07−共にある孤独
「人気者なのよと自慢しているようにも聞こえるね」
その頃の彼は、すでに少年ではなくなっていた。中学生から見れば未知の二十一歳。今思えば
、二十歳そこそこなんてまだまだ未熟である。
白いテーブルを挟んだ向こう側で、彼はコーヒーカップを口元に運ぶ。私のほうなんて見ていない。なにやら腹立たしいが、私は会話を続けようとする。
「人気者っていうのは、意図せずしてそうなった者を指す言葉だと思うわ」
「これはまた、難しい言い回しを覚えたね」
「ばかにしないでよ。その辺のこどもと同じ扱いなのも気に食わないわ」
「きみが十四歳なのは仕方のないことだし、言葉をどんどん覚えていく時期にあることもまた事実。あと、それにめくじら立てるところがこどもっぽいよ」
「ねえ、ちゃんと会話する気ある?最近のあなたは、はぐらかしてばっかり」
「だって、自分の言動で周囲を動かすなんていうことを楽しむ趣味はないんだよ。っていうか、そういうの出来ないし。出来ないものの楽しみや奥深さはわからない。フジに話しなよ。あの子の方が、きみに近い思考回路だ。理解や共感が得られるんじゃない?」
「あれに話したら、絶対に馬鹿にされるわ」
「ぼくは呆れてるよ」
「なんで」
「弱みや失敗をそんなふうにさらけ出すもんじゃない。きみらしくもないね」
「あのね、わかってる?私はあなたと会話したいのよ?」
「じゃあ天気の話とかでいいよ」
「最初にしたでしょ。そもそもあなたが、流行のもの一つ知らないから、こういう話題になるのよ」
「余裕ないんだよ、今」
呆れることに、この瞬間も彼は専門書とノートを広げていた。可憐な少女から呼び出された先の、おしゃれなカフェで。
無粋というか、もうただただ最悪だ。
この余裕のなさと、女の影がまったくないことがイクォールで結べるわけだから、ある種感謝すべきなのかもしれないが。
「私の知る限り、あなたに余裕があったことなんて皆無よ」
「知ってるなら、こういうのはやめようね」
「こういうのって?」
「デートを何度もやってられるほど余裕ないの。だから、呼び出し禁止」
「美少女が誘ってるのに、あなたその態度はないと思うわ。鼻の下くらいのばすところよ?」
「美少女ねぇ・・・」
「なによ?」
実のところ、自分の容姿については、能力ほどの自信がない。でも充分に整え甲斐があるとも思っている。彼の好みとは限らないけれど。
「きみの魅力は、その賢さと心の内の強さだよ」
――時折彼は、驚くような賞賛の言葉をくれた。なんのてらいもなく。
「だから、自ら弱みを見せてそれを台無しにするもんじゃない」
私はふいに不満が消えていくのを感じた。理解は後からついてくる。
私は他人の小さな表情や発言から、その人の内心を推し量り、次の行動を読むことを鍛えてきた。だからだと思う。
「・・・・・・ねえ、」
今思いついたことを確かめようとしたけれど、彼が自分の注文したケーキの苺を、無言のまま私の皿に移したのを見て止める。
――十歳の頃彼に「結婚して」と迫ったら、「大きくなったらね」とはぐらかされた。中学生だったこの頃も、きっとはぐらかしただろう。だけど、それは言葉にするからだ。私が言葉を使わなければ、彼も言葉を駆使して誤魔化しはぐらかすことをしない。
言葉を使わなければ、邪魔は存在しなかった。
「なに?」
「なんでもないわ。それより、ちゃんと喋って。三分間でいいから、その無粋なものを閉じたらいいと思うわ」
カフェと紅茶とケーキ、そして専門的な用語の連なる分厚い本。なんて似合わない代物だろうか。
彼は一つため息をついて、それを閉じた。
「きみがそれほど意識しなくても、きっときみは周囲に人を寄せる人間なんじゃないかな」
「なぐさめてるの?」
「いや、その先の展開を読みきれずに望まない状況になったって部分はきみの未熟さだと思うけどね。だけど、きみならどう生きたって他者の支持を得る」
「なんで?」
「なんで、って。それ、どうして鳥は鳥の形をしているのっていうのに近い疑問だ。そういう〈形〉で生まれてきたんだよ」
私は彼を凝視する。
