No.002_02
朝のまだ人の少ない大通りに出ると、頭にのしかかっていた重みが少し軽くなった。
息を吐く。溜まったものを外へ吐き出すと背筋が伸び、思いのほか視界が広がる。――大きくもない背を丸めて、何を背負っているんだと苦笑が漏れる。異郷の地で、同郷の人間と別れたら安心するという、奇妙な現象を背負う意味なんてないのに。
広がった視界で行く先を見れば、大樹が空へと枝葉を伸ばしていた。――セルシャと名づけられた、この都市の基盤樹だ。
樹を中心に放射状に発展した街は、中心に近づくほど古い街並みになる。居住区は北に集中し、南の外郭には田畑が作られる。役所などの公共施設は中央に集中する。アキハルの行く先も、そこにあった。
大樹の根元に形成される、円形の広場。
中央に小さな泉があり、細い水路が放射状に広がる。都市でもっとも清廉な水と清浄な空気に満たされたその場所は、どんな都市においても、揺り篭と呼ばれていた。都市樹の若木が育つ場所である。
入り口で、入国時に発行された証明書を見せる。丸顔の警備員が、親しげに微笑んだ。市の豊かさを表したかのように、人柄のよさがにじみ出ていた。
「おはよう、新しい護衛は見つかったかい」
「いえ。頭が痛いことに、まったく」
苦笑したつもりだが、疲れきった顔の筋肉は思うように動いた気がしない。
警備員は丸い顔をくしゃっと崩した。――深く笑ったらしい。
「焦るなよ。政府の方も、捜してるって言うしよ」
「そうですね、――」
相手の声が、上手く耳に入ってこない。聞き直すのも面倒で、適当に相槌を打つ。
会話を適当で切り上げて、揺り篭へと踏み入る。大樹のほぼ真下にある広場だが、南に位置しているため一日中日が当たる。
足元は背の低い草に、外界と隔絶する塀には蔦に覆われている。もともとそこにあったのか何かのために運び込まれたのか、静かに横たわる一抱えほどの石は、苔に柔らかく包まれていた。
時折、蝶や蜂が通り過ぎてゆく。向こうで草を揺らしたのは、おそらく蛇だろう。
都市樹セルシャの種から育った見た目もみずみずしい若木は十数本。小さな楽園は、それらのために存在していた。
入り口から遠くないところに、他の若木とは様子が違うものが一つある。――アキハルたちの守護樹だ。
手で触れながら、葉の色を確かめた。――みずみずしい色を保っている。
ほっと息をついた。
死の蔓延する白き大地に根付くたくましい大樹も、若木の頃はか弱い存在だ。守護樹として旅立てるほどに成長した若木に運搬用の植木鉢は窮屈な上、環境が刻々と変わる大地の移動は大きなストレスになる。
揺り篭は若木に最適な環境が用意されているといえ、ここはセルシャ。守護樹の育ったエウノミアとは種が違う。注意しすぎることはない。
守護樹の根元に座り込む。朝露でズボンが濡れるが気にしない。鉢に背中を預け深呼吸すると、程よく湿った空気が喉を潤した。
まだ一日が始まったばかりなのに体は重たくて、このまま寝入ってしまいたかった。だが目を閉じると意識が冴える。
仕方なく目を開けた時、視界の映ったのは一面の緑ではなかった。
「いっ、――」
意味のない言葉が喉でつっかえる。
反射的に後ろに下がろうとするが、そんなスペースはない。
「おはよう」
――視線の先には微笑みがあった。
「一応聞いとくけど、この樹の木霊じゃあないよね」
見ず知らずの、赤の他人。
それは、ゆるやかに波打った亜麻色の髪を腰まで伸ばした少女だった。翡翠色の瞳が楽しそうにこちらを見つめている。
アキハルは、少女の全身へと視線を移した。この初夏に首から下に露出がない格好をしている。白き大地を渡る何か――運送屋か開拓団か――と予想をつけた。
「――ち、違う、けど」
けど、――なんと続けようとしたのかは、自分でもよくわからない。
少女は上手く反応できないアキハルの横をすり抜けて、彼らの守護樹にためらいなく触れた。
「おいっ――なにす、」
立ち上がって少女の肩に手をかける。だが少女は構わなかった。
「久しぶりだね、花と水の都の遺児」
アキハルは怒鳴りかけたことも忘れて眉をひそめた。
少女は、彼らの守護樹に話しかけていた。しかし、こんな若木が口をきくはずがない。
「あの、・・・君は?」
所在無くなった手を、居心地悪さを後に引きずりながら引っ込める。
問いかけに、少女が振り返る。その口元には先ほどと変わらない微笑が浮かんでいた。
「この樹の友達」
「ともだち?」
「名前はないの?」
「名前って、この守護樹に?」
「そう。――聞いたことない?もしかして、木霊と喋ったことない?」
「・・・ないよ」
こんな若木が、木霊を実体化できるはずがない。
そう続けようとした時だった。
視界の端にふいに映ったのはこども。
アキハルはぎょっとして身を引く。――現れたそれは、若草色の肌をしていた。
