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相変わらず、春家の屋敷の縁側で庭を眺めていた。
思考の沼に沈み込んでいたせいで、何時間経ったかわからなかった。それほど長い時間ではなかったのだろう。まだ太陽が夕日に変わる前だったから。
椿が、花の形をなしたまま地面に落ちてゆく姿を見て心が動いた瞬間に、声をかけられた。だから、必要以上に驚いてしまい、心臓が存在を主張した。
「真家、弓弦どの」
慣れない名を口にする、――そんな様子で背後に立っていたのは、滋家の竜輝だった。
水底の砂のような雰囲気を纏う少年は、青白い顔をすっと下げた。正確には、頭を下げた。弓弦に向かって。
「薫子には余計なお世話だと言われるのを承知で、あなたにお願いしたい」
弓弦は眉をひそめた。
プライド高い滋家の間者が、たかが真家の人間に膝を折り、頭を下げるなんて、気持ちが悪かった。
「薫子を止めていただきたい」
そんなもの、もう無理だ。
そう言おうとした。
けれど、竜輝が言うほうが先だった。
「薫子は彼女のもとに集った間者に、・・・おれたちに言ったんです。――これ以上踏み込めば私は議会に属する何者かに殺されると」
「そんなの、」
彼女でなくとも知っている。下っ端の間者が一族の権力と強引さ理解していないだけだ。
議会には、薫子を疎む者のほうが圧倒的な数を占める。その誰かが薫子を暗殺しようとしたってまったく不思議ではないのだ。ただし、互いに牽制しあう議会の中では、なかなか思い切れないというだけの話。
「あなたにはわからないでしょう。生まれながらに虐げられる、下位の間者がどれほど過酷な運命にあるか」
「・・・・・・知らないね」
「おれたちは薫子に生かされてきたんです。彼女が守ってくれました」
「それで?彼女が死ねば自分たちの命も危ないから、彼女を助けて欲しい?」
投げやりな気持ちが現れた台詞だった。別に重い意味も軽い意味もない。けれど竜輝は酷く癇に障ったらしかった。
「あなたは薫子を侮辱したいんですか?」
下手なことを言えば、滋家お得意の変幻自在の武術で瞬殺されそうな雰囲気だった。
百家の智親を襲った若い間者たちも、竜輝と同じ目で薫子の名を口にした。
彼らが、薫子の強力な立場を支えていたのだろう。そして、彼らは薫子によって何かしら救われていた。
そんなものをいまさらのように知る。
「・・・僕は、誇り高い彼女が、好きだよ」
「ならば彼女を、守っていただきたいんです。彼女の、誇りを」
竜輝の言おうとすることが理解できなかった。
静かに苛立ちだけが募り、やがて我慢できなくなって吐き出す。
「彼女は、――・・・死ぬ。誰かが手を下さずとも」
そう告げたとき、竜輝が悲愴に顔をゆがめた。
――まるで、知っていたかのように。
「弓弦どの。・・・・・・おれたちは、ずっと昔に気づいています」
弓弦は目を見開いた。
心臓が一瞬だけ脈を打つのを止めて、次の瞬間から焦りを伝えてくる。
「薫子は殺されることで片をつけようとしている。けれど彼女を、議会の連中などに汚されたくない」
「竜輝、待て!君たちは・・・」
「知っています。おれたちは、彼女のそばにいましたから」
顔を上げた竜輝に、迷いはなかった。
戦場へと向かう武者たちは、かのような覚悟をまとっていただろうか。――美しいものは、ここにもあった。薫子の見せる、底知れない恐怖と隣り合わせの美しさと同じ種類のものだ。
そう。
例えば、人の死体で肥えた土で咲く花。
例えば、血に濡れる運命にありながらも、静かに強くきらめく日本刀。
「――薫子は、命をかけておれたちを守ってくれた。だからこそ、おれたちは命をかけてでも、おれたちが信じた薫子を守りたいんです」