルジニもね」
むしろヴィルジニは怒るのではないだろうか。あの温和な表情が固まる様を、マナはリアルに想像できた。
しかし。
「嫌われたっていい」
半端な覚悟ではないらしい。もしくは、思考が麻痺しているらしい。マナは後者の可能性が高いと踏んだ。だがここでこれ以上問答をしていては危険だ。建物の中に入らなくては、すぐに空気にたくさん毒が混じる。
「・・・なら、私がこれ以上言うことはないよ。とりあえず、その酷い顔どうにかしないと、宿舎には帰れないからね」
そう言うと、アキハルははじめて気がついたかのように、己の顔を手で撫でた。が、わかるはずもない。
マナは苦笑した。
「――さ、行こう」