都市が白く染め上げられる。
 それは、滅びの証だった。





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No.001_07



 積もった白に点々と続く足跡をたどっていくと、今もなお足跡をつけ続ける者の姿がある。
 ――硬質な輝きを放つ皮製のブーツに、顔以外の露出を一切許さない服装。それは、大地を渡るための格好だった。
 大地を行く者は限られる。運送屋か、開拓団か、移民団か。それ以外の人々のほとんどが、都市から一歩も出ることなく一生を終える。それが、白の黎明以降続いてきた世界の常識だった。
 鼓動を持つ者の気配は絶えていた。途切れ途切れに無言の歌が鼓膜を震わせる。足元からは、立ち上る湯気のような淡さで静寂のアリアが響いている。
 足跡は、半刻もすれば白に埋もれて消えていく。――己が歩んだことが、世界から消去される。
「嫌なものだね。何も残らない。何もかも。――滅びるよりも、嫌だね」
 つぶやきは、柔らかな白のなかに吸い込まれた。
 呟きの発信源は、顔をしかめて立ち止まり、己が来た道を振り返った。すでに消えかけた足跡を認め、ため息をついて視線を戻し、そして空を仰ぐ。

「花降り、舟遊ぶ、美しき水の都。――それも過去の栄光か」

 視線の先には、葉を落とした大樹のシルエットがあった。
 ――その樹の名、もしくはこの都市の名を〈マーマー〉と言う。
 植樹からたった百年と少し。都市としてはまだ若く、規模も人口二千弱という小さなものだった。
 街中をめぐる水路には、まだ水があった。水量は全盛期の半分ほど。覗き込んだ先に、銀のきらめきを見つける。――それは魚の死骸だった。
 水路沿いに、足跡は続いた。水路は街の中央に続く。足跡の主の目指す場所は、まさにそこだった。
 水路に導かれてたどり着いたのは、樹の根元。建物と樹が一体になったそれは、人が居たころならば「市役所」と呼ばれていたはずだ。
 その入り口に、小さな影が立っていた。
 影はすっと頭を下げ、そしてきびすを返した。
 おそらくは案内人だろうと見当をつけて、その背中を追う。
 影は、ヒトのこどもの姿をしていた。十歳前後に見える。形は似ていたがしかし、ヒトのこどもではないと断言できた。
 ――簡素な衣からのぞく手足の肌の色は、若草のような緑だった。
「あなたは、マーマーの子?」
 前を行くヒトを模したものは、ちらりと振り返り、うなずいた。
「名は?」
 重ねて問うたが、今度は振り返りもしない。しゃべることが出来ないのか、名前をまだ得ていないのか、もしくは両方か。
 入り口を抜け、樹とも人工物ともつかぬ螺旋の階段を上り、たどりつくのはセントラルホールと呼ばれる場所だ。これは都市が若いうちの呼び名である。もっと樹が巨大化し、この場所が奥まってくると、〈心室〉と呼び名を変える。
ホールの中心には、床と天井と一体化した樹の幹がある。その樹の幹とほとんど重なり合って、ヒトの白い影があった。
 妙齢の女の姿である。真っ白な髪が流れ、毛先は幹と同化している。目を閉じて、眠っているかのようだった。
 ブーツが床に当たる音が近づく気配を感じ取ったかのように、その白い影は目を開いた――白翡翠か、月長石か。そんな宝石の名が思い浮かぶような美しい白が現れる。
「ようこそ、花と水の都〈マーマー〉へ」
 弦を弾いたときとよく似た、鼓膜を心地よく震わせる声だった。
 来訪者は頭を覆っていた布をさっと取った。あらわになるのは、波打った亜麻色の髪。きらめく瞳は、翡翠の色。姿をはっきりとさらした来訪者は、白い影、すなわちマーマーへと礼をした。
「はじめまして、マーマー」
 来訪者が言う。マーマーは微笑んだ。
「はじめまして、一族のマナ。大地を行く者よ。あなたの名前は?」
「まだ、ありません」
「――そう」
 ゆっくりと、マーマーが動いた。水の中から現れる女神のように、幹と同化した部分からヒトの形が抜け出てくる。
