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 気配を殺して立っていた賢治に気づいたのは、彼に声をかけられたからだった。
「賢治・・・・・・竜輝には、もしかしてきみが、」
 賢治は険しい表情で、首を横に振った。
「俺も初耳だ」
 その賢治の迫力に、竜輝が萎縮する。この二人の関係は、未だ複雑なようだ。
「いつから知っている、竜輝。おまえは外と連絡を取らせていないはずだぞ」
「薫子の病には、夏のうちに気づいた」
 竜輝は視線を合わせようとせず、吐き出すように言う。
「彼女が滋家に出入りするようになって間もなく、俺たち個人個人に接触してきた。彼女は俺たちを庇ってくれて、・・・だから、彼女が春日を我が物にするために手を貸してくれと言ったとき、皆ついていくことを決めた」
 その頃から、彼女の体調には違和感があったという。
 議会の面々にさえ怪しまれずにいた薫子だが、歳若い間者たちに弱点を見破られていたという事実は、にわかには信じがたいことだった。
「私の寿命はあまりないの、と。だから、元の場所に戻ってほしい、と。――冗談めかして言ったそうです。一昨日、薫子の下に集った間者の一人に聞きました」
 最後の台詞は、弓弦に向かって。弓弦は思わず竜輝から目を逸らした。
 賢治が険しい表情を崩さず、重々しく口を開く。
「どこのどいつが、接触してきた」
「言えない。相手も体を張ってるんだ」
「薫はおまえたちを見捨てたってことか」
「違う」
「薫は間もなく死ぬってことか」
「・・・・・・そうなんだろうな」
 どこまでも広がる深い闇にも似た、絶望の色がそこにあった。
 細い印象の少年が、それを覗き込んで折れてしまわないのが不思議だった。やはり、日本刀に似ていると言うべきなのだろう。――断ち切る鋭さを見せながら、しなやかで強い。
「弓弦どの」
 刀は苦手だ。
 刃のきらめきに体が竦む。向けられても、抵抗するすべを持たないから。
 真家は祖をたどれば薬物の扱いに長けた者の集団だ。時に刀に勝るかもしれないが、それは鞘に収まっていなければならない。
 だから、竜輝の呼ぶ声は怖かった。
「あなたは薫子と近しい人です。あなたが言えば、薫子は思いとどまるかもしれない。薫子はあなたを、」
「十家のフジならとめられるかもしれないよ」
「弓弦どの、」
「ぼくは彼女を止められるほどの存在じゃないんだ。薫は、己が成すべき事と定めたものを何より優先する。情になんか流されない。ぼくが邪魔すれば、薫はぼくを恨むよ。そしてきっと、そのまま死んでいく。――そんなことしたら、ぼくが許される瞬間は、永遠に来ない」
 そんな恐ろしいことは、嫌だ。
 みずみずしい少女だったころから、薫子は弓弦に「好きよ」といい続けてきた。それが世間一般に言う恋愛感情とまったく同じかと問われると、わからない。
 けれど一つわかっている。
 弓弦がもし薫子の感情を真正面から素直に受け入れたのなら、その瞬間に薫子の気持ちは離れていくのだ。
 それなら近くも遠くもない場所から、彼女を見ていたいと思った。
 お互いに立場や命を賭けて駆け引きをする薫子とフジに、特別な距離があるように。
 あれが、今まで弓弦が最善だと思った薫子との距離なのだ。
 それを破って彼女の領域に踏み入りたくはない。踏み入って、嫌われたくはない。
「・・・では、おれだけで行きます」
「竜輝?」
「許されなくたっていい。彼女の最期の願いを叶えてあげられないのだから、恨まれ役くらい引き受けます」
 静かに告げた竜輝の頭を、ふいに賢治がくしゃくしゃと乱暴に撫でた。
 なぜそんな行動に出るのか理解できずに、弓弦は面食らう。竜輝はと言えば、驚きながらも、こどもみたいな扱いをされたことに腹を立てていた。
「ケン!」
「はいはい、いい子いい子」
「ケン!ふざけるな!」
「ふざけてねぇぞ。――弓弦、ちょっと折れてくれ」
 仕方ないな、と言わんばかりの表情は、まるで「兄」である。
「まだ実家から狙われてるこいつを、無防備に外に出すわけにはいかねぇよ。それと、まあ・・・」
 やわらかな表情から一転し、固く真剣な目が弓弦を射る。
「おまえは何が大切なんだよ」
「何が、って」
「わかれよ。――最期なんだぞ」
 最期。
 百家智親も言った。
 薫子のことを知る誰もが、彼女の終わりを見据えている。
「わかってんのか。いい加減に、現実を受け入れろよ。薫子は、――もう最期なんだ」
 心の奥深く、痛いところに、何かが触れる。
 思わず目をそらす。
「最期くらい、おまえが思うようにすればいいじゃねーか」
 きっとこの瞬間に、自分の意識が大きく変わった。
 どんな風に変わったのかは、言葉に出来ない。
 そのとき、携帯電話が震えて着信を伝えた。ディスプレイには、――十家のフジの名がある。
 視線で二人に断って、通話ボタンを押す。
「どしたの?」
 フジからかけてくることは珍しい。何事かあったしるしだ。
『てめぇはのんきでいいよな』
「なにさ。言いたいことがあるなら、さっさと言えばいいじゃないか」
『とうとう議会が頭領に逆らうようだ』
 無意識に、眉間に皺が寄った。
 電話の音量を上げ、自分の耳から少し離す。――滋家の間者二人になら、これで充分聞き取れるはずだ。
『議会はじじさまの決定を無視して、薫子を葬るつもりだ』
 竜輝が表情を変えて身を乗り出し、賢治が険しい表情でそれを制した。
「待って。どこかの家の単独行動じゃないってことか・・・?!」
『春家を除いたすべての家が同意した。つまり春家はそれに従わざるを得ない』
「まさか十家まで?!」
『うちの親父さんは風向きを読む人だよ』
 やけに淡々とフジはそう言った。
『言ったろ。議会の総意だ』
 賢治がそれを聞いて、視線を遠くへと逸らし、ため息をついた。
『内容は三家に正式に委託される。拒否権はない。おそらく透に、役目が回る』
「あの子には無理だ」
『あいつの心配してる場合か。真家にも当然、拒否権はないんだぞ。意味がわかってんのか』
 意味はわかっている。
 議会の総意は、一族の総意だ。
 間者一人ひとり、すべてにわたって、薫子に味方することは許されない。
 今まで春家に従ってきた十家まで薫子の敵となる。――すなわち、

