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幕間



「私を支配できるのは私だけ。――何者にも侵されないわ。それが私の誇りよ」

 本当にそうだったわけじゃない。
 確かに過去にそんな誇りもあったけれど、こうなってまで貫き通せるほどの強さはもう残っていなかった。

 だから選ぶの。
 わたしがわたしでいられるうちに。

「――最期くらい、美しくありたかったのにね」


--*--



48


 知らせが駆け、屋敷の中は騒然とした。

 ちょうどそれを聞いたとき、弓弦は台所にいた。議会の命令で派遣されてきた百家の智親と、言葉を交わしていたのだ。
 智親は議会の監視下に置かれた、間者にも一般人にもなれぬ囚われの人である。理由は、反逆者の息子であるから。――なんということはない、百家はただ権力争いに負けたのだ。その息子からの報復を恐れる議会が、智親を軟禁している。
 その彼が、議会から命令を受けて、宮野の屋敷へとやってきた。誰かを監視するためか、はたまた誰かを暗殺するためなのか。彼ははっきりとは口にしない。会話の端々から、弓弦が推測するのみだ。
「どうして、議会はよりにもよってきみを選んだんだろう」
 食卓テーブルはこの家のもののためにあるわけではなく、使用人――主には百家の人間が使う。揃いの木の椅子に腰掛け、智親の淹れたコーヒーが入ったマグカップを両手で口へと運ぶ。向かいでは、智親が同じくマグカップでコーヒーを飲んでいた。弓弦のとは違って砂糖もミルクもたっぷり入っているが。
「さあなぁ」
 時に、言葉が通じていないのかと思うほどに、彼は喋らない。相槌を打つし、当たり障りのないことなら喋る。けれど直接的に重要事項を訊ねると、穏やかな表情のまま視線を弓弦から逸らして「さあ」と首をかしげるのだ。
 はっきりしていることはいくつかある。
 彼は議会によって軟禁されていること。
 彼の普段暮らす場所は、百家であること。そして彼は一応百家の人間として扱われていること。
 しかしながら彼が今回ここへ赴いたのは、議会の命令であること。
 智親を仮に百家の間者と扱うのならば、家が受けた命令を、百家当主が改めて家の間者に命令を出す、その体裁をとるはずなのだ。
 ――それにもかかわらず、今回智親は議会からの直接の命令で動いている、らしい。
(議会による、百家への監視か)
 薫子をかばう百家の行動は、他者の目にしてみれば、どうやっても清廉潔白には映らないだろう。それぞれが思う「かばう」意味は異なっているが。
「仕事は、台所?」
「そ、反逆者の息子を、こんなところに入れるんだそうだ。主に毒でも盛ったらどうするつもりかねぇ」
 いつも漂わせるくたびれた雰囲気のまま、智親は声を上げて笑う。  弓弦は彼に合わせて笑顔を浮かべてみたが、おそらく色は青ざめているに違いない。
(智親の言うとおりだ・・・智親からの報復におびえるくせに、それを主家の台所に入れる?何かあったとき、その責任は誰がとるつもりなんだ・・・・・・)
 春日の責を負うのは常に頭領だ。それゆえに、頭領の言葉は重い。頭領以外の当主たち全員の意見が一致しなければ、頭領に逆らえないほどに。
 議会を担う当主たちは、責を負う事に慣れていない。少なくとも、春日と、そして宮野を負う覚悟などない。だから平気で、目先のことだけを追う。もしものときの責任の所在を明らかにしないまま、百家当主の意見を聞かず智親を、・・・・・・
 弓弦個人には、智親が主家の食事に毒を盛ったりはしないだろうという思いがある。それは信頼というよりも、彼の人となりを見たゆえの確信に近い。
 だが智親に命じたのは、智親は何らかの害をなす者だと思っている人々なのだ。害をなすであろう者を、主に押し付けるなど、尋常ではない。
