01 「異人」(前)
木々の合間からこぼれる日差しは、途切れなく聞こえてくる蝉の声で幾分も増したようだった。
門から真っ直ぐ伸びる舗装されていない道は、神社の境内を思い起こさせる。歩くたびに靴越しに砂利が音をたてて、足元を埃が舞う。
『――トシ、聞いてるの?いい加減にしてよね。父さんの機嫌、すっごく悪いんだから!本家がなに言ってんのか知らないけど、あんたが関わらなくたっていいでしょ。今日は絶対帰ってきなさいよ』
電話の向こうで怒鳴る声など、ひっきりなしに続く蝉の声ほどにも気にならない。面倒ならば電話の電源を切っておけばいい話だ。
「なぁ陸海(むつみ)」
『お姉さまとお呼び』
「言いたい事言えた?そろそろ切るぜー」
『ちょっと利一(としかず)!』
「ばーいばーい」
まだ叫び足りない様子はあったが、付き合ってやる義理もない。ぱたん、と携帯電話を折りたたんでズボンのポケットにねじり込む。
「リクちゃん?怒ってるんじゃないの?」
隣を歩いていたフジが苦笑しながら聞いてくる。公道を歩けば道行く人々が振り返るほどの美女ぶりだが、その声にどうも違和感がある。喉を見れば一目瞭然、喉仏がしっかりとあるのだ。
「あれがストレス解消なんさ。本気で怒ってるわけじゃねーよ」
「リクちゃんも苦労するわねぇ」
「苦労が好きなんだろうて」
「よく言うわ。苦労かけてる張本人の癖に」
「そう思うならフジはおれに春日の跡目を継ぐなって説得でも始めてみろよ」
「やぁね。口ばっかり達者なんだから」
二人の歩みが自然と止まる。
そこは玄関である。古式の日本家屋そのものの趣は、文明の利器――カメラ付のインターフォン――と、破滅的に相性が悪い。
フジが呼び出しのボタンを押すが、応対に出る者はなかった。
「留守?んなわけないよな?」
「いつものことよ」
フジは平然と言った。
依然として、中から人が出てくる気配はない。他家の事であるが、これでは客に失礼じゃないだろうかと心配になる。自分たちは客ではないのだが。
「事前に連絡のない来客は基本的に無視するわ。そうじゃなくてもでかい家だから、玄関につくまでに時間がかかるのよ。ま、今回の場合は――わざとだと思うけどね」
「はぁ・・・なんだかなぁ」
「覚悟なさい。それが宮野っていう家なのよ・・・いや、春日の方かも知れないけどね」
それ以上の会話はほとんどなく、所在無く待っているところへ、背後から砂利を踏む規則的な音が聞こえてきた。
利一は振り返る。――が、フジは振り返らない。
やって来たのは、二十歳前後の青年だった。神経質そうな顔立ちにフレームのない眼鏡をかけている。夏の日差しの下にあるには不自然な白い肌が、第一印象にさらに拍車をかけた。
「人のうちの前で何をしてる?」
「あの、おれ―――」
答えようとした利一を、フジが止めた。利一の腕を引き、玄関の脇に立たせると、自分も傍らに立ち、深々と頭を下げたのだ。
「お帰りなさいませ、至輝(しき)さま」
男とも女ともつかない響きをもった声で、フジはそう言ったのだった。利一は事態の把握を後回しに、とにかくそれに倣う。
青年は、それら一連の行動でこちらの正体に察しがついたらしかった。
「ああ」
一言言うと、二人の前を通って玄関を開ける。とたんに、中から「お帰りなさいませ」と声が響く。
至輝が完全に玄関の中に消えたのを見届けて、フジは頭を上げた。
「あれがこの家の若君。仕える家の若なんだから、顔覚えときなさいね」
「若君を指してあれって言うなよ・・・・・・」
「それにしても、――あたしたちを迎えないくせに、若君のお帰りだとすぐに出てきたわよ。声からして百家(はっけ)の萩子(しゅうこ)ね。後でいじめるわよ」
「え、いじめるって断言?」
「百家は下から三番目よ。萩子も含めて四人がここに入ってるわ。春家(しゅんけ)と十家(じっけ)の者が来るのをわかってて無視したのよ。制裁が必要でしょう!」
「おれの感覚からいくと、時代遅れの身分差別じゃねーかと思うんですが」
「それを実践してる一族だって、春日の家で何度も教えたでしょうが」
「何度でも思うんだよ。春日一族って、おかしいぜ」
「そうよ」
フジは優雅な女の笑みで答えた。
利一が言い募るのを無視して、フジは玄関を覗き込み、先ほどの青年がいないことを確認して玄関に踏み入った。利一もそれに続く。
一つ部屋が取れそうなほどの広さを、玄関に使っていた。正面には奥へと続く廊下と階段。そして脇には備前焼の花器とそこに生けられた豪奢な花々がある。
