O2 「異人」(後)
ふすまは開けたままだったが、部屋に入る手前で桂也乃は止まり、部屋の主に声をかける。やや間があって、若いがしっかりとした印象の声が返ってきた。
桂也乃に先導され、部屋の中に踏み入る。ふわり、と甘い香の匂いが鼻をくすぐった。これは春家の屋敷でも祖母が使っていた香、――白梅だ。
「姫さま、春家の利一さまと十家のフジさまがお見えです」
返事はなかった。だが、部屋の主である少女がいた。彼女も和服姿だが、百家の少女や桂也乃と違って涼しげな浴衣姿である。
明治以前の書生が使うような机があり、少女はそれに向かっている。――本を読んでいるらしい。
傍に控えている、二十歳前後と思しき袴姿の女性――おそらく、紘家の徳美――が一言二言少女に何か言って、少女は初めて顔を上げ、畏まる利一たちに視線を移した。
「ああ――、暑い中、大儀でございました」
「――春日の利一と申します。当主議会より、姫の身辺警護を申し付けられております」
舌をかみそうになりながらも、覚えたとおりの台詞を言う。敬語を使い慣れない利一にはこれが精一杯だ。
そんな努力も結果の拙さも、少女は構った様子がなかった。
「利一・・・春日の孫なのね」
「はい」
利一と少女の挨拶が一通り済むと、フジが体を心持前に寄せて、一礼する。
「ご無沙汰しておりました、姫」
少女は眉をひそめた。
「誰かしら?十家には息子が一人、と聞いておりましたが?」
「それがあたくしですわ、姫。――以前もお会いしました。フジでございます」
「ふぅん・・・」
感慨なく、少女は頷いた。今までフジの女装に対するいろんな反応を見てきた利一だったが、ここまで無関心に流されるのは初めてだ。この少女は驚かないのだろうか。
「もういいです。下がってください。――徳美も、下がって」
「はい」
袴姿の女性が返事をする。やはりこれが、紘家の徳美らしい。さきほどふすま越しに返事をしたのもこの徳美のようだ。
徳美は少女に一礼すると、こちら側――下座にまでやってきた。利一とフジに会釈し、少女に向かってかしこまる。あまりに滑らかな所作で彼女が彼女の右側に置いたのは、刀。利一はぎょっとするが、声には出さなかった。
少女は並んだ三人を見つめた。
「春家に十家、――上位の家がしゃしゃり出てくるなんて思いも寄りませんでした。誰かがわたくしを殺したいなら、そうしてくれていいのに。春日のご老体は本当におせっかいだわ」
「姫さま、何を仰います?!」
「いいのよ、桂也乃。――利一、フジ。帰ってくださったって結構よ。わたくしが死んだところでだれも困りませんから」
少女はそれだけ言うと立ち上がり、上座の出口から部屋を去っていった。あわてて桂也乃がそれを追い、三人は部屋に残された。
「利一さま。――お初お目にかかります。わたくし、紘家を預かります者、紘生徳美と申します。任務のため姫さまのお傍を離れられず、ご挨拶が遅れましたこと、おわび申し上げます」
「えー・・・・・・」
紘生(ひろお)徳美――通称「紘家」の当主徳美の時代がかった大層な挨拶に、利一は心も体も引き気味だった。なんと返答していいのかわからず、フジに助けを求める。
「フジ・・・、なんでこんな時代錯誤なんだ」
「タイムスリップでもしたんじゃない?」
あっさりとフジは聞き流した。
「フジ!若頭にむかってなんという口のきき方・・・」
「カッカしないの。ナルちゃんみたいな固い喋り方に、利一は慣れてないのよ。あんたも家臣なら君主に合わせてあげなさいよ」
「しかし・・・・・・」
言葉遣い一つでここまで熱くなれるとは、本当に時代錯誤だ。
「あの、徳美さん。おれは春日を継いだわけでも、継ぐと確定したわけでもないんで、敬語は必要ないですよ」
「ほーら、トシちゃんも言ってるじゃない」
「フジ!――しかし利一さまっ!」
「ひょっこり現れた何にも知らない跡継ぎになんて、敬意を払う必要ないと思うんですけど」