「なんか・・・今回のことで議会の人たちのことだいぶ嫌いになったよ」
 一人ひとりを見れば、有能であったり、よい人であったりする。個人的に嫌悪するような人間は、いなかった。
 それなのに、今回のこれ。
 大人の汚さ、と表現するのは違う。今まで頭領に責任を負ってもらっていたせいで、己で責を負うことに対して臆病になっているもしくは責任の負い方を知らないらしい。つまり、いい年した大人たちがそろって、まるでこどもの反抗期のようなことをしているのだから情け何にもほどがある。そのうえその内容、語るには暗殺なんて単語が含まれていて、たちが悪すぎる。
「俺は、あんな大人がそろいもそろって抜けてて、かわいいくらいに思えるけどねぇ」
「なんで。どこが」
「俺が一時期薫子と行動を共にしてたと知らないらしくてね。いいざまだ」
 彼が人の悪い笑みを浮かべる瞬間、それは相手を非常に見下しているときのような気がする。屈折して当然の環境で育った彼らしい在り方だと思えた。
 そんな思いの一方で、なるほど、と内心で弓弦はうなずいていた。先ほどの言葉が意味すること――、彼は百家への監視であると同時に、薫子への刺客の一つでもあるらしい。もしくは、
「・・・議会は、真家に期待していないらしいね」
 真家がしくじった時の保険としてここへ派遣されている透にも、やはり期待が持てずに彼を送ってきたのか。
「期待、しないだろ、そりゃあ」
 コーヒーを飲もうとして、結局笑うほうを優先して飲めないでいる智親。その笑いは心底楽しそうではないから、時折心が痛む。
「されたって、可能な限り応えないよ。――だれが、忠誠なんて」
 少しばかり憎しみがこもってしまった声音に、智親は、今度は幼子のわがままを見守る兄のような顔になる。
「真家はどんなときも中立、ね。わかってるさ、他の当主たちだって」
 そんな顔をされたからか、弓弦は恨みがましい口調で言い返した。
「わかってるわけがないよ。きみは誰を狙えと言われて来たの?薫?それともぼく?」
 思わず直接的に聞いてしまう。――しまった、と思うものの、彼相手ならまあいいか、とも思ってしまう。都合が悪い質問に対し、彼は巧みな嘘を使わない。ただ、沈黙するのだから。
「・・・さあな」
 予想通り、彼は沈黙を選んだ。
 表情はおだやかなままだ。けれどその先を知りながら、殺されるほどの苦痛の中でだって喋らないといわんばかりの堅固さが透けて見える。
 彼はようやく、コーヒーを口に運んだ。つられるように、弓弦も。
 台所には沈黙が下りて、暖房器具が低くうなる音が鮮明になる。
「・・・・・・弓弦。おれは、一族に振り回されることすら、久しぶりなんだ」
 マグカップから口を離し、そして口の端に笑みを浮かべて彼はつぶやいた。
「だから薫に感謝してる」
 彼女の名に、心臓が不安を訴えた。
 でも彼は、穏やかなままだ。議会の思惑も、薫子の企みも、十家のフジの行動さえも、どうでもいい、と言わんばかりに。
「そうだなあ、――確かなのは、なにを命令されて、なにをやったところで、おれはこの後ろくなことにはならないってことだけだ。失敗すればもちろん、命令どおりにやったって、それを責められ、意味のわからない文句をつけられ、終いには濡れ衣でも着せられて、また春日の檻の中。・・・なら、まだ良い方かな」
「・・・じゃあ、何しに来たんだ、キミは」
「十年以上経ったのに、ばかだなおまえ。――おれみたいに底辺に落ちた人間ってのは、流れに身を任せるしかないんだよ。あがく手足さえもがれてるんだ。慣れると、怯えるのもばからしい。ただこうして、穏やかに過ごせる一瞬はいいものだなぁとか思いながら、そのときを待つのがいいんだ」