そんな中に影薄くいたのが、きっちりと着物を着た女だった。正座をして、深々と頭を下げている。
「お待ち申し上げておりました、フジさま、利一さま。奥へ部屋を用意しております。どうぞ」
「ここもタイムスリップか」
ぼそり、と向こうを向いて呟く。
しかし皮肉も交えて苦く笑った利一とは違い、フジは真剣だった。
「お待ち申し上げる?聞いて呆れるわね、煌子(あきらこ)。あたしたちがここへ来ることは連絡してあるはずでしょう」
フジが妖艶とも言える笑みを浮かべ、目を細める。だが次の瞬間に、表情からも声音からも笑みが消えた。
「――誰の指図で出なかった?」
男でも女でもない声。――彼の声は普通に話していれば女声に聞こえない。男の中で比べれば高くも低くもない声質なのだ。だが彼は、喋り方やしぐさ、雰囲気などを巧みに使って女の声を作り出していた。
そんなフジが、女声から一変させてああいう物言いをすると、かなりの迫力がある。
「顔を上げなさい、煌子」
「はい・・・・・・」
返事には気後れした色はなかった。煌子が指示に従う。薄暗い玄関だったが、煌子の顔が意外にも幼いことに利一は驚いた。まだ中学生だろう。
「さっきも、あたしの名前を先に呼んだわね?間違えただなんて言わないでしょう?そんなこと、許されるわけないものね?」
「それは―――、」
そのとき煌子の声にかぶさるように、奥から別の声がした。
「煌子、何をしているの?」
おっとりとした声である。煌子とよく似た、けれどそれより年齢を重ねた声だ。
奥から現れたのは、またしても幼さの残る女だった。利一と同じくらいの年頃――高校生といったところだろう。煌子と同じく、着物を着ている。
「あら、どうかなさいましたか、お二方」
「春家の者を差し置いて、あたしの名前を先に呼ぶとは、百家はどういう教育をしているのかしら?」
「ふぅん。春家の者が気づきましたの?」
フジの質問には答えず、彼女は値踏みするかのように利一をじろじろと見た。
「違いますわ萩子。かの人はぼけっとつっ立ってるだけで、何も気づかない様子でしたもの」
座ったままの煌子が萩子を見上げて言った。声音には、どう聞いても利一へのあざけりの色がある。
フジの雰囲気が一変した。傍らにいた利一は、その変化にぎょっとする。
「口の利き方も知らないのかしら?」
女言葉だがその威圧感はかなりのものだ。とっさに利一はフジの名を呼んだ。
「フジ、――いい。相手にするな」
フジは一瞬、利一を見やったが、それに従った。そして改めて煌子と萩子に向き直る。
「桂也乃(かやの)は?」
「今こちらに向かっております」
「ならいいわ。椿の間かしら?」
「ええ、ご案内します」
「結構よ。――あたしが案内しましょう、利一」
板張りの廊下はひんやりとしている。踏むたびに軋む音がするが、それは音の出る造りなのだという。言われてみれば、春日の家もそうだった。
「百家がああいう態度ってことは他もその可能性があるわね」
「いちいち怒るなよ。めんどくさい」
「あんたばかにされてていいの?」
「それこそ、ばからしくてやってらんねぇよ」
フジの歩みが止まり、後に続く利一もそれに倣う。ふすまを開けると、迎える用が整った客間だった。
「あんたはこっちに座るの」
「なんで?」
「春家の者が上座に座るのは当然でしょう。・・・さっきのこともそうだけど、春家のあんたが頭下げなきゃいけないのは、この宮野家の人間と、じじさまだけよ。一族各家の当主や長老方に敬意を払うかどうかはあんたの自由。――いい加減受け入れてくれないと、あたしも困るわ」
「フジは普通に口きくじゃん」
「十家を何だと思ってんの。春家についで二位の家よ。下から数えたほうが早い家の者と同等に扱わないでほしいわね」
「時代錯誤だっつってんじゃん」
「そういうところに来たのはあんたで、それはあんたの意思でしょう。なら、慣れなさい」
「やだね」
「――ったく」
べぇっと舌を出して拒否する利一にフジは憮然と息を吐いた。
廊下の板が軋む音が聞こえてきて、ふすま越しに声がかかった。
「桂也乃でございます」
やわらかみのある、品のよい物言いだった。
「いいわ、入って」
「失礼いたします」
ふすまを開けた女は、その場で深々と頭を下げた。先ほどの百家の少女たちよりも落ち着いた色の着物を纏っている。雰囲気も物腰にも丸みと優雅さがあり、古い日本の女性像を彷彿とさせた。