「それは違います。利一さまはじじさまの直系のお孫さま。その尊き血だけでも、あなたさまは次代の頭となるべき資質があるのです」
「えー・・・」
なんと反応していいのか迷っている横で、フジはマニキュアを塗った綺麗な爪をいじっている。そしてこちらを見ずに吐く言葉が、
「ナルちゃん、その子バカだから、あんたの言ってること半分も理解してないわよ」
「バカ扱いすんじゃねぇよ!」
「フジ!いい加減にしてください!」
「知ってるの?トシちゃんってば去年留年の危機だったんだって」
「ばらすな、フジ!」
「本当なのですか、利一さま!」
「本当ですけど、なんか徳美さんにそういう反応されると釈然としません」
「・・・・・・申し訳ございません。利一さまに限って、・・・きっと特別な理由がおありでしたのでしょう」
「いえ、成績やばかっただけです」
「無理してレベル高い学校に入るからそうなるのよ」
「・・・・・・」
フジに負けじとあっさりと言ってみたが、自分が惨めになっただけだった。徳美の反応にも傷つく。
「ちょっと利一。徳美がショック受けてんじゃないの」
「この話の流れは間違いなくフジが作ったと思うんだけどな」
「あら失礼ね」
まだまだ口喧嘩は発展しそうな勢いだったが、廊下から聞こえる足音に、三人ともが反応した。
風を通すために開け放たれたままの下座の入り口から、二十代と思しき男がふらりと現れた。桂也乃のようにかしこまって部屋の主に声をかけたりはしない。
「お姫、検診の時間でございます・・・って、どうしたの徳美ちゃん。放心しちゃって。――と、その他」
「なに、その他って」
釈然としない思いで疑問をぶつけるが、あっさりと無視された。闖入者はフジへと視線を向ける。
「よぉフジくん。相変わらず倒錯してやがんのね。今度デートしない?女の時に」
「嫌がらせがてらに男の姿でなら行って差し上げてよ」
フジは艶然と笑んだ。――笑っているのに、なんだか肌寒くなる絵だ。
「じゃ、今度の休みに駅前で」
「一日待ちぼうけていらっしゃい」
「ってーか誰っすか?」
その場の空気を換えたくて、話題転換を図る。
「あれ?もしかして若頭ですか?」
利一の正体に気づいたと言うより、今更もう一人いたことに気づいたような態度だった。
むっとした利一を遮って、徳美が前に出る。
「そうですよ、弓弦(ゆづる)どの。春日の利一さまです」
「それは、御前で失礼を。――真砂(まさご)の弓弦でございます。当主の母のほうにはもうお会いしたと思いますが」
「あ、はい。春日利一です。っつか若頭とかいうのはやめといてください。利一で結構ですから」
先回りして釘をさす。春日の人間はどいつもこいつも古めかしすぎるのだ。たかが高校生相手に敬称つけたり敬語を使う必要性が、利一には理解できない。
「じゃ、利一くん」
真砂弓弦は以外にもあっさり頷いてくれた。彼はにこっと笑いかけてきて、目を細める。
「――利一くんはお父上に似ておられますね。お気をつけなさい」
「え・・・・・・」
一瞬だけ――空気が冷えたのがわかった。そしてその後には、何事もなかったかのようになっている。
「ニイやん、若頭をこわがらせちゃいけませんて」
廊下のほうで声がした。まだ中学生くらいの少女が、大きなカバンを持って立っていた。
「ニイやんはすぐ人をからかうんやからぁ」
少女はくすくすと笑いながら言う。
「はよぉお姫の検診行っときませんと。夕食に間に合いませんて」
「はいはい。――で、徳美。お姫は?」
「今しがた、奥の部屋へお戻りに」
徳美は彼になれているのか平然と受け答えた。
「あっそう。んじゃそっちに行くよ。――行くよ胡月(こつき)」
「はいや」
胡月と呼ばれた少女が元気よく返事をする。そのまま駆け出そうとする彼女を、弓弦はふと引き止めて、カバンから何かを探させた。
「徳美。あまりお姫の傍をはなれないほうがいいよ」
