幕間



「愛してる」

 そんな言葉の意味、もう忘れてしまった。
 記憶も思考回路も、自分の思い通りにはならない。すでに薬臭いモノに蝕まれたそれは、混沌としている。
 混沌から何かを紡ごうとしても、うまくいかない。それを整然とさせることができるのは、やはり神のみなのだろうか。
 何一つ紡ぎだせず、からっぽのままでしかない。だけれども、――感情の入れ物たる言葉は口をついて出てくるのだ。

「愛してた」

 自分の口から飛び出る浮ついた言葉に、吐き気すら覚える。
 惨めで惨めで、涙が出るほどに切ない。
 わたしは、言葉に感情を込めるすべをもたない。

「こう言って、あなたにどれだけ伝わるのかしら」

 きっと、本当に何かを伝えたいとき、わたしにとっての道具は言葉ではないのだ。
 すなわち―――


--*--



41


 久しぶりの、主家への出仕だった。
 普段、議会の様子をうかがって必死で和を保つことに尽力しているばかりで忘れそうになるが、真家が仕える先は宮野家である。
 母いざよは宮野の人々の主治医で、真家の管理する病院だって、前身は宮野の人々のための医療施設。
(初冬以来だ)
 由布姫と言葉を交わし、現一に刺されたあの日以来。
 喉の奥に重いものを抱えて、弓弦は宮野家の門をくぐった。
 あの時と違って、隣に胡月はいない。
 宮野入りを許されたのは、真家においては弓弦一人だ。これも一つの、嫌がらせ――牽制か、もしくは逆らう気持ちを粉々に砕く目的で見せつけるつもり――だろう。
 無理やりに笑おうとすると、自嘲とも苦笑ともつかないものになった。
(そして今度は、――薫は死ぬ)
 吹き付けた風より冷たく、氷よりも硬い思考が、身を縮めさせた。
 そんな想いを抱えて、門から玄関までの長い道のりを歩ききり、呼び鈴を押した。
 しばらくして女の声が返ってくる。「どうぞ」と。
(ああ、似てるな)
 きっと孜子だ。
 薫子とよく似た声。性格は随分異なるのに、声の質や抑揚がよく似た姉妹なのだ。そういえば、立ち姿も似ていた。顔つきはまったく違った。似ていないわけではないが、それぞれの性格が表れた顔なのだ。
 玄関の戸を開ける。
 開けて、――開けた動作そのままで――体は動くことを忘れた。
 熱を抱えていた喉が、耐え切れなくなって、それを吐き出す。口を通り抜ける瞬間、それは嗚咽に似たものに変化を遂げた。
「かおる、」
 今にも殺されようとしている彼女が、目の前で微笑んでいた。



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