04
夏のあの日――
「まだ邪魔する気か?」
廊下ですれ違いざまに真家の弓弦に尋ねたのは、雲と雨で辺りがすっかりくらくなった時刻だった。晴れているなら、まだ西の空が明るいくらいだったろうけれど、あちこちの部屋にはすでに明かりが灯っていた。
「何の話?」
ごく自然に、弓弦は尋ね返した。
「知らないとは言わせねぇ。透に何を吹き込んだ?」
「話が良くわかんないんだけど?」
ニイやん、と弓弦の影にいた胡月が声をかける。弓弦は「じゃあね」と優雅に微笑んで去っていった。
弓弦のやつは、薫子が死んでから変わったと思う。以前はこんなに積極的に物事に関わろうとしなかった。議会にあからさまに逆らうなんて、もってのほかだ。
良くも悪くも、人は変われるらしい。
客観的に見たとき、俺はどんな風に変わっただろうか。
尊が死んだとき。薫子が死んだとき。
みんな、少なからず、あいつらが死んだときに何かを感じ取って変わっていった。
孜子は時々俺を「死にたがり」と評す。他のみんなにも、そんな風に見えているなら、――ちょっと意外だ。
俺は少なくとも、死にたかったことなんてない。尊とは違う。
ただ、生きることが酷く気だるいだけ。
目覚めの朝が大嫌いってだけ。
どうして尊が放棄した物を、俺は抱え続けているんだろうか。どうして薫子が成し遂げたものを、俺は超えられずにいるんだろうか。
そんなくだらない思考に囚われて、動けなくなっているだけの話なのだ。
だから、命令は有難い。
自分で難しい事を考えなくて済むから。
だから、不思議だ。
「何が違うって言うんですか!」
どうしてこの少年は迷わないんだろうか。
佐登美に戻る場所はない。とどまり続けたって、すぐそこが行き止まりだ。
ならば、終わらせてやるのがいいじゃないか。
徳美は悲しむかもしれないが、俺を恨めば少しは悲しみも軽くなる。
(違うのか?)
疑問は湧いたけれど、否定する材料を見つけられなかった。
見つけられないけれど、一つだけ確かなことがある。
「佐登美さん・・・!・・・あなたは、生きていたいはずです・・・!」
苦しげな息遣いの合間から、必死に搾り出した声だった。力強くて、迷いがなくて、この少年が口にする限り、何よりも「正しい」言葉だった。
佐登美が、問いかけてきた相手を凝視する。人を見ようとしない彼女が、まっすぐに、見ていた。
「・・・・・・そうね」
安堵したんだ。
あの時、俺は。
だから―――
*
「若頭。一つ、聞いていいっすか?」
こどもっぽくメロンソーダなんてものを頼んで、それをちびちび消費していた春日利一が「なんですか?」と顔を上げる。
時刻は三時近くなり、喫茶室は少しずつ混み始めていた。
「なんで、佐登美に、聞いたんですか」
「え?なにを?」
「生きていたいはずだ、って」
「・・・・・・」
春日利一はちょっと首をひねった。
なぜ質問されるかわからない、そんな表情で。
「だって・・・そういうもんじゃないんですか?」
「・・・あのね。全部あんたの物差しで計られたんじゃ、周りの人間はたまったもんじゃないっすよ」
「でも、結果はよかったから・・・ってのはダメですか?」
これの口から名言や明確な理由を期待するのは今後やめようと思う。
首を三百六十度ひねったって出せないに違いない。
二人分の伝票をひょいと掴んで、席を立つ。
「じゃ、そろそろお暇しますよ。明日退院っていっても、完治ってわけじゃないんすからお大事に。気胸は再発率高いっていいますからね」
「あ、はい。・・・えと、わざわざありがとうございました。現一さんと話せて、よかったです」
その言葉に、苦笑がもれた。
どこまで呑気なんだこの少年は。
けれどもこの言動に慣れてきたせいだろうか、馬鹿にする気持ちよりも、「ああ、しょうがないな」と笑ってあきらめる気持ちが育っていた。
だから。
「若頭、あの時・・・刀向けたときのことっすけど。謝っときます。あれ、八つ当たりなんで」
「へ・・・?!」
「理由があれば、一族に認められてないあなたに刀向けたところでお咎めなんてないんすよ。あなたなんかに謝ることもね。ないからダメだったわけで」
たとえば、機密であるはずの暗殺計画を不可抗力で知られたから口封じ、とかならよかった。――若君には漏れていた(随分前から若君は俺に対して挙動不審だった)。その若君から、それを示唆するようなことをこいつは聞いている。それの詳細を議会に報告してもよかったのだ。
だが馬鹿正直に「八つ当たり」と答えたら、議会の連中は表情をひきつらせ、じじさまだけが豪快に笑い飛ばした。
「ちょっとイラついてたんすよ。あんた、馬鹿みたいにかたくなだったんで」
喫茶室を出ながら、にやっと笑って見せると、春日利一は議会の連中と同じように顔を引きつらせた。
「ええと・・・そういえば、刀向けたとかっていえば、現一さん・・・謹慎中じゃ・・・?」
「抜け出してきたんすよ。これで、謹慎の日数追加でしょーねぇ。ま、慣れてるんでね」
「ああ、あ、あの・・・?」
「俺が来たってのはナイショってことで。これからもう一つ行くとこあるんで、そっちの用が済むまでつかまらずにいたいんすよ」
片目をつむって、ねぇ、と念を押す。
春日利一は呆れながらも、笑顔を見せた。
「そりゃ、そんくらい俺は全然かまいませんけど。無茶はやめたほうがいいんじゃないんですか?」
「何事もスリルがあったほうが楽しいでしょ。じゃーまた」
背後の気配に手を振って、振り返らずにその場を後にした。
こみ上げてくる笑みを、止めることはできなかった。
今まで、尊はそれで終わったんだと思ってた。勝手に独りで悩んで独りで死んで終わらせた。誰のことも顧みずに、一人逃げて、安堵しているものだと。
でもきっと、――違う。
(尊。やっぱおまえ、生きてりゃよかったんだよ)
後悔してろ、馬鹿。
了