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つまり、正式に命令が下ったのだ。
いわく、
「秘術をもって、忠誠を示せ」
その命令に、母いざよは嫌悪をあらわにした。もちろん、会議の場でやるはずはない。弓弦の前で、だ。
中立の真家に、忠誠を誓う相手などどこにもいない。それを偉そうに武力で脅して「忠誠」というのだ。どこの家が主導権を握ったのか、水面下のやりとりが激しいようなので弓弦にはわからなかったが、おかげで当分議会への不信はぬぐえそうにない。
真家がこうだとすれば、瀧家も似たような境遇に置かれていることだろう。
春日一族のパワーバランスが崩れたとき一番被害を食らうのは、武力をほとんど持たない瀧家と、皆無の真家なのだ。
「あんたたちに秘術使ってやろうかって感じよ、ああもうっ!腹立つ!」
いざよは、らしくもなく議会への不満を感情的に吐き出した。
真家の秘術とは、暗殺用の毒薬である。代々伝えられてきたもので、その成分や調合方法は一子相伝。今これを知るのは、いざよと弓弦の二人だけだった。
もちろん、成分は今の技術で調べてしまえば他人にもわかるだろう。成分さえわかれば、製造法にたどり着くことも叶わなくはない。
だから、滅多なことでは使わない。万が一、世間に流出してはいけないから。
これの使用を議会が認める、――それは、失敗を許さないほどに消したい相手に限られる。
「小娘一人にそこまで怯えるか」とせせら笑ったのは、賢治だった。
おびえばかりではないだろう。それだけで秘術を持ち出す必要性はないのだから。どちらかといえば、乗り気でない者たちへのメッセージととれる。「こちらは本気だ」と。
「別に、お母さんが議会に反対なら、僕はそれでいいんですよ。真家相手だって思えば、武力行使も尻込みするかもしれないじゃないですか」
「人質とられたらどうするの?私やあんたはまだいいとして、胡月やお父さんだったら?病院関係の人も巻き込んだら?」
「従うしかないですね」
間髪入れずに答えられるあたり、真家の弱さが現れる。
「ほらね。なら、最初からいい条件で折れておくべきよ」
「・・・・・・だけど、『忠誠』はないですよ、ぜんぜんいい条件じゃないですよ」
「ええ、今後にも影響するわ」
たとえ春日のバランスがもとに戻り、再び頭領を頂点に据えることができたとしても、一度他の家々に『忠誠』を誓ったことで後に悪影響が残る可能性は充分にある。
他の家々の武力は、確かに脅威だ。
だが、真家の毒薬や、暗殺の隠蔽技術は、ある意味それ以上に脅威なのだ。だからこそ中立に置かれ、どの家とも対等の立場で渡り合える権限を与えられている。
それが、一度忠誠を誓ったことで他家から支配されるようなことになれば、一族は完全にバランスを失う。そのときこそ、一族は崩壊する。
いざよは苦々しく結論を出す。
「ぎりぎりまで粘りましょう。適当に理由をつけて、先延ばしにして」
弓弦も苦々しくうなずいた。
「それしかないでしょうね」
今の状態は、危ういバランスの上に成り立つものだ。いつ崩れるかわからない。抵抗する者もある。真家のように渋々従う者や、風向きを読んだだけの者も多い。事態の好転は、期待できるのだ。
そこには一切、己が関わる形で薫子を殺したくないから、という理由は含まれない。
「私は行けないわ。あなたが、赴きなさい」
「なぜ、」
「当主が動けば、事を知らぬ者たちが勘繰るものよ。どこの家も、次代を使っているわ。・・・まさか、その歳でだだこねたりはしないわね?」
「・・・ええ。こねてもいい年齢の子が投入されるのは納得がいきませんけどね」
春日の次代である跡継ぎたちといえば、三家の透はこういう事柄に関わるには幼いとさえ言えるし、良家の現一も深く思い悩むタイプだ。フジも若いのだが、自ら首を突っ込む豪胆な人間なので勘定には入れない。
跡継ぎでなくとも、事情は知らずとも、多くの間者が巻き込まれる。基本的に事の前線へと回されるのは、いつだって若い間者たちなのだ。十代の少年少女も多くいる。
「実行の先延ばしは彼らのためでもあるわ。甘やかすつもりはないけれど、トラウマは作っていいものじゃない」
「・・・そうですね。我が真家が粘ることで救われる人がいるなら、全力を尽くしますよ」
薫、と心の中で呼びかけてみる。届きはしない。声に出してさえ、彼女の心には届かないのだから、当たり前だ。
それでも彼女のことを想う。――この手で彼女を殺したくない。
この場合、議会が彼女を暗殺すれば議会の勝ち。
彼女が議会の手を逃れ、病によって殺されれば彼女の勝ち。
至極単純なゲームだ。薫子は、負けても勝っても死ぬ。そこに、議会に支配されなかったという誇りが残るか残らないかという、生死の前では馬鹿らしいほどの利得差だ。