 来訪者は意を決したように、口を開いた。
「私は、聖なる森の老より、お言葉を預かってきた」
「ええ、受けましょう」
 告げられた言葉は、端的であった。
「滅びるな」
 マーマーが先を促すかのように瞬く。
「――世界を愛するならば、己が民の、己が子の繁栄を望むならば、今ここで滅びを選ぶな。清きその水で、白きを祓いしリリラの、美しき子孫よ。その誇りを忘れたか」
 来訪者が朗々と発した言葉に、マーマーはほとんど表情を変えなかった。マーマーが見せるヒトの姿は偽りの物であり、実際どんな気持ちの動きがあったか、外側からは知れない。
「・・・一族のマナ。あなたはなぜ大地を渡るのですか」
「都市の滅びを、食い止めたいから」
「私のようになるのは、恐ろしいですか?」
「・・・・・・少し」
 滅び、――すなわち死は、生き物が本能的に避けようとする事柄である。
 しかしマーマーは穏やかだった。見せ掛けの姿の表情もそうだったが、あたりにあふれる無言の歌には、恐怖も不安も現れていない。
「私は、間もなく滅びるでしょう」
「いけない!あなたの水の浄化能力は、まだ落ちていない!ヒトを早くに遠ざけたのが功を奏している。何よりも、まだ歌は失われていない。これならば、助けさえあれば、滅びることなどない」
「いいえ。無理です」
「なぜ!」
「白き波が襲ってきます。お逃げなさい、一族のマナ」
「待って!」
「――滅びは必要なのです。愛する民のために。愛する世界のために」
「そんな、わけがない!あっていいわけがない!――なぜ、そんなことを言うんだマーマー!なぜ!」
 来訪者は同じ叫びを繰り返し発した。最後の叫びに呼応するかのように、マーマーのヒトを模した姿が崩れた。
「――!」
 白い残像。
 来訪者はそれに駆け寄る。
「マーマー・・・っ!」
 先ほどまでマーマーが居た幹のくぼみに、白い影が横たわっていた。
 ひざをついて、その影に手を伸ばす。
「ああ・・・・・・」
 樹に抱かれて、白髪の老人が死んでいた。おそらくは、ずいぶん前に息絶えたのだろう。ミイラ化している。そしてその老人は腕にかごを抱えていた。
「――一族のマナ」
 来訪者に、背後から声がかかる。弦を弾く音と似ているが、マーマーの声ではない。
 振り返る来訪者の目に留まったのは、案内人を務めた緑の肌のヒト影だった。
「それを、あなたに」
「それ?」
 案内人が示したのは、老人が抱えるかごだ。
「多くの民が、ここを去った。しかし何人もの民が、ここに残り、白きものに飲まれていった」
「・・・・・・それで?」
「民に去られ、都の名を失い、五年が経った。我らは、その五年の間に生まれた」
「――なるほど、つまりそういうことか」
 痛々しく、来訪者は微笑んだ。そして、老人の腕からかごを抜き取る。
 かごの中身を確かめて、そして抱きしめる。
「歌っていたのは、あなたたちのほうだね」
 かごの中身は、美しい玉。やがては土と水と日の光の力を借りて大地に芽吹くのだ。
 玉は皆、歌っていた。か細く美しい、無言歌だ。白に染められつつある都を満たす歌は、彼らが歌っているのだ。
 マーマーの無言の歌は、すでに失われていた。



「都に残った人々が、実り熟して地に落ちた我らを拾い集めた」
 緑の肌の少年が語る。
「そして白き毒の病を患い、鼓動を失った。だから、彼らは我らでもある」
「――共に死ぬほどに都市を想うならば、彼らには他に、手段があったはずだよ」
「我らにはわからぬ」
「そうか」
 涙のあとを顔に残したまま、来訪者はかごを抱えなおして、マーマーを仰ぎ見る。

「エーマリーサ リ マーマー。 エル アリアラ リリラ」

 再び歩き出す。
 白き大地に足跡をつけて、そして白き毒は一刻も待たず生きた証を消してゆく。





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