O3 「空蝉」(前)




 一瞬、ぞくっとするほど冷たい風が撫でていく。低い角度から差し込む太陽は、その冷たさをすぐには忘れさせてくれない。
 屋敷を囲む、高い壁が見える。外から見ると、立派な屋敷だと感じさせるそれは、内側からだと印象を変えた。――まるで、箱庭だ。
『―――ねぇ、一度くらい家に帰ってきなさいよ。母さんがまた学校に呼ばれたの。帰ってから一言も口聞かないのよ。本家のことも学校のことも、あんたなりに考えがあるなら父さんと母さんにちゃんとはなしてみてよ』
 箱庭の中でも、姉の声は現実味を帯びている。地に足着いている感じが、なんとなく安心感を誘う。だが。
「なぁ陸海」
『お姉さまとお呼び』
「もう切っていいかな」
 説教と言うものは、あまり長く聞いていたいものではない。陸海の高い声でならなお更だ。
『ふざけんなっ!――だいたい、あんた今、本家で寝泊りしてるんじゃないの?昨日電話したら、お祖母さんにあんたは本家にいないって言われるし』
「あー、うん。春日の親戚んとこ」
『親戚って・・・・・・うち全然付き合いないでしょ?』
「じじさまのうちにいれば、付き合いくらいでてくるよ。誰かにかわろっか?」
『いい、いらない。・・・・・・あんた、ほんとに帰ってこないの?』
「そのうち帰る。それじゃ」
 通話を切る。いつも一方的に切ってしまうのに、陸海は毎日のように電話をかけてくる。怒ってはいるが、けれど愛想つかした様子がない。自分の姉ながら、出来た人間だと思う。
 廊下の軋む音が聞こえてきた。見れば、フジが近づいてくるところだった。久しぶりの男装である。爪に塗っていたマニキュアも落としている。
「よっ、おはよ。――今日もリクがかけて来たのか?」
「ああ。――今日おまえ、男なんだな」
「女だと朝の支度に時間がかかんだよ。飯食ってからにする」
「結局女になるのか」
「ま、正直あっちのほうが好きだからな」
 今のフジは誰が見ても美形と評される男だ。付け毛を取った今、梳かした髪が肩につくかつかない高さで、風に踊る。男装でも、化粧はしている。より男らしく見えるように、そして女のときとは別人に見えるようにしているそうだ。そんな努力の甲斐あってか、男女のフジを別人と判断する人は少なくない。
「とにかく飯の準備が出来たそうだ。食いに行くぞ」
「まさか百家の者が給仕してんじゃねぇだろうな?」
「そのまさか。寿子がいるから平気だろ」
「ああ、百家の当主ね。――じゃあ、安心していいのかな」
 携帯電話をポケットにねじりこみ、フジに案内されて座敷へと移る。
 畳の広い部屋にはすでに徳美の姿があった。今日もしわ一つない袴姿である。
「おはようございます」
「おーはよー」
 フジは座りながら適当に挨拶を返す。
「おはようございます、徳美さん」
「トシ、お前の席はこっち」
 適当に座ろうとした利一を、フジが呼び止めた。フジはぱんぱん、と手で座布団を叩いて、場所を示す。
「お前が一番上座。いつも言ってんだろー?」
「フジ、どうしてあなたは若頭に対する言葉遣いが乱暴なんですか?!」
 一晩たっても、やっぱり徳美はお堅い。
「トシがそれでいいって言うから。――安心しろよ、他のやつらの前ならちゃんと体裁を繕ってる」
「しかし・・・」
「ぐだぐだ言うなよ。朝からうるさいっつの。――ほらトシ、こっち」
 男女で人への応対まで変わるとは、たいした演技力だ。利一は大人しく示された場所へ座りながらそんなことを思った。
「おはよーさーん」
 男の声がして、品なくふすまが開いた。入ってきたのは二人、昨日至輝の後ろに控えていた、良家の現一、そして三家の透だ。
「やー、今日も暑くなりそーっすねー」
 どかどかと足音をさせて入ってくるのは現一、その後ろから不機嫌な顔で入ってくるのが透。
「って、おや?わわわわ!ごめんなさい、若頭いらっしゃったんっすね」
 現一は、利一の姿に慌ててかしこまって挨拶をする。後ろにいた透もそれに倣った。
「おはようございます、若頭。昨日はご挨拶ができませんで、失礼を。羽良の現一でございます」
「あ、おはようございます」
 二十代も半ばといったところだろうか。立派な体格で、徳美と同じく袴姿だ。
 もう一人、透は利一と同じ年。決して身長は低くないのだろうが、並んだ現一に圧倒されてしまう少女だ。こちらは洋装で、タンクトップに丈の短いズボンという格好だった。
