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No.001_08
――フェンネラ=クロスアウダ白紙地。
白紙地は、誰の土地でもない。
都市の外郭約二キロに渡り広がる、白でも緑でもない荒野。
都市樹と白き毒、どちらもが支配しない、無機物だけの世界。
ここが一番嫌いだった。
静寂のアリアも無言の歌もない。響くのは己の音だけだ。たった一人。これが世界の孤独。
(私は何?)
問いかけが湧き上がる。
(あなたは誰?)
(世界は何で出来てるの?)
(時間はどこへ行くの?)
(次の瞬間は――)
一つずつ、答えを返すことなく潰していく。
都市の入り口へ向かいながら、一つずつ。丁寧に。
「死んだってよかった」
その発言を咎める者は皆無だ。
「違う、死ねばよかったんだ」
やはり返答はない。
「白き毒の波に飲まれて、死んじゃえばよかったんだよ。そうしたら、孤独な問いかけにもう付き合わなくて済んだんだ。私は、馬鹿だ」
(私は何?)
(空は何色?)
(大地は何色?)
(君は誰?)
湧き上がるものを片端から潰していく。
けれどもどんなに潰しても、重みは残っていた。積み重なって、とうとう重みに耐え切れなくて膝を折る。
「大っ嫌いだ!!大嫌いだよ!――殺してやりたいくらい嫌い」
涙が頬を伝う。
涙なんて、――自分の涙なんて初めて見た。
どうしてこんなところで泣くのか、わからなかった。
誰一人としてこの気持ちを理解するものはいない。涙を見せても、泣き叫んでも、救いが現れることはない。それはとうの昔に知ったこと。
「――一族のマナ」
呼ばれたのは、当分経ってからだった。
顔を覆っていた手をゆっくりとはずすと、囲まれていることに気づく。――たくさんの、人の姿をとった木霊たち。
「我らが一族の愛し子(マナ)」
「古の契約を見届ける者よ」
「我らは、あなたを愛している」
「それが重荷だと言ったら、あなたたちは一体どうする?」
刺々しい言葉を吐き出す。
けれども彼らの優しいまなざしは変わらない。――彼らはすべてを慈しむ、普遍の愛を持つ生き物だから。
「もしあなたがすべてを放棄しても、あなたが愛しき子であることには変わりない」
「一族のマナ」
「その名はあなたのものだ」
「あなたを抱きしめることも肩を貸すことも出来ない体だけれども」
「痛みを肩代わりできないけれども」
「あなたを想っている」
激しい涙と感情で、視界はもうはっきりしない。
「だから私は消えてしまいたいんだ!」
大地に崩れ落ちる。
感動はなかった。優しさを感じても、癒されることはなかった。
感じたのは途方もない絶望だ。
――私は、彼らのようになれない。
*
目が覚めればいつも通り、テントの低い天井が目に入る。重たい目をこすったとき、目じりからこめかみにかけてざらりとした感触に気づく。
(なんで泣くんだよ)
以前泣いたのは、いつだっただろうか。
夢で見ていたあの日まで涙が自分から流れるとは想像もしていなかった。あの時以降も滅多と泣いたりしないが。
静かに起き上がる。
他の人を起こさないように、コートを羽織って、髪を梳かして、外へ出る。
二重になった、特殊構造のテントから這い出した先に広がる世界は、一面の白。踏みしめると、不安を掻き立てる感触でほんの少しだけ沈む。
聴こえてくるのは眠る人の気配と、静寂のアリア。
マナは不安の感触を踏み続けた。目的もなく地平線の方へと歩む。脅迫観念とでもいうのか、――歩かずにはいられない。この場ではないどこかに行きたかった。
ただただ必死に歩いていた。
足がもつれて転んだときに、立ち上がれなくなった。けれどそのとき安堵が体中に満ちた。同時にここに来たかったのだと気づいた。
(ああ――、)
高ぶっていた感情を熱い息に代えて吐き出す。
(私は、約束を果たさなきゃいけない)
(彼らに謝らなきゃいけない)
(でも、それなのに、――私はこのまま消えたいんだ)
肩で努めて穏やかに呼吸する。
涙はこぼれなかった。過去には泣けたのに、夢では泣けたのに、もう泣くことができなくなったのかもしれない。
(ああ――、)
そこにはない蒼穹を仰ぎ、目を閉じた。
静寂のアリアがいっそう美しく響き渡る。美しくて、耳障りだ。
「白都」
ふいに気づいた背後の気配に呼びかける。
「あの日の約束を覚えてる?」
静寂のアリアに埋もれる気配は、微動だにしない。
「あなたたちマーマーの遺児の根付くときを、私は見届けるって。だけどあの謝罪はもう遅かったね」
あのとき吐き出した棘は、今は己を切り裂いていく。
「あなたの兄弟はみんな枯れた。――知ってるんだよ。あのときのせいだよ。私が、――私が殺したいと言ったから」
「マナ」
呼掛けに、マナは瞠目した。振り返らない――できない。
声は、あの弦を弾くような心地よい音ではなかった。
低くて、静寂のアリアにも似たあたりを静かに震わせる声。
「白都は、マナを恨んでない」
「・・・・・・だからダメなんだ。都市樹は恨みなんて知らないんだよ。恨み抜いて忘れるとか復讐するとか許すとか、できないの。私は誰にも許されない。アキハルも、マーマーを滅ぼした旧マーマー市民も、人間は悪いことしたらそれを積み重ねるしか出来ないんだよ。――重さで潰れる日まで」
「そうかもしれない」
「人と樹は、共生できない」
「でも今は、やってる」
「できてなんてない。樹が人を滅ぼすか人が樹を滅ぼすか、それの真っ最中だ。――ねぇアキハル。どっちだろう?」
マナはゆっくり上体を捻って振り返る。
濃い茶色の髪。右の頬にかかる一房だけ赤みが強い。融通のきかなさを表すかのような意志の強い目が、今は戸惑いに揺れていた。
「ねぇ、どっち?」
「俺がこれ以上樹を裏切らなければ、どちらも滅びない」
「誰かが裏切る」
「でも」
アキハルは言い募る。
「永遠はないよ。みんな、いつかは滅びる」
「そうだね」
「人は裏切りの生き物かもしれない。でも樹はそれを共生の相手に選んだ。――はじめから、賭けだったじゃないか」
「それは言い訳?」
「言い訳でも事実でも、どちらだっていい」
「なんで」
「わかりはしないから。どちらかがどちらかを滅ぼすか、まったく別の何かが出てくるか、わからない。でも俺はこれ以上裏切らない、それだけは確かだよ」
マナ、と低く呼びかけられ、腕を掴まれ引き上げられる。その拍子に白き毒が地面近くでふわりと舞う。
「帰ろう」
自分の足で立ったとき、腕は解放されていた。
アキハルはマナに背を向ける。マナはその背中に向かって言う。
「私は契約を見届ける者なんだって」
背中は答えない。
「アキハルは、白都と約束して。私にじゃない、白都に。――裏切らないって」
背中が止まる。
アキハルが振り返り、手を差し伸べる。
「行こう」
マナはゆっくり歩み寄り、その手をとる。