「・・・ぼくらの手で、薫を殺せと?」

 呆然とつぶやく。
 議会は薫子に味方するものすべてを、葬ろうとしているのだ。
 一族という箱庭で生きていたいのなら、彼女を敵に回せ、と。
 頭領でさえ、これに逆らえない。逆らえば頭のすげ替えが行われるだけだ。
 頭領は弓弦になんと言った?――「そなたは静かに、事を受け入れろ」?
『覚悟があるならおれと手を組め』
「フジ?」
『まさかただで転ぶつもりか?』
 ふつり、と電話が切れた。
 電波状況によるものなのか、フジが切ったせいなのかはわからない。
 滋家の二人に目をやれば、竜輝が必死な目をして食いついてきた。
「おれたちが薫子の敵に回ることはありえませんっ!みんなが粛清される・・・!」
「ならば、十家のフジに頼るしかなさそうだ」
 賢治が渋い顔で言う。
「おれと竜輝の立場も、このまんまじゃ危ないことに変わりないんだ」
 弓弦はうなずいた。
 心臓がうるさいくらいに不安を訴えていたけれど、決断には迷わなかった。
「どうやら議会と戦争しなきゃならないらしい」
 散り行く花を見るのはいい。

 散り行く花を見るのはいい。
 けれど、――己の手で手折る勇気はない。




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