 足掻こうと、議会に逆らおうという意志はあるけれど、フジからは何もするなと言われてしまった弓弦には、耳に痛いほどだった。
「・・・お許しが出るようなら、・・・出なくても、こっそりやればいいんだけど、きみは一度、由布姫にお会いするといいよ」
「?」
 そんな提案をすると、智親は疑問符を浮かべて瞬いた。
「きみと、よく似てるんだ」
 春日の闇を背負わされた彼らは、――根拠はないが――会えばよいほうに進んでいくような気がしたのだ。
 由布姫の本当の名を知らない智親はやはり疑問符を浮かべたが、「自分と似ている」というところだけ、間違いなく意味を受け取った様子だった。
「もっとも、今はそんな場合じゃあ、ない、・・・のかな」
 フジはこの三日のうちにことが決すると言い、すでに今日で三日目だ。なにが起ころうと、それは春日を揺るがす。宮野を巻き込む。そして今の状況を一変させる。
「今だからこっそりやる隙もあるってもんだと思うけどなぁ」
 ほんの少し滲んだ見下した色は、おそらく議会へ向けてのもの。  くすくすと肩を揺らし、遠くを見つめて、――それは、由布姫とよく似たまなざし。
「だがそんなことするまでもない、か」
 そう、結論付けた。その意味を視線だけで問えば、返る答えは。
「事が動くとき、意図せずとも出会いは訪れる」
 淡々と告げられたそれは、予言めいた響きを持っていた。
 智親は、フジが今何をしようとしているのか――この三日のうちに決着を試みようとしていることを――知らないはずだ。薫子と共にいた期間があるというから、彼女の思惑は知っているのかもしれない。そして、命令を受けている議会の思惑も?
「・・・・・・きみは、どこまで知ってるの?」
 またもや無駄と知りながら、直接的な問いかけをしてしまう。
 疲れた内面を隠さないまま、智親は笑う。
 そのときだった。
 この宮野の屋敷においては、天地が引っくり返るほど驚くべきことに、廊下を走る足音が聞こえてきたのだ。乱暴ではないが、落ち着かない様子が伝わってくる。
「?」
 何事かと腰を浮かせた弓弦だったが、その足音の正体は台所のドアをつつしみの欠片もなく開け放った。
 そこにいたのは、百家の孜子だった。
 息を切らせ、今にも倒れそうな青白い顔なのに、気迫が滲んでいた。
「どうした、マキ」
 問いかけた智親のほうに、孜子は一瞬だけ視線をやった。だが、答えるときは弓弦にむかっていた。
「――滋家の当主が、」
 すっと体温が下がる。

「・・・・・・死ぬわ」

 なぜ完了形ではないのか。それは些細な疑問であった。近い将来にそうなると、彼女が断言したのだ。その人は、すでに三途の川原に立っているのだろう。
 そう、そしてその人の死が意味すること。
(ああ、)
 蒼白になる顔とは裏腹に、心は安堵する。
 これで薫子は、――無意味に殺されたりしない。ばかげた喜劇が終わる。
 そして悲しむ。
 これで、賢治は戻ってこない。あの屈託なく笑う、秘密だらけのくせにそれを感じさせない、社交的な彼は、もう二度と。
「弓弦」
 孜子が名を呼んだ。お互いに意識が向いていて、あらためて呼ぶ意味などないのに、わざわざ名を口にしたのは、後から思えば彼女がためらいを見せていたということなのだろう。
 戸惑い、ためらい、そして極限まで張り詰めていた。

「・・・賢治は、たぶん助からない」

 がたん、と音をさせて倒れたのは、さっきまで己が座っていた椅子。
 かたかたと鳴るのは、自分の震えに共鳴するテーブル。
 顔が冷たいのは、血の気が失せたから。

 ――それらすべてを理解しながら、すべて意識から遠いところにあるような気がしていた。



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