「はい・・・、それは心得ているつもりですが、」
「この本、お姫の部屋から取り上げといた」
何の変哲もない、カバーのかかった文庫本だった。徳美は言われるがままに受け取り、何気なくページをめくる。
「ページの下のほうに毒が塗ってあるから、後で手を洗ってね。口に入れたらだめだよ。――行くよー胡月」
まるで冬、外から帰った子供に風邪をひくから手を洗えと言う母親のノリである。
「ちょっと弓弦!あんた普通それ、人がなんかする前に言うことでしょうが!」
「怒らないでよ。美人が台無しだよフジちゃん」
ひらひらと手を振って、弓弦は胡月と共に廊下の向こうへ消えていった。
弓弦が去った後には奇妙な空気だけが残る。
「ナルちゃん、とにかく手を洗ってきたら?」
「はい・・・そうですね」
「あたしたちも、別の部屋へ移動しましょ」
「それではわたくしの部屋へ。先に行ってください。利一さまのお耳に入れておいたほうが良いことが、まだありますから」
徳美の部屋はやはり和室で、小ぢんまりとしたものだった。この屋敷に泊り込んでいるという彼女だが、小さな和箪笥がひとつあるほか、鏡台と背の低い机だけだった。それでも台所へもらいに行ったのか、お茶はちゃんと出てくる。
「由布姫さまは、一月ほど前からお命を狙われています」
徳美の声音も顔もあまりに真剣で、タイムスリップかと呟くこともできない。
「以前も不穏な気配がないとは言い切れませんでしたが、それでもあからさまに狙われることはなかったのです」
「一応それだけはじじさまから聞いてるけど、一体誰が?」
「さあ・・・・・・」
徳美は視線を逸らし、言いよどむ。
「それは・・・この屋敷にいる人間だとしか言いようがありません」
「この屋敷に住んでいても、犯人のめぼしがつかないんですか?」
「つくわけないでしょ。突き詰めていけば、ほぼすべての人間に動機があるのよ。それに、――。何かしらの命を奪うことを生業とするのが春日一族だわ。この屋敷に何人、春日の者が居ると思ってんの?」
フジの言葉に、利一はため息を吐きながら頭を掻いた。――この時代劇のような内容にはどうも慣れない。
「うちの一族に命令したやつが居るわけでしょう?当然、由布姫をお守りするのは徳美さんだと相手も知っているわけだ。なんでそんな、一族内で血なまぐさいことを」
「仕方がないのです。己の信ずる主に従え、と教えられてここに送り込まれる者ばかりですから」
「・・・・・・、また時代錯誤なことを言いやがって。ただの血なまぐさいだけのことに」
「しかし利一さま」
「呼び捨てでいいです」
徳美は呼べないのか、黙り込んだ。代わりにフジが口を開く。
「間者は己の信ずるままに行え」
「・・・えっと、じじさまに聞いた気がするけど」
「春日の掟とか、当主たちの決定に逆らわない限り、好きにしていいのよ。この家に由布姫がいては不利益だからと思って狙ってくるの。徳美はそれが間違いだと思うから守ってるの。どちらも、ある意味で正義なのよ」
「なんだよ、それ・・・!じじさまは殺し合いを見て見ぬふりをしてんのか・・・?」
「優秀すぎる犬は、飼い主に牙を向くわ。自分が繋がれるにふさわしくない器だと思うから。だから春日は広い柵の中で、放し飼いしているのよ」
「やっぱおかしいぞ、春日一族って」
「百も承知。でも言わせて貰うわ。――すごく合理的なの」
絶句する利一に、今度は徳美がおずおずと言う。
「・・・利一さまは、次代の春日を率いてゆく立場におありです。これが春日であり、宮野なのです。外から見たとき、どんなにくだらないことに見えても、そのくだらないことに多くの血が流れても、それが春日と宮野なのです。あなたがこれを理解くださらなければ、わたくしたちは何のためにこうして命をかけているのか、わからなくなってしまいます」
徳美はどこまでも真剣だった。
その意味を、利一は理解できない。