ラスト・ゲーム


01----



 桜を見たい、と聞いたきりだった。あの会話以来、会っていない。
 だから父が「切るな、枯れる」と騒ぐ中、桜を一枝手折った。一番豪奢に咲いた枝だ。
 けれど持っていかなかった。
 桜は、誰の物とも知れない古い墓に供えた。
 それだけの話。





「ねぇフジ、私は誰にも支配されたくないの。私の上に誰かがいるなんて許せない。私より優れた人が上司にいたら、そうね、――どんな手を使ってでも排除するわ。私に大人しく排除されるなら、それは初めからその程度の人間だったということなのよ。私が返り討ちにあったら、・・・さぁ?考えたことも無いわ」
 溌剌とした口調でそう語ったのはいつのことか。
 一族の重役たちほぼすべてから嫌われる彼女の態度は、いつだって堂々としたものだった。その大胆さにはあきれてしまう。俺はどうしたってそうはなれなかった。
 それは彼女の長所なのか、短所なのか。――やがてはそんな物差しで計るのはばからしくなる。
 不遜なほど自信家で、しかしそれをうなずかせる何かを持っている。何一つ、人より劣るものがない。
 それが気に入らなかった。いや、それを知る前から、――出会ったあの瞬間にもう本能で反発していた。
 同じ屋敷の中に住んでいた歳の近いこどもなのに、一緒に遊んだ記憶はない。歳が上だったからか、異性だからか。彼女は、俺たちが庭で駆け回っているのを冷めた目で見つめているようなこどもだった。
「ねぇ、あなたは私と同じものを見てるのね。手の届く世界のすべてを支配したいって。そうでしょう?」
 まだまだ幼いと言える年齢の頃に、そんなことを彼女は言った。思い出が間違っていない限り、それは日常風景の中に唐突に出された問いであった。
 あの時、俺は何も答えられなかった。
 見渡す世界と。胸に抱えた野心と。
 あの頃から同じだったのだ。限りなく近いものを持っていた。
「これはゲームなの。どちらが支配するか、支配されるか。――残念ながら国盗りのように規模が大きくないけれど。でも今はちょうどいい大きさかもね。そのうち国を賭けてやりましょう」
 彼女はいつもどおりに強気な笑みを浮かべた。
 どちらの思うほうに事を運べるか。――至極単純なゲームだった。
 他人が言うように、仲が悪かったわけじゃない。目指すものが同じだから、ぶつかるのだ。こどものじゃれあいにも似た、――そう、ただの遊び。だから、同じ目的のために協力だって出来た。
 だが、その終わりは想像以上に早くやってくる。


 病院のベッドに半身を起こした彼女を、傍らに立って見下ろしていた。彼女は俺を見上げていたのに、それでも俺に支配されようとはしない。
「桜が見えるまで、生きてるつもりよ」
「余命宣告をどれだけ無視する気だよ」
「さあ、どれだけかしら」
 彼女は首をかしげ、そして笑いをこぼす。
「余命宣告なんてあてにならないわ。ただの平均値だもの。ああでも、生きがいがあると長生きするというけど、これは本当ね。私はこうしている限り、絶対に死なないって気持ちになれるから」
 おもむろに持ち上げられた手を反射的に握る。
 彼女は艶のある視線を上目遣いに送ってくる。
「なんのつもり?」
「和睦」
「あら?私たち、いつ戦争してたの?」
「たぶん、会ったときから今まで」
「私は、会ったときから今まで、ずっと同盟者だと思ってたわ」
「同盟なんていつ結んだ?」
「戦争もしてないわ」
「じゃあなんだよ」
「さあ」
 彼女はくすりと笑う。
「既存の言葉が必要だとは思わないわ。だって、そうじゃない?ねぇフジ」
 唐突だった。
 その笑った目が潤み、涙が溢れ、零れた。次のときにはもう笑っていなかった。
「これは何なのかしら。考えようとしても霧がかかってるの。邪魔されて、何も見えない。屈辱的よ、なんでこんな拷問受けなきゃならないの?いっそ殺せといつだって医者をののしりたくてたまらない。――どうして私だけ・・・!どうしてあなたは、平然としていられるの?あなたもこれを味わえばいいのに!」
 握った手の甲に、ぎゅっと爪が立てられた。皮膚に食い込んだそれを、俺は振り払わなかった。
「薬だろう、仕方ない」
「・・・ええ」
「俺なら狂う」
「そう――、狂って、死んでいくんだわ」
「死ぬなよ。狂うな」
 そう祈るように告げると、彼女の手はゆっくりと力が抜けてゆき、ぱたりとベッドに落ちる。
「あなたには私が必要でしょう?私を失って、どうやって生きていくの?」
 決してそれは、甘い意味ではない。
 どこまでも純粋な、――湧き水のように澄んだ感情だった。
 水を失った魚の運命はどうなるのか。その問いと、限りなく近い。
 そして問いかけは、感情の高ぶりのせいで震えていた。
「ねぇフジ。この先あなたを理解するのは誰なの?」
「わからない。だけど、――出会いたいと思ってる」
「きっとそれは私の生まれ変わりよ」
「何を言い出すかと思えば」
「本気なの。――忘れないで。あなたを誰よりも理解しているのは私よ。私の代わりなんて、見つけなくていい。私以外の誰に、あなたを理解できるというの?」
 きっとこの時、彼女はもう狂いかけていたんだと思う。
 美しき対立者。
 自分を理解するもの。
 それががらがらと音を立てて崩れていく様を見せ付けられているようだった。
 この先、俺は孤独になるのだと悟った。
「あなたも一緒に狂い死んでくれれば良いのに」
 この先の孤独を思い、彼女の言葉に引きずられそうにさえなる。
 けれどそうするわけにはいかなかった。彼女と俺はあまりにも近い存在で、だからこそ俺にはわかる。――あれは彼女の本音であると同時に、俺を陥れる策でもあると。
 答える代わりに手を伸ばし、彼女の細くなった体を抱きしめる。
「次は、地獄で会おう」
「天国じゃないのね」
「馬鹿言え。俺たち何人の人生狂わせてきたと思ってる」
「そうね、・・・だけど愛してるから、慶藤。早く会いに来てね」
「ふざけんな」
 彼女にこれほど長く触れていたのは、初めてだった。そして、最初で最後となる。

 去り際振り返ると、彼女は微笑んだ。
「桜を見たいの。それまでは死なないわ。だから、地獄で会う前にもう一度現世で会いましょう」
「覚えとく。桜が咲く頃、もう一度」
「ええ」


 その後彼女は自ら毒をあおる。
 彼女は一族に病である事実をひた隠しにし続け、最後までそれを悟らせず反抗を続けた。その結果、一族は病のことを知らず、彼女の暗殺を決める。
 彼女はすべてを知りながら、それを受け入れた。
 桜の季節まであと少し、――冬も終盤のことだった。









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