女は部屋には入ってきたが、入り口付近にかしこまり、利一たちに近づこうとはしなかった。フジもそれが当然のような態度だったので、利一はまた黙って状況が過ぎるのを待つことにする。
「百家の者の態度があんまりだわ」
「失礼いたしました。わたくしが出向かなかったばかりに、さぞご不快でしたでしょう。後ほどきつく言い聞かせますので、どうぞお心を鎮めてくださいませ」
本当に泣きそうなほど必死に女は謝ってくるので、利一のほうがあわててしまう。
「気にしてませんから、頭を上げてください」
「春日の若は呆れるほど寛大よ。怒ってなんかないわ。だからこそ調子に乗ってもらっちゃ困るのよ」
フジの言い方は、寛大すぎる利一への批判にも聞こえた。が、聞き流す。
「――利一。こちらが由布姫の乳母の桂也乃」
「桂也乃でございます」
「桂也乃。旦那さまは?」
「本日はお仕事で、遅くなられるそうです」
「ではご挨拶は明日にでも。――先に由布(ゆう)姫にお会いするわ」
「かしこまりました。お部屋までご案内いたします」
「紘家(こうけ)の徳美(なるみ)は?」
「姫さまのお傍に」
「ならいいわ」
再び軋む廊下を行く。先導する桂也乃は、着物ながら――もしくは着物だからこそか――滑るように歩く。
「――徳美って人が、紘家の当主だろ?」
傍らを行くフジを見上げて問う。――女装すれば女で通る彼だが、その身長は百八十センチを超える。平均身長ど真ん中の利一よりはずっと高い。
「そうよ。会ったことないの?」
「ない」
「あらま。――でもそうね、姫に仕えてるんだから、挨拶に行く暇もなかったでしょうよ」
「?・・・・・・紘家は、第何位だっけ?」
「五位」
「そのわりに、フジが物分りいい事言ったような・・・」
「実質あたしより上よ。紘家の当主だもの。なんだかんだで、あたしはまだ当主じゃないからこうやって親父の使いっパシリしてんのよ。それに、春日の中で春家が別格ってだけで、そんなに順位にこだわってるわけじゃないわ」
「春家だけ?」
「春家だけ」
それでもフジの中から家の順位が消えたわけではないらしい。
中庭を通る渡り廊下を抜けて、桂也乃はさらに屋敷の奥へと進んでいった。
だが彼女は急に止まり、そしてすぐさま廊下の脇へよけた。
何事かと眉をひそめる利一の腕をフジが引っ張った。
「家来を連れた若君のお成りよ」
「ああ・・・」
納得して、桂也乃と同じように廊下の端に身をかわす。
『若君』――至輝は二人の男女を引き連れてやってきた。頭を下げている三人に見向きもせずに通り過ぎるかと思いきや、フジと利一の前で足を止めた。
「――おまえ、春家の者らしいな」
自分に向かって言っているのだと気づき、利一は短く返事をした。
「はい。春日の利一と申します」
「あのじじいもようやく隠居か。せいせいするな。どうもおれはあの人が苦手でね」
悪意――ではないように思えた。どこか親しみの篭った言い方だ。
「あら、残念ですね至輝さま。春日のじじさまは当分隠居なさいませんわよ」
にこやかに会話に参加したフジだったが、至輝は不審の目を向けた。
「誰だ、お前」
「・・・・・・これは失礼いたしました。ご不快に思われたのでしたら、おわび申し上げます」
フジは名乗ろうとしなかったが、至輝もそれを追究しなかった。
「まあいい。――行くぞ」
後半の言葉は、彼の後ろに控える二人に向けて。
至輝は再び廊下を歩き出した。その後ろの二人は通り過ぎるとき、利一とフジに向かって会釈した。
「・・・・・・覚えがある。良家(りょうけ)の、現一(げんいち)・・・」
「もう一人が三家(さんけ)の透(とおる)ね」
「やれやれ。一族全部で一体何人?顔と名前が覚えらんねー」
「当主とその跡継ぎを覚えておいたら基本問題ないわよ。あんたは春家だから、顔を覚えてもらえなかったほうが悪いってことになるわ」
「うー・・・そうは言っても、相手には悪い事じゃんか。すごい気ぃ使う。記憶力はよくないのにさ、必死だよ」
「馬鹿だものね」
「・・・・・・なんっていうか、フジの態度って釈然としないなぁ」
「あらそう?」
身分だ順位だと騒ぐわりに、あっさりと馬鹿と言ってくるフジである。利一としてはこちらのほうがやりやすい事は確かなのだが。
「お二方。もうじき、姫さまのお部屋でございますが・・・」
桂也乃がおずおずと言う。
「あら、ごめんなさい。行きましょう」