「生きていくのは、けっこうしんどいもんだからね。だから何かへの憧れの気持ちで誤魔化したり、誰かに寄りかかってみたり、互いに支えあったり、芸術へと昇華したり、人によっては変な薬やギャンブルに溺れたり。そうやって一日一日をやり過ごすんだ。でも、きみはそれがないだろう?生きていくことがしんどい、苦しいなんて思わない。そういう人間は、勝手に寄りかかられたり、憧れを抱かれたり、何かを託されたりするんだよ」
「なに、それ」
私の表情が難しく固まっていくさまを見ていたのだろう、彼はくすくす笑い始める。
「自覚がなかった?賢いはずなのにね、まだまだ自分を客観視できてないってことかな。ぼくもできてないけどさ。きみはもっと、他人から見たきみの価値を知るべきだよ。そうしたら、もっと思い通りに周囲を動かせるんじゃないかな?」
「・・・・・・それは、そうかも」
会話の中でなんとなく、彼はちゃんと私のことを見ていてくれているらしいことを感じ取る。これはうれしかった。
そして彼が導き出した、一つの仮説、これにも納得する。だけど納得すると同時に気持ち悪いと思った。
「勝手に、寄りかかられたり、託されたり・・・って、なんか嫌だわ」
「だろうね。だけどそういう〈形〉で生まれたんだ。受け入れたらいいじゃないか。利用価値も充分にあるんだし」
「あなたも私に、そういう感情がある?」
「憧れたり?そうだね、あるよ」
彼はあっさり認めた。普通、十四のこどもに向かって「憧れる」はないだろう。たとえ事実でも、自尊心から言わないもののような気がする。
「鳥を見て、ああ鳥だと思うのと同じことだよ」
「・・・・・・」
「まあ、きみは小鳥のようにか弱いもんじゃないだろうけどね?」
「・・・その言い方は気に食わないわ」
「小鳥と言われても気に食わないだろう」
「そりゃそうだけど」
複雑な乙女心というものだ。
彼はやっぱりくすくす笑っている。不満だらけの私を、やっぱりこどもっぽいと思っているのだろう。どんなに賢く振舞っても、芯の部分にこどもが残っている、と。
「ぼくがそんなこと思うのは、嫌?」
「・・・嫌とは違う。複雑だわ」
「嫌じゃないならよし。複雑なものは自分で整理をつけたらいい。――さて、そろそろここを出ようか?」
彼はコーヒーを飲み干して、分厚い本とノートを片付け始めた。
「また授業?」
「いや、きみが帰る時間だろう」
「五時よ?」
「良い子は帰る時間」
「・・・・・・小学生じゃないのよ?」
「ここから帰ってたら六時になるでしょ」
「・・・・・・」
帰らなきゃいけないというのはわかるのだ。それをわざわざこどもっぽい理由をつけられるところが気に食わない。
「まだ話したいのに」
「送ってあげるから、わがまま言わないの」
ついため息をついてしまう。恨みがましく、彼を見上げる。
「・・・あなたは、この世の中になんの執着もしてないわよね。だから私の気持ちがわからないんだわ」
「前半は認めるけど、きみらしくもない言い方だな」
彼はさっさと伝票をつかんで会計を済ませに行く。
カフェを出て、隣に並んだ。
「ぼくは、ぼくの狭い認識能力と浅い理解力できみを測ろうなんてなんてこれぽっちも思わない」
彼は手を自分の上着のポケットにつっこんでいる。手をつなごうとか思ってくれないらしい。つまらない。
「鳥を見たら鳥だと思う。そこまでだ。大きさを測って、それに見合う籠や餌が用意できるなんて思わない。――まだご不満?」
つまらない。
まだ彼は、この世が面白いと、きらきらしたものだと、知らないまま。私はこのおもしろさを伝えられない。
それなのに、私は彼の一言一句、一挙手一投足から目を離せない。
「不満はないわ」
「なら、いいじゃないか」
不満はない。
ただ寂しいのだ。
この楽しさを伝えられないこと、共有できないこと。
そして彼は、執着のないこの世界から、いつ消えてもいいと思っている。私は彼を繋ぎ止められない。彼を手の内に置けない。
だからって無理矢理繋ごうとしたら、きっと私は嫌われてしまう。
私は彼の腕を握ることもできないのだ。
隣にいるのに。
ただ隣に並ぶだけ。
ただ帰路を共にするだけ。