O6 「氷雨」(中)






   互いの息がこれ以上なくあがり、汗だくになったところで、至輝が休憩を切り出した。
 透はお茶を貰ってくるといって去った。
 疲れきった二人は、その場に座り込んだ。
「・・・すみません、腕がやはり痛みますか?」
 利一が謝ると、至輝はふっと笑った。
「たいしたことはない」
「あまり加減が出来ませんでしたから、軽いとは思えないんですが」
 一応、長いこと剣道をやってきた。だから、手に伝わる感触で、相手にどれだけのダメージがあったか、大体判る。
 幼い頃に、言われるままに道場に通い、小学校の半ばになると祖父の営む道場に行かされた。もちろん当時は春日の存在など知らなかったわけだが、祖父の道場は今主流の竹刀剣術だけではなく、木刀を使っての練習も多かった。木刀と言っても、現在使われる剣道型の練習ではない。実際に打ち合って、痛い目に遭って上達していくという、かなり乱暴な練習法だった。
「すみませんでした、シップを貼りましょうか」
「いい。大丈夫だ」
「――至輝さま。無理はよくないっすよ」
 口を挟んだのは始終無言だった現一だ。
「腕の上げ下げだけで、かなり痛みがあるでしょう?おれの目はごまかせませんって」
「・・・・・・いつもの事だが、おまえは余計なくらい目敏い」
「はっはっは。至輝さまはむかっしっから強がりですからねぇ。付き合い長い分、強がり言うときの口調とかもわかっちゃうんっすよ」
「・・・・・・けっ」
「おれがシップ持ってきますよ。お二人とも休んでいてください」
 現一は忍びとは思えないほど足音を立てて、道場を出て行った。
 その姿を見送り、利一は大きく一度肩を上下させて、息を整えた。
 至輝のほうも、持久力と回復力はあるようだ。上がっていた息も整いつつある。
「――おまえ、現一と、勝負したことあるか?」
「――?いいえ。言葉すら、ほとんど交わしたことがありません」
「あれは透の上を行く。透の強さは努力だし、おまえの強さもどちらかと言えば努力だ。だけどあれは、生まれ持ったセンスで戦う。つまり、天才だ」
「わかるんですか?天才か、そうでないかが」
「おまえだってやればわかるさ。――だけど、遊び半分で木刀なんかでやるなよ。あっさり腕を折られる」
「・・・・・・まあ、春日の道場ならめずらしくなかったことですけどね」
 竹刀で叩いても骨は折れない。だが、木刀で打ち合う練習がある春日の道場では決して珍しくなかった。
 現一も間違いなく春日の道場へ通っていたはずだ。きっと彼は、あっさりと人の腕を折るのに慣れているのだ。
「おまえ、現一とやりあう事になったら、勝てるか?」
「・・・さぁ、」
「竹刀や木刀じゃない。真剣だ」
「・・・・・・さあ?一つ言えるとすれば、彼は実践を知っている。わたしは、知りません」
「はんっ、それでも若頭か?」
「正確には跡継ぎ候補です。春日はわたしのことを正式に認めていません」
「そんなのが由布を守りに来たのか?」
「実力が足りないわたしを補うために、十家のフジがいます」
「フジ?なんだ、あいつ来てたのか?」
 拍子抜けするような発言をする至輝。利一は思わず目を丸くした。
「わたしがここへ来た日、玄関でも廊下でも、フジは一緒に居ましたよ」
「は?おまえは確か女といただろう」
 真顔での至輝の発言に、利一はようやく彼の勘違いを理解した。
「・・・・・・すみません、至輝さま。あれフジです」
「どういうこった?」
「十家は代々変装を得意とするってご存知でしょう。それが行き過ぎたのか当然なのか、女装するんです、フジは。見知った人間が見ても、別人と判断することが多いんです」
「・・・・・・。うっわ、なんだそれ」
 至輝は視線を明後日のほうへ逸らし、げっそりした表情で唸った。
「あの、・・・落ち込まなくていいですよ。みんな、間違えますから」
「いや、反省を兼ねて落ち込みたいからそうさせてくれ」
 至輝はしばらく無言だった。本当に、落ち込んでいるらしい。妹である由布姫とは対照的と言っていい反応だった。
 やがて立ち直ってきたのか、力なく笑って、こちらを見た。
「おまえは、・・・由布を守れるのか?」
「守ります」
「現一より、フジより弱いのに?」
