No.001_05


 かくして、夜は明ける。
 調子が回復しないらしい女の運送屋を男が背負い、地下から出たときにはすでに日が地平から出ていた。
 土臭くなった自分の体に辟易しながら、セントラルホールへ続く階段を上る。
 白き嵐の余韻なのか、埃っぽくて掠れた匂いが漂っていた。
「あー・・・空気が悪いな・・・」
 男の背中で、女が力ない声で言った。
「黙っていろ。死ぬぞ」
 男は冗談のまったく混じらない言い方をする。事実だから、冗談にして笑い飛ばすこともできないだろうが。
 それにしても生死をあまりにもはっきりと口にする。――運送屋という人々の特徴だ。都市の中で一生を終えるつもりで生きてきた人間にとって、彼らの言い回しは心臓に悪い。
「ここで死んでも、骨の一つくらいは持って帰ってほしいな・・・」
「わかったから、黙っておけ」
「エリサのことよろしく」
「もうカルシュに任せてあるだろう。心配するな。おまえが死んだところで、エリサに悪影響はない」
「酷いなぁ・・・」
 紛れもない、本気なのだろう。
 彼女の言うことは、遺言だというのに。
 それを思うと、切なくなった。――都市の中で一生を終える私たちにはない、真剣さ。本来なら私たちもこれを持っていなくてはならなかったのだ。それなのに、どこでなくしてしまったのだろうか。
「アス〈エルネルラ〉。・・・ネールラが生きなければ、私は死ぬんだよ」
「・・・それは、ネールラが決めることです」
「馬鹿だね。あなたがネールラを生かそうとしなければ、ネールラは滅びるんだ。ついでに私の命も消える」
「・・・・・・あなたは、なかなかの策士のようですね」
「まさか」
 女は弱った声で笑い飛ばした。



 セントラルホールに入ると、ネールラの太い幹のくぼみに腰掛けた少女の姿が目に映った。
 目を閉じ、眠っているようにさえ見えたが、近づくとはっきりまぶたを持ち上げた。
「ネールラは、あなたの決定に従うと言ってるよ。エルネルラ・キア。あなたがアス・イア・ネールラだから」
 少女は、何を、とは言わなかった。
 少女の微笑みに迷いはなく、気の強さを垣間見せた。そして彼女がネールラを振り返る。
 それが合図だったのか。樹の幹から透けて出るように、ネールラが現れた。――樹が人の姿を真似た仮の姿である。これは木霊と呼ばれ、ネールラの場合は妙齢の女性の姿をしていた。
 ネールラはまっすぐ私のほうへ歩いてくると、三歩手前でとまった。
 そして。
「私は、この世界を丸ごとあいしてるの。選ぶことはできない。選ぶことをあなたに頼らねばならないわ。・・・ねぇ、これをエゴだと思う?」
 ネールラは首をかしげ、泣きそうな顔で笑った。
 私は何も言えない。私では、結果的にそれを肯定することしかできない。ネールラが最も愛するものを選べないことに罪はないと知っていながら、それは何故だと問い詰めてしまうだろう。
 だが、ネールラが一族のマナと呼んだ少女は一片の迷いなく、ネールラの手をとり、首を横にふった。
「エゴイストなんて言葉は、人間のものだ。都市樹には関係ない。都市樹の感情や行動を、人の言葉で表そうとするからゆがみが生じる。あなたはあなたの思ったことを大切にしていればいい」
 少女がすっと息を吸う。
 そうして響いたのは、弦をはじくような心地よい音だった。

「イ ノエ。 ルイ アーノ ――エーマリーサ、エル、ネールラ」

 それは樹の言葉だった。樹たちの持つ音と言ったほうが近い。
 耳が良い優れた歌い手などには、これを理解し、かなり近い音で真似ることができる者もある。そんな彼らが共通して言うことがある。――「これは言葉ではなく、歌だ」と。
 少女が響かせたそれは、確かに歌というにふさわしかった。
「世界の全てを愛しているからこそ、選択しなければ世界全てが滅びることになるんだ、ネールラ。それは事実だよ。――人の言葉に置き換えてしまえばね」
 ふと、セントラルホールに光が差し込んだ。東の窓から、ちょうどまっすぐ光が差し込む時間、――それは人が活動し始める時間だった。朝を告げる鐘が鳴り響き、畑へ行く人々が挨拶を交し合い、活気が満ちてゆく。かつてはそんな光景が見える瞬間があった。
 人々が幸福に包まれた朝はネールラも幸せそうで、そんなネールラを見て私もうれしくなったものだった。
 それを思い出して、私は心を固めた。
「ネールラ」
 呼びかけると、ネールラは無言で私を見た。
「あなたが世界を愛するのと同じくらい、私はあなたを愛してる。だから、あなたがヒトによって苦しめられる姿を見て痛くなかったんだ。――でも私は、それでもあなたに生きていてほしい。住処云々じゃなくて、すべてを慈しむあなたを愛しているから」
 ヒトに滅ぼされようとしながら、それでも市民が避難し街が閑散としていく姿を悲しんだネールラ。
 ただ一人私が残ったとき、民が残っていることを喜びながら、私の命を守りきれないと嘆いたネールラ。
 どんなに説いたって、相手を思うだけでは救えないことを伝えられなかった。それがなぜか、私は、本当はとうの昔に知っていたのだ。
「きっとはじめから言えばよかったんだ。――ネールラ。あなたがヒトの死を悼むように、私はあなたがいなくなったら悲しい。傷つき弱っていく様を見せられると、泣きたくなる。あなたが本当に幸せになるために、私は何をすればいい?教えてほしいんだ。そうしてくれなければ、私は悲しい。
 そして、それはおそらく、――私だけじゃない」
 いつか鴎が舞う都市になれと願いをこめて、初代の市長はネールラを「飛鴎都市」と呼んだ。ネールラが大きく成長し、繁栄が続いていけば、海に近いここならばその可能性はある。
 彼らは願っていたのだ。ネールラの繁栄を。ネールラが幸せであること、ネールラの市民が幸せであることを。
 その願い、私たちはどこにそれを置き忘れてきたのだろうか。
 そしてそのためにするべきことを、いつ見失ったのだろうか。
「まだ取り返せると信じさせてくれないだろうか。希望に満ちた、あなたの歌で満ちるこの街の朝を」
 まずは私が痛みを受け入れるべきだ。そしてネールラ市を愛する人々が痛みを共有しなければならない。
 そうして、ネールラに伝えよう。
 ――私たちが願ったものを。





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