「おはようございますっ!お話しするのは春の大会以来ですね〜!――って、現一っ!ここはわたしが先に挨拶するべきでしょうがっ!だいたいあんたはいっつもいっつもわたしの前を歩きやがって!三船(みふね)のほうが上だっつって何度言わせんのよ!」
 透は後ろから、おもいっきり現一の頭を叩いた。べしっといい音が響く。
「いってぇな!なにすんだこのアマ!」
「レディに向かってアマとは何よ!」
 そうして喧嘩が始まる。春日の上位となると、喧嘩は派手で、武器を使わないながらも殴って蹴ってそれを避けて、さらに口でののりしあいをするから見ていて聞いていて面白い。
「なんだ、トシ。透と馴染みだったっけ?春の大会って何の大会?」
「剣道だよ。学校は違ったけど、昔っからお互いに大会で見知ってたんだ」
「へぇ。妙な縁だな」
 喧嘩を治めたのは、屋敷の中で付き合いが長いであろう徳美だった。
「お二方、おはようございます」
 それだけ言うと、二人の手も足も口もぴたっと止まり、
「おはよー、ナルちゃん。今日も美人だねー。フジもおはよ」
 現一がナンパするようなノリで挨拶する。一方の透はにこやかに。
「おはようございます、フジ。今日は男なのね」
「あとで女になるけどな」
「えーそうなのー?ざーんねん」
 利一は訝しく思ったが顔には出さなかった。――今透は、徳美に挨拶を返さなかった。わざと無視したように見える。
「あれ、そういや現一。おまえ、謹慎処分じゃなかったっけ?」
 自分の席につく現一に向かって、フジが問うた。
「一昨日解けて戻ってきた。いやー、今回はこってり絞られたわ」
「いい加減にしろよな、うちの親父が呆れてたぞ。何度も何度も・・・わざと規律破ってんだろ、って」
「あっはっはっは、気にすんなや」
 二列で向かい合うように配置された座布団と膳だった。利一はなんとはなしに、席順を見る。――利一、フジ、透、現一、徳美。これが、家の順位を表しているのだ。
 ふと、徳美の向かいに空席があることに気づいた。
「・・・・・・誰か一人、いないのか?」
「弓弦だろう。なんだ、今日はいないのか?」
 フジが答え、詳しいことを知らないかと問いかける。
「昨日遅くまで部屋に明かりがついてた。まだ起きてないんだろ」
 現一が答えた。そしてフジが苦笑する。
「あいつと一緒なら食べないところだった」
「相変わらず嫌ってるのね〜」
「おれからすると、おまえらの方が信じられねぇよ。なんで毒まみれのやつと食事を一緒に出来るかな」
「慣れよ、慣れ」
 透はからから笑いながら言う。フジは、釣られて笑ったりはしなかった。
「頼むから、利一をあれと一緒に食事させるなよ」
 下座の入り口付近に控えていた女性が一つを残して席が埋まったことを確認して、廊下へと出て行く。しばらくたって、お盆に載せられた食事が運ばれてきた。
 運ぶのは百家の者。昨日応対に出てきた百家の萩子と煌子、そしてその二人の姉の孜子(まきこ)だ。下座に控えて指示を出すのが当主寿子(かずこ)である。
 姉妹は無言で配膳し、終わると下座に座る。
 それが食事の合図のようで、皆が箸を持つので利一はそれに倣った。
 味噌汁に白いご飯、添えられた漬物。中央に焼き魚。品数も量も少ない。その分夜の食事には手間がかけられている。
「相変わらずだな、ここの朝飯は」
 フジがぼそっと感想を漏らす。すると現一が笑う。
「慣れたらいいもんさ。実家帰ると、朝はパンで済ませるから、どうもエンジンかかんなくて困る」
「椀物の具は毎日変わりますよ。漬物も魚も季節によって変わります」
 徳美が口を開くと、その隣にいた透がむっと顔をしかめたように見えた。
 連動するように、フジの表情がすっと消えた。
 この場にいるムードメーカーといったらフジである。現一もそうと言えなくはないが、フジほど器用に立ち回る人間だとは思えない。
 利一は雰囲気が最悪になる前にこの場を去ろうと、味噌汁をかきこんだ。
 だが先にフジが、半分ほどしか食べていないにも関わらず、箸をおいた。
「孜子、お茶」
 そちらを見もせずに、低い声で命令する。
 こういうとき、フジは上に立つ者なのだと思う。
 春日に馴染みなく育った利一はこんな風に振舞えない。上に立つことない百家の方が、気が楽だ。下働きの家を継ごうとは思わないが。
 呼ばれた孜子がするすると近づいてきて、お茶を注いでフジに渡す。フジは無言で受け取った。
「おれも」
 情けない話だが、フジに置いて行かれると困る。利一は出された全てを平らげて、言った。
