O5 「氷雨」(前)






 台風が近かった。空は晴れていたが、風とそれが運ぶにおいはもうすでに嵐のものと同じだった。
 人気のない廊下に、風が吹き抜ける。――なんとも言えない、不安を呼び起こす。
『あのねトシ、剣道部の顧問の先生が電話して来たの。個人戦は学校側に取り消しされたけど、団体戦に出てくれないかって。もう停学も解けてるし、行きなさいよ』
「おれナシでも地方大会勝ち残ったってことだろ。勝ち抜き戦じゃないんだ、おれ一人で勝負が左右されたりしねぇよ」
『・・・・・・、それと担任の先生も電話してきたわよ。補習にでていらっしゃいって。補習さえ出れば、先生も卒業だけはできるようにフォローしてくれるって』
「そりゃ退学させるより卒業させたほうが、外聞が悪くないからってだけの話だろ。おれ自身のもだけど、学校側の外聞がさ」
『またそういうことを!とにかく、帰ってきなさい。まだ、親戚とやらのところなの?』
「うん」
『もう一週間にもなるじゃない。ご迷惑だから、さっさと帰ってきなさい』
「こっちにもいろいろあるのさ。陸海がなんやかんや言うことじゃねぇよ」
『お姉さまだっつってんでしょうが!』
「んなおっかねぇお姉さまなんかいらねぇよ」
『あ、そうだ』
「なんだよ」
『あんたが怪我させた子、昨日うちに来たわよ』
「島崎が?なんで?」
『あんたに謝りにって。こっちが恐縮しちゃったわよ。お互い様だとは言え、おっきな怪我させたのはトシの方なのに』
「そっかぁ・・・。その情報に関してだけは礼言うよ、陸海」
『お姉さまよ!』
「ばいばい」
 携帯電話をぱたん、とたたむ。
 この電話が、箱庭と正常な世界を結んでいる。それは酷くもろい気がしてならない。
 長く息を吐いたところに、人の気配を感じて振り返る。
「――足音立てずに背後から近づくのは止めて欲しいな」
「あら、別にそんなことしたつもりないですよ?」
 袴姿の少女がそこには立っている。――三船透だ。
「どうしたんだよ透。そっちの仕事は至輝さまの警護だろう」
「その若君がお呼びなんですよ。春家の者を呼んで来い、ですって」
「なんだそれ。おれなにも怒られるようなことはした覚えないんですが?」
「あははははっ!べっつにそういう意味でお呼びってわけじゃないですよぉ!」
「あ、そうなの。けど、おれ一応姫の警護に来てるんで傍離れるの無理ですって伝えといて」
「ふっじ〜っ!若頭借りるわよ!」
 透が奥へ向かって叫ぶと、ひょっこり男装――それも浴衣姿のフジが現れた。その腰には、脇差。あまりに当然のようにあるので、少し戸惑う。
「んだよ、姫が今読書中だから静かにしろよ」
「あ、フジ今日は男だ〜!かっこい〜っ!」
「ふっ・・・当然だけど褒められて悪い気はしないさ」
 どういう意味があるのかは知れないが、最近のフジは女装が多い。中身は変わらないから、利一はどちらで居てくれてもかまわないのだが。
「で、フジ。うちの若君が呼んでるから若頭貸して」
「あのな、透ちゃん。はないちもんめじゃないんだから、んなあっさりと」
「だって、若君の命令なんですよぉ〜」
 ぷう、と頬を膨らませる透に、フジは頭を抱える。
「・・・ったく、おまえかわいい事してるつもりなんだろうが、そろそろ無理があっぞ。年齢考えろ」
「しっつれいね!わたしまだまだぴちぴち十八歳よ?」
 フジのため息。
「――いい。トシ行って来い」
「なんだか身売りの気分なんですが」
「生贄とも言うなぁ」
「んなに透が嫌いかよ」
「騒がしい女はもてないんだよ。覚えとけ透」
「なによぉーっ!女装の自分が綺麗だからって!」
 確かに、見た目だけならフジの女装時のほうが美人である。
 透が騒いでいると、奥から畳と布のこすれあう音がして、徳美が現れた。
「何か騒がしいようですが、どういたしました?」
「なんでもないっ。――行きましょ、若頭!」
 透は利一の腕を、両手で掴んだ。透に引っ張られて数歩行く。徳美は静かな声で、問いかけてきた。
「利一さま?」
「あー、詳しい事はフジに聞いて」
「待てトシ、これ」
 腰に差していた脇差を鞘ごと外し、利一のほうへ投げて寄越した。
「・・・なんで?」
「透と現一に不意討ちされるなよ」
「はぁ?!」
「あり得るから。――なあ、透」
 はい、とにこやかに透は返事を寄越す。やはり春日という一族は常識では測れない。
「・・・・・・なんっつーかなぁ・・・」
「おまえいい加減にこっちの常識に慣れろ」
「・・・・・・でも、いらないよ」
「おいトシ、あのな、」
「じじさまが、武器に振り回される人間は哀れで醜いって。使いこなせる時まで、おまえは持つなって。おれは、たぶん、まだ振り回されるから」
「・・・・・・・・・、じじさまの、仰ったことなら仕方ない」
 フジは呟くように言って、利一と透に背を向けた。


「あのさ、透は徳美さんのこと嫌いなのか?」
 特に気負うことなく聞いてみる。透はそんな利一に笑って答えた。
「あははっ!若頭って普通聞きにくい事あっさり聞きますねぇ」
「別に・・・聞きにくいとも思わなかったけど」
「嫌いですよ。当主のクセになーんにもしないし、知らないし。でも他の当主たちは徳美に甘いし。それに真面目すぎて融通きかないし冗談言っても笑わないし、大っっっ嫌いです」
 基本的に透は底抜けに明るい。徳美と対面した瞬間にあれほど冷たくなる彼女が、未だに信じられない。  透との付き合いは中学時代の剣道の大会からである。決して接点は多くなかったが、性格を大きく見誤るほど浅い付き合いでもない。
 それともこれが、彼女の春日での顔なのか。
 そう考えると、春日と言う場所に不安を感じる。
「そこまで言うかなぁ」
「大嫌いなんですもん」
 透はそっぽを向いた。
 宮野の敷地は広い。それは知っていたのだが、まさか道場があるとは思っていなかった。
 道場はそれほど大きいものではない。剣道の試合用のコートが余裕を残して一つとれるほどだろう。
 中では濃紺の剣道着を着た現一と、同じく剣道着の至輝がいた。
「お呼びでしょうか」
「おまえ、強いそうだな」
 至輝の持っていた木刀は、真っ直ぐ利一の眉間を指した。
「それは――なにを基準にするかで大きく変わります」
「透には勝てるだろう?」
「竹刀の試合では、確かに一度勝ちました。それきりです、今はわかりませんし、得物が変われば勝負の結果も変わるでしょう」
「おれはここ三年、透に一度しか勝ってない。数え切れないほど試合を重ねたけれど」
 至輝は傍らの現一から木刀を受け取ると、それを利一の方へ投げて寄越した。
「ご指南願おう、春日の若頭」
「恐れ多い。――それとは別に、剣の道を問うなら傍らにいる者にお聞きになればよろしいでしょう。そのほうが早い」
「これは天才だ。あてにならない」
「・・・確かに、」
 利一は正面に木刀を構えた。――これも道具だが、試合ならいい。
 現一と透が隅に避けて、至輝と向かい合う。
「防具はよろしいのですか?」
「加減してくれ」
「・・・善処します」








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