55 終章


「なにこの晴れ具合。嫌味じゃない?どっかの雨男とは大違いね」

 ほんの少しだけ悪意が混ざる、呆れた声が背後から聞こえてきた。
 振り返れば、着物の喪服姿のフジがいた。こんなときに女装である。これでまたいっそう議会から嫌われることだろう。
 ――そこは、春日の屋敷の庭先だった。固い蕾がほんのり色づき、冬とは違う色になりつつある。だが風は冷たく鳴って、ぬくもりを拒んでいた。
「尊の雨男具合は、気合入ってたからな」
 そう答えたのは、現一だった。彼もまた喪服姿だ。上着を脱ぎ、ネクタイを緩めた格好だが。
「――で、なんだおまえ。こんなときまで女装か?議会に嫌われるぞ。というか喪服まで女物用意してたのかよ」
 現一の言い分に、弓弦は大いに同意した。
「キミの身長だったら、特注じゃないの?安くない買い物だろうに」
「そうでもないわよ。反物の幅は普通のもので間に合うから。――というか、あんたのせいよ、現一」
「なんで?」
「あんたに殴られた跡を化粧で隠してるのよ。さすがに男で厚化粧は無理」
「なぁるほど」
 殴ったという本人は涼しい顔でうなずいている。少し呆れながらも質問する。
「殴ったって、なんで?」
「契約違反だから」
「契約?」
 契約――おそらく、現一がフジに従っていた理由だろう。三船尊、そして透が関係していることはフジの口から聞いている。
 が、現一は明らかに気分を害し、フジはにやにやと人の悪い笑みを浮かべた。
「契約の正しい内容、どうだったか教えてあげましょうか」
「いや、だいたいわかるからいいよ」
 現一の不機嫌が怖くて断っているのに、フジは続けた。
「透の立場と精神の安寧を守る代わりに、可能な限りあたしに協力すること」
 現一が不機嫌になるほどのこととは思えない、普通の内容である。拍子抜けする弓弦だったが、フジのにやにや笑いはまだ終わっていなかった。
「てめーの話に乗ってやる?尊に執着してるわけじゃない?約束を果たせ、出来なければ殺す?」
 現一は今にもフジに飛び掛りそうな殺気を放っている。
「『俺は尊を救ってやれなかった』?『だからせめて透を守る』?」
「そんなことは一言も言ってねぇだろ!」
「わかってるわよ、でもそういうことでしょう?」
 一瞬だけ光るフジの本気の目に、現一はどうにかこぶしを納めたようだ。
「ここは佐登美を殺した場所でもあるのよ。あの子が死んだときは自由にならないもどかしさに反発したわ。それなりに近しかった尊が死んで、・・・ショックだったわよ。自分の手の届く範囲は、あまりにも狭くて、届く範囲ですら自由にならないことがあると、思い知らされた。――可哀想とか、そんな感情じゃないわ。自分に近い場所に居る人が、それよりも遠い場所からの干渉で崩れていくのは面白くないでしょう?悔しくてたまらない、あたしはそんなの、嫌よ」
 現一はそれをおとなしく聞いていた。弓弦も、冷たい風の音とともに聞いていた。
「・・・好きとか嫌いは関係なく、人との別れを感傷的に思っていけない理由はないと思いたいのよ」
 それは彼自身が求めている言葉だったように聞こえた。誰も彼に与えなかったから、己でそのことばを捜し、己に与えたかのように。
 弓弦は静かに同意し、眼を閉じた。
 思考には霞が、心には鈍い痛みが残り続けていたが、感傷を引きずることだけでも許されるなら生きていけると思えた。
「・・・何笑ってるの?」
 突然フジが言う。
 その意味を理解できず、目を開けて彼に疑問符を投げ返した。現一もフジも怪訝な顔つきでこちらを見つめている。
「・・・笑ってた?」
「ええ」
「ぼくが?」
「そう。なんだか、満足げだったわよ」
「・・・・・・」
 戸惑いながら、手で顔に触れる。――が、わからない。
「ほっとしたの?」
「え?」
「だって、そういう感じじゃない?」
「・・・・・・そうかも、しれないね」
 弓弦は苦笑して、息を吐いた。
「正直な話、――この先も薫と曖昧な関係を続けていくよりもここでこんな形で終わってしまえて、幸せだったと思えるんだ」
 そう言うと、フジが方眉をあげてその先を促した。現一も口を一切挟まず、先の言葉を待っている。
「・・・ぼくは、たぶん彼女が好きだった。だけど、幸か不幸か、手に入れられないものであると理解できていたよ、最初から。もし薫が生きつづけ、春日やそれ以上のものを手中に収める時が来ていたら、・・・ぼくは日陰で生きるものだから、卑屈な感情を抱いただろうしね。下心を持たずに彼女に触れ続けるのも、いつかは限界がきただろうし。関係が歪んで壊れてしまうとわかっていても、時が経てば、そうしていたと思う」
 いつまで続くとも知れない拷問にも似ていた。
 視界に入れないように努めていれば、派手なことをして誘う。守ろうとして腕を伸ばせば、逃げる。――薫子はそういう人間だった。