「白都。――エウノミアではそう呼ばれていました」
弦を弾くかのような心地よい声が、鼓膜よりも奥深くを震わせる。
「しろみやこ。いい名前。マーマーの花の色は純白だったね。花降り、舟遊ぶ、――美しき白の都」
少女が謳う。
アキハルは自分の口が半分開いていることに、しばらく気づかなかった。
硬質な印象を受ける緑の肌、亜麻色の髪、瞳も虹彩もない宝石のような目――人の形をしているが、人ではない。今まで一度も姿を現さなかった彼らの守護樹の木霊――本人曰く、白都――だった。
自分の間抜けさが、異様に恥ずかしかった。あわてて真面目な顔を取り繕うが、――相手にどうとられたかはわからないし、確かめる勇気もない。
白都がぎこちない表情を作り、口を開く。
「一族のマナ。紹介します。――彼が開拓団のリーダー、アキハルです」
四つの目がいっせいにこちらに向いた。今まで見られていなかったらしいことにひとまず安堵する。そんな思考をめぐらしていたせいで、会釈が一拍遅れる。
「アキハル、こちらは一族のマナ。私の大切な友人です」
「一族の、まな?」
一度目は何気なく聞き流したが、二度目は聞き流せなかった。
「それは、名前?」
「私に名前は無いんだ。だけどみんなどうしてか、私のことを一族のマナと呼ぶ。結局のところなんでもいいんだ。適当に呼んで」
「名前が無い?」
アキハルが戸惑って聞き返すと、少女も困ったようにうなずく。
「そう。樹と一緒。生まれたときは名前が無いの。生きるうちに、魂にふさわしい名前が出来上がる」
樹と一緒。――なるほど、とアキハルは納得した。
住処を提供する樹に敬意と感謝をあらわすのに、「樹に倣って」「都市の名にあやかって」といった、都市ごとの独特の習わしがあると聞いたことがある。おそらくそれだろう。
「じゃあ・・・とりあえずはマナと、呼べばいいかな」
「みんなそう呼ぶね。それでいいよ」
こだわった様子なく少女――マナはうなずいた。
そこで会話が途絶えた。
何を言ったものだろうか。初対面の女の子相手に気のきいたことを言えるほど器用ではないし、突然現れた木霊と改めて話すことがあるわけでもない。
悩むアキハルを助けるかのように口を開いたのはマナだった。
「アキハル、あのね。私は白都との約束を果たすために来たんだ」
「約束?」
「そう」
「白都・・・との?」
「うん」
馬鹿みたいに単語を繰り返して、ようやくその意味をおぼろげに理解する。自分の頭の回転の悪さに、軽く自己嫌悪に陥りながら、――白都に視線で問いかけ、理解を確かなものにする。
白都は、「ええ」とうなずいた。
「以前会った時に、約束をしました」
「あのね、君たちの開拓団についていきたいんだ」
反射的に、顔をしかめた。――また意味が理解できなかった。
「だめなのかな?」
アキハルの表情に、マナが不安を見せる。
あわててそれを否定した。
「いや、だめっていうんじゃなくて。・・・それは、この白都の市民になるということ?」
「ああ、違うよ。根付く時を見届けるだけ。――出来るだけ迷惑はかけないようにする。それに役に立てるかもしれないよ。この大陸の大抵の都市に行ってるから、土地勘はある。知り合いも多い」
「運送屋ってこと?」
「違うよ。私には何の肩書きも無い」
また謎が増えた。
普通の人間は、生まれた都市から一歩も出ることなくその一生を終える。この例外が、都市間を渡る運送屋と、新たな都市を築く開拓団、そして出来た都市へと移る移民団だ。白き毒の蔓延する大地を「旅行」するなんて、ありえない。
そんなアキハルの疑念の気づいたのか、マナは説明を重ねた。
「私を育てたのは運送屋なんだ。だからやれというなら、真似事くらいなら出来るよ」
「――!」
思わぬ話の流れに、息を呑んだ。呑んだ息が、期待で膨らむ。
開拓団の護衛をこの少女に任せるのは無理だろうが、運送屋と縁があるには違いない。上手く行けば、紹介してもらえる。
はやる気持ちを抑えながら、落ち着いた返答を。
「・・・他の団員に話を通さないといけないから、今すぐに返事は出来ない。だけど俺自身は、来てくれて構わないと思ってる」
「ありがとう!」
「だけど、」
一瞬のためらい。
なんと言えば、上手くいくだろうか。
打算的な自分に心の片隅で呆れながら。
「――俺たちの開拓団には、諸事情で護衛がいない。代わりを探している最中だけど、出発がいつになるかわからないんだ」
「ああ、そうなの?じゃあちょうどいい人知ってるよ」
「――へ?」
「私と一緒に来た人たち。二人いるよ。ほんとは帰る予定だけど、頼めばきっと来てくれる」
ああ、と気の抜けた相槌を打った。
また口が半開きになっていたことに気づくのはもう少し後のこと。
――話が出来すぎていて、信じられなかった。