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「これは暗殺とはいわない。――処刑だ」
そう重々しく言ったのは、滋家の竜輝だった。春日の屋敷で、弓弦が宮野に入る直前に会った時のことだった。
春日の離れの部屋で、掘りごたつのある部屋。竜輝に与えられた部屋だという話だったが、彼の性格を現したかのように生活臭に乏しい場所だった。
生活臭というよりも、彼自身に生き物らしいにおいが欠けていた。
「・・・真家弓弦どの、――俺は、」
何か言いたげな少年の様子に、弓弦は思わず彼の頭を撫でてしまう。胡月と対峙しているような気分になっていた。
竜輝は瞠目し、言葉を失っていた。
「キミは、ここで大人しく待ってること」
「けれど!」
「世の中にはどうしようもないことがあるよね。あるから、――少しくらい諦めることを覚えないと、生きていけなくなる」
この少年が諦めを知らないとは思っていない。滋家という場所に育ったからには、さまざまな葛藤があったはずだ。今にも切れそうなほどに張り詰めた雰囲気は、重ねた我慢がそうさせるのではないかと、弓弦は推測している。
本当に彼に覚えて欲しいのは、力を抜くことだ。
けれどうまく言葉に換えられる自信はなく、また、この少年が言葉だけで理解してくれる気がしない。
だから、言わないでおく。
「キミが気に病むことは何一つないんだ。今は薫子のことを想ってあげて。そして彼女がそのときを迎えたら、悲しんで」
これも一種の恋なのだろう。
そう思った瞬間に、この少年が自分とよく似ているのではないかと気づく。
(ああ、そうか)
ふいに口元に笑みがのぼり、竜輝が怪訝な表情を見せる。
(僕も彼も、薫に必要とされない。薫を必要としない。けれど、――いて欲しいと思うんだ。どこにだっていいから)
複雑な感情を無理やり言葉にすることはあきらめた。
そのとき、ふすまが開いた。予告なく。
びくっと肩を震わせる弓弦とは対照的に、正面の竜輝は驚くことなく反抗的な目つきで入ってきた人物――賢治を見た。
「入る前に声をかけるのが普通じゃないのか」
「手はずが整った。お前はここで待て、竜輝」
賢治はいつになく真剣な表情で告げた。竜輝と会話をする気はさらさらないらしい。竜輝が文句を言いたげに眉を吊り上げると、それを言わせる間を与えず畳み掛けるように言葉を続けた。
「うちの親父殿には隠居してもらう。地獄でな。――だから、泣いておけ竜輝。親父か俺かが、たぶん死ぬから」
「賢治!どういうこと?!」
叫んだのは弓弦だった。竜輝は言葉と血の気を失っている。
立ち上がりかけた弓弦を手振りでなだめ、自分もこたつにはいりながら、賢治はなんでもないことのように――表情だけは真剣さを保って――言い放った。
「そんで、これが遺言。――俺の持ってるもんは、全部お前にやるよ、弓弦。その代わり、竜輝を頼む。頭領にはもう話をつけてある」
再び叫ぼうとして口を開いたが、そこを通るべき言葉がなかった。一度落ち着けたはずの腰が浮いている。弓弦は机に手を突いて身を乗り出した。言葉を手探りしながら。
「何で・・・・・・今なんだ。薫子のことが、終われば、・・・僕も協力できるかもしれない。そうすれば、誰かが死ぬなんてこと避けれるかもし」
――れない。
全部は言えなかった。賢治が口を開いたから。
「今がチャンスなんだ。全ての視線が薫に釘付けだ。親父殿は薫が大嫌いなんだから、そりゃあもうな。他の家の邪魔もない。最高のタイミングなんだよ」
「でも」
「わかれよ、弓弦。――俺が滋家の頭になれば、薫の暗殺なんて馬鹿げた喜劇をとめられるぞ?」
ぱっと顔を上げたのは、竜輝。兄かもしれない人の生死より、己の今後の運命より、薫子の名誉のほうが大事、――と言っているわけではないが、言わんばかりの反応である。
それに気づいた賢治が少し不満そうに口を尖らせる。
「竜輝、わかってるか?お前がまともに日の光浴びれるって話なんだけど?」
「日影の者が日の下に出たところで干からびるがオチだ」
「おまえどうしてそんなこと言えるかな、いい喩えしやがって」
「ケンと違って学校行ってるからだろ」
「学校は俺だって行ったぞ!名ばかりの共学に!」
なにやら方向がずれてきたにもかかわらず、賢治は力いっぱい言い返した。
そんな賢治に、竜輝が冷めた目を向ける。
「で、名ばかりの授業を受けたんだな」
「しかたねぇじゃん。県内トップクラスの退学率を誇る学校だぞ。授業がそもそもまともじゃなかったし」
「だからケンは馬鹿なんだ」
竜輝は言い捨てた。だが、その表情の影に、かすかに泣きそうな歪みが隠れていた。賢治はちゃんとそれに気づいていて、表情を緩める。
すると、竜輝はさっと目を伏せた。
「・・・たとえ親父さまを廃したところで、俺たちが滋家であることを辞められるわけじゃない。すべての間者がケンに従うわけじゃない。――それでいいのか!」
叫びを受けて、賢治が一瞬だけ戸惑いの色を見せ、それから弓弦にすがるように口を開いた。
「なぁ、胡月がかわいい時おまえどうしてる?」
「よしよしって撫でてあげるけど?」
「なるほど、やっぱり?」
うなずいてすぐさま、賢治は手を伸ばして竜輝の頭を撫でた。
竜輝が戸惑いの表情を浮かべてさっと身を引く。
「やめろ、なんのつもりだ」
「いやいや、かわいかったからね。そんなに俺、お前に思われてたなんて知らなかった。――ありがとな」
滋家の二人を見ながら、思う。――まるで、永遠の別れのようだと。
賢治自身が「遺言」という言葉を使ったが、そんなものよりもっと、胸を締め付ける感情がこみ上げてくる。
賢治の思うことが成功しようが失敗しようが、この賢治は二度と戻ってこない。――失敗すれば、死かそれに等しいものが待ち受ける。成功しても、彼は滋家という特殊な集団の頭となり、これまでのような子供っぽい無邪気さを捨てることになるだろう。
体を支配するのは、さみしいのとは違う感情だ。
その正体をはっきりとつかめないまま、弓弦は賢治を見送る言葉を捜す。
「・・・賢治」
「なんだよ」
「僕は、・・・宮野でキミの生還の報告を待ってるよ」
「みや、の・・・?おまえ、」
「出仕の命令が出てるんだ」
努めて平静に、弓弦は告げた。
賢治が険しい表情を一瞬見せる。――が、彼が何か言う前に、弓弦は続けた。
「――僕に薫を殺させないで」
賢治の眉間のしわがすっと引いた。
そして。
「・・・宮野で知らせを待て」
口の端に、かすかな笑みを見た。