幕間



 目を閉じて、
 涙を落として、
 不安の中に意識を横たえる。

 なぜこれを屈辱だと思ってしまうのだろう。

「      」

 ここに言葉はないから。
 あなたに伝えるべきことは、言葉では伝わらないから。

 ――いつか、わたしのいなくなった世界で、あなたはこれを理解する。


--*--



52


 静かに息を吐く。
 静かに目を開く。
 静かに顔をあげる。
 目に映る正面にいる少女は――三家の透は、顔を蒼白にしてこちらを見つめている。何かを求めるようであり、そして拒むようでもあった。その意味を、弓弦はだいたい理解している。だいたいであって、わからないこともある。
「――キミは、毒がほしいというの?」
 問いかけの向こうで、透は震えながらも確かに首を縦に振った。
 拒否権はある。それを透は知っているはずだ。伝令役は現一で、弓弦に伝えたように透にも伝えたはずだから。それでもこの少女は、恨みもない相手を殺す、後味が悪いこと明白な役目を買って出ようという。
 何か強い決心があるのだろう。それの正体を弓弦は知らないが、にしても血でその手を汚す役を引き受ける人間を、正常とは思えなかった。
 ここで弓弦が拒否すれば、透が手を汚すことはなくなる。――弓弦さえ拒否すれば、ほかに毒の提供者はいない。透がここで「いやだ」と、「やめて」と言えば素直にそうするつもりでいた。
 一族になじみなく育った普通の少女なのだ。兄である尊の突然の死から、彼女の世界は一変した。尊を死へと追いやった一族に自らが入ることとなり、そして尊を死へと追いやったさまざまなプレッシャーを慣れぬ体で背負っている。
 それらから彼女を守ろうとしていたのは、現一だ。
 傍にいたのに何も出来なかった友への罪滅ぼしのつもりか。――事の渦中に彼がいる理由は、透を守るためのみだろう。
 伝令に来た彼は別れ際に弓弦に言った。
「――拒否してくれ」
 こちらが泣きたくなるほどに苦しげに、しかしはっきりとこちらに視線を向けて彼は言った。この懇願は、ほかの誰でもない、透のため――いや、尊のためか。
「おまえが拒否すれば、すべて終わる。もってあと何日の命だ?無意味だろう」
「・・・薫は、殺されたがってる」
「それに何の意味がある?あいつの最期を飾りつけるために、いったい何人が振り回されなきゃなんねぇんだ。あんただってあいつを殺してぇわけじゃねーだろ。じじさまがすべてを引き受けてくださるっつーんだから、甘えろよ!」
 殺気を放つ現一の迫力はすさまじかった。普段なら身がすくんで動けなくなっただろう。しかしそのときの弓弦はすでに疲れきって体中から力を抜いていて、表情のひとつ動かせない状態だった。
「――なあ、弓弦。ばかみたいじゃねーか。人間ほっといても死ぬ。薫にいたっちゃ、きっと一月も待たずに、だ。あいつは今まで好き勝手してきたんだよ。あれが何人の人生狂わせたと思ってる?もう充分だろ、だから最期くらい苦しませてやれ。最期くらい、思い通りにさせるなよ。おまえのわがままをおしつけろよ」
「・・・・・・わかってるよ」
「ほんとにわかってんなら、議会にあいつの寿命のことぶちまけてやれ。したら、あいつは未練たっぷりに、絶望の中で死んでいける。おまえは、最期まで穏やかにあいつの傍についていてやれる、そうだろ?」
 現一が皮肉げに笑った。弓弦の返事の真意を、見抜いたからだ。
 見抜ける現一を、弓弦は哀れに思った。現一は人の想いを汲み過ぎる。だからいつまでも尊や尊の死に囚われているのだ。さっさと捨ててしまえばいいものを、と自分のことを棚にあげて思う。
「・・・だったらキミは、どうしてそうしないの?キミがやればいいじゃないか」
 現一の表情から皮肉が消え、痛々しい心の内が一瞬だけあらわれた。しかしそれだけだ。
 彼は人の想いを汲みすぎる。
「・・・・・・もう、疲れた」
 死を間近にした薫子を、彼の精一杯で思い遣っている。
 そしてまた、自分で大きな事を決断するほど彼は強くないのだ。
 だから、透が拒否することを弓弦はひそやかに祈った。――自分のために、そして現一のために。
 けれど少女は何かを決意したのか、頑なだ。説得するつもりは、ない。だからこれは覆されない。少女は己で決めて、そしておそらくは背負いきれなくなる傷を負う。
「――秘術の使い方を、教えるよ」
 透が一瞬恨むような視線を弓弦に向ける。己で決めておいてなんて勝手な、と思ったのは一瞬だけだ。お互いさまなのだ。
 自己中心的で、時折痛いほどに人を想って、そしてやはりわが身が可愛い。
 それは自分とよく似た、いとおしいくて哀しい存在だった。



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