 彼女は最期に「愛している」と言った。彼女はその言葉に懐疑的だったらしいが、それでも「愛」という言葉を使えるほどに弓弦のことを想っていたのだ。なぜそう確信が持てるのかといえば、弓弦自身は彼女にそれを言えなかったから。
 そう、あの時、言えなかった。
「・・・・・・どうしてだろう。色恋沙汰と一緒にしたくないんだよ。これは恋でも愛でもない。感情が溢れて入り混じって、もとがどんな色だったのかわからない、・・・きっと、そういうもの、だよ」
 また風が吹いて、三人の髪をかき乱した。
 冷たくはあったが、春の温度をほんのりと伝えてくる風で、遠くない桜の季節を思わせた。
 板の軋む音が聞こえたかと思うと、庭先の三人に声がかかった。――庭に面する廊下に、孜子が立っていた。喪服は着物。洋装に違和感があるほどに和装が板についている孜子なのだが、黒一色のこれに関しては、完璧には着こなしてはいなかった。
「ああ、こんなところにいたのね」
 孜子は庭へ降りるためのぞうりを見つけると、こちらへやってきた。顔色は冴えないが、動きに緩慢さは一切見受けられない。
「どうしたの、孜子」
 場の主導権を握るのは、フジ。弓弦と現一はこれを受け入れるが、孜子は一瞬だけ顔をしかめた。
「・・・・・・つまらないわね。この先はあなたの独壇場だなんて」
「冗談ばっかり。しばらくは飽きないわよ、薫子の置き土産がそこかしこから出てくるに違いないわ。形はない、厄介ごととしてね」
「あなたが言うなら、きっとそうなんでしょうね。嫌だわ、あの子、まともなものは何一つ残してないくせに」
「黄泉の旅路には、しがらみなんてないほうがいいでしょう。賢い選択よ」
 先に孜子から聞いた話では、薫子は身辺整理を徹底的にしていったらしい。そのわりに、遺書の類は出てこない、と。寂しそうに言っていた。
「それで?なにかあったから来たんじゃないの?」
「ええ、・・・真家から連絡があったわ」
 ため息とともに支配権をフジに許し、孜子はそう告げた。
「なんて?」
 孜子は三秒の空白を作った。
 去った薫子から、現実へと視線を移すための時間だったのだろう。空白の後に、彼女の目には現実を見据える光が戻り、鋭く場の支配者をにらみつけていた。
「滋家当主の意識が戻ったそうよ」
 弓弦は瞠目した。現一は逆に眉間にしわを寄せている。フジはと言えば、眉ひとつ動かさなかった。
「――で?」
 フジが聞き返す。
 フジの反応が気に入らなかったのか、孜子は露骨に顔をゆがめる。
「あなた、賢治のこと嫌いなの?」
 孜子が言うのは、現在滋家当主襲撃の容疑をかけられ囚われている賢治のことだ。状況から言って、フジが賢治を切り捨てた。好き嫌いではなく、手段がそれしかなかったから、だろうが。それでも涼しい顔で受け答えするフジに、苛立ちが沸かないわけではなかった。
「あら、今って賢治の話だったかしら?彼のことは嫌いじゃないけど、嫌われてるわね」
「そう。それはそれは、よかったことで」
「だから、なんなのよ」
 孜子は再び息を吐いた。しかし今度のそれは、安堵のようにも見えた。
「滋家当主が、賢治は無実だと証言したわ」
 無実。
 弓弦はその意味を理解した瞬間にふらふらと近くの大木に体を預けた。
 現一が眉間のしわを緩め、フジがつまらなさそうに鼻を鳴らす。
 ――この短期間のうちに意識が戻り、意思疎通できるほどに回復したのであれば、滋家当主の引退はないと見ていいだろう。彼が議会で力を振るい続ける危険性はわかっていたが、弓弦にとっては、賢治が無事であることのほうが大きな価値をもっていた。かの当主がなぜ賢治を庇ったのかは不明だが。
「葬式ラッシュは回避か。めでたいことだ。厄介ごとはまだまだあるらしいけど」
 現一がわざとらしく肩をすくめて、孜子が同じように返した。
「本当に。滋家当主相手に、フジだけでどうにかできるのかしらね?」
「二ノ春日もまだまだ元気だ。どーする?責任重大だなぁ、十家の跡継ぎは」
「どうにかしてね。生き残った方の責任でしょう?」
「なんの責任よっ」
 タッグを組んだ厄介な年上二人に、フジはポーカーフェイスを崩した。
 弓弦は三人のやり取りを聞きながら、静かに微笑み、目を閉じた。
 彼らのやり取りは薫子の居ない事実を語っていて、そのせいで胸が痛みを訴えた。けれど、痛みの中心に朱色が咲くようなそのイメージが、どうしようもないほど泣きたくなる安堵を誘う。
 確かにそこにある。逃げることのない、消えることのない、実感。
 弓弦は胸に手を当てた。
(ああ、そうか)
 己の生きる鼓動を痛みで感じながら、彼は彼が切望したものを手に入れたことを、静かに理解した。





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