 ちらり、と孜子の鋭い視線が利一を射抜いた。決して色恋沙汰のような熱いものではない。
「――萩子、お願い」
 下座に控えていた萩子が無言で立ち上がり、孜子と入れ替わるように利一の前にやってくると、お茶を淹れた。愛想なく淹れるならまだよかった。注ぎ終わって、湯飲みから顔を上げた萩子は喧嘩を売るような目つきで見上げた。
 利一は睨み返したりしなかった。代わりに手にした湯飲みを落とした。――それは、萩子の膝と手にかかる。
「――きゃぁ!」
 からん、と湯飲みと急須が音を立て、畳の上にお茶がしみを作る。
「萩子!」
 下座に控えていた姉妹の母、寿子が悲鳴を上げた。
 利一は冷めた目でそれを見つめながら、やってきた寿子に告げる。
「わざとこぼしたのか?」
「嘘言わないで!わざとはそっち・・・」
「萩子!」
 叫ぶ萩子を寿子がきつい叱責で黙らせた。
「申し訳ありません。お怪我のほうは・・・」
「いい。百家の者なんかに触られたくない」
 それだけ言い残して場を立ち去る。
 廊下に出た利一の耳に響いてきたのは蝉の声だった。もうそれほどに温度は上がったのだ。
 蝉と暑さにイライラしながら廊下を行く利一の後ろから、フジが追いついた。
「あいつ、なにやったんだ」
 横に並んだ彼が尋ねてくる。
「睨んできた」
「それだけ?」
「あからさまに喧嘩売ってきた。おれはそれを買っただけだ」
 ぶっきらぼうに言い返す利一だったが、フジは逆に笑いをこぼした。
「んだよ、フジ!」
「いや。よくやった。隙見つけたら、今後もやってやれ」
「・・・・・・」
 フジからの褒め言葉を聞いているうちに、だんだんと自分のしたことが思い返された。
「うわー・・・・・・」
「どうした?後悔か?」
「あー・・・いや、おれにしては抑えた対応だったかなぁと」
「やり方としてはちょうどいいぞ」
「ああ・・・うん・・・・・・」
「なーに落ち込んでんだよっ!」
 後ろから、フジが首に腕を巻きつけてきた。
「お前は間違ってない」
「ああ・・・・・・」
 一度きつく目を閉じる。その行動で過去が消えるわけでも、忘れられるわけでもないのだが。
 後ろから、小走りに足音が近づいてきた。
「利一さま、フジ」
 徳美だ。
「よぉ徳美。さっきのトシの武勇はどうよ?」
「驚きました。百家の萩子は、ここのところあまりいい態度ではありませんでしたから、思い返す良い機会になりましょう」
 心から頷く徳美の姿に、自分の中のわだかまりが大きくなる気がする。
「・・・・・・、ごめん、一度部屋によって行く」
 そう言って、二人の前から足早に去った。


「・・・・・・利一さまは、人の上に立つことが苦手なのでしょうか」
 利一が去った廊下を見つめながら、徳美がぽつんとつぶやいた。
「春日で育ってないからな、慣れない感覚だろ。――だけどさっきのは、たぶん違う」
「違う?」
 フジは顔をしかめた。利一のことをどのように言えば徳美にわかってもらえるか、すぐには言葉が見つからなかった。
「・・・あいつ今、高校で停学くらってる」
「ええ??」
 そこまで言ってしまったのに、やっぱり言葉が見つからない。
「――なぁ徳美。この春日と宮野の世界を出ちまったら、殺すどころか殴るだけで悪なんだよ。おれたちになーんの美徳もなくなっちまう。おまえが腰に下げてる刀だって、立派に法に触れる」
「しかし・・・これは姫を守るために必要です」
「暴力は悪。だから身を守る武器も持てない。――トシはそんな世界で育ってる。だけど、あいつはあっち側の世界に馴染めなかったらしい」
「あの・・・フジ。それなら、利一さまは春日に来てよかったのではありませんか?」
「よかっただろうさ。でもあいつの中の常識は、やっぱあっちの基準で、春日のやってることが良いようには見えない。同じように、自分がいい人間には思えない。たぶん、そーゆーことさ」
「はぁ・・・・・・ジレンマ、ですかね」
「なんにしろ、自分でどうにかするしかないからな。おれたちは手の出しようがない」
「手を出したくてうずうずしているように見えますよ、フジ。気に入っているんですね」
「まぁね」
 フジは照れ隠しに吐息で笑った。
「――じゃ、おれも部屋に一度戻ってから姫のところに行く。徳美は?」
「わたしは特に私用がありませんから、すぐに向かいます。では・・・」
 徳美は一礼して、フジと道を別れた。







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