06−夢と現
「ねえ、薫ちゃん。お願いがあるんだけど」
私は些細なことでよく「お願い」された。頼られると言えば聞こえがいい。
勉強教えて、なんてものはかわいい。
女の子にはありがちな、「仲良しグループ」の内外で諍いが起きると私が駆り出される。これが面倒でたまらない。
今でも思うが、女というのは人間関係を形作る上で面倒の多い生き物だ。中学生は未熟だから、それに輪をかけて面倒だ。
それでも私は、嫌な表情なんて見せない。
「なあに?」
なんでもない顔をして聞いてやる。
彼らは未完成な日本語で喋ってくれるからまどろっこしい。その上に、内容が内容だから苦痛である。
唯一救いと言えるのは、中身が毎度お決まりのパターンだから、真剣に聞かなくたって予想が付く、といったところか。聞いたふりだけで、半分以上聞き流している。
「それでね、武田くんに近づくのもうやめてって、さゆりちゃんは頼んだの。だけど昨日、普通に話してるのよ。信じらんないよね。それでさゆりちゃん泣いちゃって」
うんざりしてしまう。また色恋沙汰。しかも中学生の、恋に恋する馬鹿らしい行為。そんなものに他人が首を突っ込み、さらには世話を焼くという、愚の骨頂。大人になって振り返れば美しいかもしれない青春の一ページだが、それは本人にとっての話である。
他人から見れば、痛い、かゆい、ただの迷惑。
「なるちゃんにさ、薫ちゃんから言ってもらえない?薫ちゃんが言えば、きっと大人しくなると思うの。みのりちゃんが怒って、いじめてやる!ってすごい怒ってるの。でもそれってどうかと思うんだよね。先生とか気づいたら面倒だし。でも、私も、なるちゃんが悪いと思うし、でもいじめるのって違うと思うし」
これを厳密に翻訳するのは骨だが、簡単に意訳すれば――「みのりちゃん」みたいな中途半端にリーダー気取りな子が主導でイジメなんてしたら、それに乗った自分もなんと言われるかわからない。でも「みのりちゃん」に逆らうのは面倒。だから、薫ちゃん、「なるちゃん」のことなんとかして。具体的に言えば、クラスメイト全員から無視されるような状況にしてやりたい。薫ちゃんが言うなら、みんな絶対に反対しない。ていうか、そもそも「みのりちゃん」なんかに主導権持たせたくないし。
――私は翻訳家になれるんじゃないかと、本気で思う。
「――そうね、みのりちゃんのことは止めたほうがいいと思う。あと、私はさゆりちゃんが心配だわ」
「そうなの、すごく落ち込んでるの」
「さゆりちゃんと話してみるわ。少しくらい、励ませるかも」
「うん。それがいい。あと、なるちゃんのことだけど・・・」
「徳美のことは後でもいいわ、今はさゆりちゃんよ」
「あ、うん・・・・・・そうよね」
私が嫌う人ならば、いじめてもいい。
そんな認識が、彼女らの中にはあるらしかった。
その理論がおかしいとどうして気づけないんだろうか。気づいているのかもしれないが、正すこともせず、したたかに利用しようとする。なんなんだ、これは。
私は適当にあしらい、自称「友人」の計画を砕く。この私を利用しようなんて、おろかにもほどがある。
「さゆりちゃん、もう帰ったかしら」
「部室にいるんじゃないかな・・・・・・」
「そう?じゃあ寄ってみるわ、ありがとう」
計画が狂った自称「友人」の喋り方は、すでに先ほどまでのような熱がない。
「さゆりちゃん」が心配だったんじゃないのかしら?ずいぶんと急に、気がなさそうな声音と表情になったわ。不思議ね。
私はすぐに荷物をまとめて、さっさと帰宅した。
時間の無駄である。
起き上がったベッドの上で、忌々しさをため息に乗せて吐き出した。まだ夜が明けきらぬ病室に、妙な静寂が落ちた。
本当に嫌な夢だ。
私は他人の感情や行動を読むことに長けていた。――というよりも、鍛えたと言うべきだろう。
先にも言ったように、私は他人と喜怒哀楽をあまり共有できなかった。幼少の頃から、興味を示すものが普通とは異なり、血のつながった親兄弟でさえも理解できないもので喜んだ。そんな奇妙な存在に、同じ年頃のこどもは近づかない。こどもというのは自分たちと違うものを阻害して群れから追い出すのだ。これは本能だから仕方がない。仕方がないけれど、幼少の私が孤独だったのもまた事実だ。
だから、他人がどんな瞬間にどんな感情を抱き、どんな言動をするのか、そういうものを観察し続けた。
そのうちに、私は自分の言動で相手の言動を大きく左右できることを知った。うまくやれば集団さえも動かせることを覚えた。
これが中学入学頃とも時期が重なるのだが、やはり覚えたてだったので、未熟であった。
私は自分の言動で人が動くさまを見て楽しんでいた。きっと、無意識のうちに幼少期の孤独を埋めようとしていた。だから自分の周囲に人が集まるように仕向けた。
――仕向けたら、夢で見たような面倒な結果に陥った。
孤独に育った私には、孤独のほうが性にあっていたのだ。
馬鹿な自分を、何度恨んだことだろう。私の人生の汚点である。これを、策に溺れたと言うのだろうか。忌々しい。
体は苦痛にまみれていたが、比較的頭は冴えていた。薬が切れたのだ。薬で痛みをとるというが、これは痛みを感じている脳を殺して得られる効能だ。あまり酷すぎる痛みも思考を阻害するけれど、考えることが出来るという点で、今の私にとって痛みは歓迎すべきものだった。
感覚を研ぎ澄ませ、手足の先まで意識の下に置く。背筋を伸ばす。胸を張り、苦痛を表情から全て消し去る。ベッドから降りて、窓から外を見る。郊外の、田舎と言っていい場所。大きな道路が通っているけれど、通り過ぎるだけの車ばかりだ。
誤魔化そうとして外を見たのに、やっぱり夢の内容は思考回路に侵入し、ぐるぐる回り始めた。――あれは理解者たる幼馴染には死んでも言えない汚点だった。私と同じく策を練ることに長けた理解者は、確実に私を馬鹿にしただろう。「ほら見ろ、お前は人を寄せすぎる」と。馬鹿なのはわかっているが、けれども彼がそういう事態に陥らずに済んだのは性差が大きいと思う。女の人間関係のほうが複雑怪奇なのは古今東西変わらないことである。
まったく、男は単純でいいわねと嫌味を言いたくなってしまう。
ああ、そういえば。
あの頃も、七歳年上の彼に、愚痴っていた。