「それでも―――その時その瞬間、何が強さで何が勝利に繋がるかは変わります」
「少なくとも弁は立つらしい。――二言はないな?」
「ええ」
「それならいい」
 至輝は大きく息を吐いて、木刀を投げ出した。そのまま立ち上がり、利一に背を向けて出口へと向かう。
「至輝さま?」
「おれの用は済んだ。ショックなこともあったから、もう寝る」
 それは間違いなくフジの事だろう。
「――利一。おれはおれの父のように春日とうまくやっていく自信がこれっぽっちもなかったが、おまえが頭領になるなら、やっていける気がする」
「うれしいですね。でも、まだ候補でしかありませんから」
「期待はしない。でも、望みが持ちたい」
 至輝が引き戸を開ける。
 がらがらと音を立てて開いたドアの隙間から日の光が差し込み、それを背中に浴びて、――フジが立っていた。
「あ、至輝さま失礼。――うちの若頭を迎えに来ました」
「・・・・・・っ!!フジ!!」
 目にも留まらぬ早さで至輝はフジの胸倉を掴みあげる――至輝の身長はフジと同じくらいある。
「なんですか、んなに驚いて。昨日も一昨日もその前だって会ってますよ」
 フジがこの屋敷に来て女装の日が多いと思ったら、どうやら至輝をからかう意味が強かったらしい。
「おまえあの格好はどういうつもりなんだ、おい。答えてみろ。四百字詰め原稿用紙三枚で簡潔に」
「あらなに。今更あたくしの正体に気づきましたの?」
「気っ色悪い。男の格好でそんな声出すな、だまれっ」
「なんでそんなにお怒りなんです?あ、もしかして女のあたくしにちょこっと惚れてましたぁ?」
「とにかくっ、説明してみろ」
 至輝は声こそ抑えているが、拳がぶるぶると震えている。
 反対にフジは面白くて仕方がないのを必死でこらえていた。
「それにはまず部屋に戻り財布をもって文房具屋へ原稿用紙を買いに行くところからはじめなければなりませんがよろしいですか?」
「真綾が現役小学生だ、それくらい持ってる。あとで透にでも届けさせるから、丁寧に清書したものを出せ」
「わたしが悪筆だってご存知のくせに。清書なんて無意味ですよ」
「気持ちだ気持ち。とにかくおれが読めるものを寄越せ」
 至輝はフジを突き放すと、けっ、と舌打ちしてその場を去っていった。
 フジはそれを見送って、けらけらと笑いだす。
「おっもしろ〜」
「おい、おい、おい、おい」
「生真面目な若君だから、からかうと面白いぞ。いっぺんやってみろ」
 フジは乱れた浴衣の襟を直しながら言う。
「いっぺんって、おまえのは何年がかりの仕込みだよ・・・・・・」
 即答で五年、と返ってきた。
 これ以上この話題を続けるにはあまりに至輝が憐れなので、利一は無理やりに打ち切った。
「・・・で、何だよ。わざわざ迎えなんて」
 とたん、フジの雰囲気が豹変する。――男でも女でもない、緊張に包まれた、あの瞬間。
「持ってろ」
 無理やり握らされたのは、脇差だった。
 どんな銘があるのかは知らないが、それは言葉には表せない重量感がある
「フジ、だからおれは、」
「じじさまの言うことは正しいんだろう。だけど、それも時と場合に寄る。――考えてみろ。なんで透と現一が同時に席を外すんだ?姫の警護に来た人間と若君を二人っきりで置いておくのは普通か?おれなら絶対にやらない」
「・・・何が言いたい?」
「若君の剣術指南?笑わせるな。――春日に守られてる若君が愚かにも策を練ったのかもしれないが、その相手は春日を知らないおまえだ。二人そろって透と現一に殺されるつもりか」
「何のことだよ!」
「剣を持て、利一。振り回されたって、生き残れるならそれでもいい」
「フジ!ちゃんと説明してくれ!」
 フジの目が鋭く光る。彼は手に持った脇差を鞘から抜き放つ。
「ああ説明してやる。――おまえは、春日がいかなるものか理解してない。目を開いて周囲を見てみろ。言われなくたって、こんなもの感じ取れるだろうが。周囲がよく見えたなら武器を持て」
「・・・・・・っ、」
 刃が利一の首に押し付けられていた。ひんやりとした感触は、体の底から恐怖を呼び覚まし、腹から全身へと広がっていく。
「おまえ、死ぬぞ?」








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