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 詳しいことを孜子に聞こうとしたら、「馬鹿に話すことはありません」と弓弦の質問を一蹴し、現一は不機嫌で返事もしてくれず、フジはつかまらなかった。熱で朦朧とした中で見聞きしたことを思い出そうとしても、濃い霧がかかったようになかなか思い出せない。
(しかしなんであのタイミングでインフルエンザになるかな・・・)
 勤め先は病院である。当然ワクチン接種して、これでもかと対策しているのに、この様だ。
 もちろんのこと出勤停止。母いざよには心底あきれられ、妹胡月にはうつした挙句、父まで倒れる騒ぎとなった。
「手洗いうがいにマスク常備と言ってるでしょう!」
 家族全員、いざよに怒られた。
 いざよは軽い風邪の一つもひかず、この季節の忙しい病院で精力的に働き通しだった。
 そんなふうに数日がたってみると、また薫子に会うための手がかりは途絶えていた。
(つくづく、自分から動く体質じゃないらしい)
 諦めムードが漂う。
 いざよに、
「ねえお母さん、・・・なんで僕って、こんなに間が悪いんですかね」
 と漏らしたところ、帰ってきた返答は、
「お祓いに行ったほうがいいんじゃない?」
 それは本気だったらしく、寺を紹介してくれた。高校の同級生の実家だとか何とか。
 確かに冗談ではなく、腹を刺されたり謹慎を食らったり拉致されて挙句インフルエンザにかかったり、・・・呪われていると考えるとしっくりくる。
(それでもって、女難の年かな)
 これ以上、自分から動く気にはなれなかった。
 フジいわく、「おまえの基本は受動態」。――的を射ているなぁと他人事のように思い、苦笑する。
(あきらめればいいじゃないか)
 そうして生きてきたのだから。
 自分がとった行動によって、思いもよらない失敗が帰って来ることが怖かった。
 幼い頃に聞いた、宮野家の跡継ぎ争いにしろ、百家前当主の反逆と失脚にしろ、事を起こさずに黙っていれば死ぬことも名誉を失うこともなかったのになぜ、という思いがずっとあった。
 冷静に考えたときに、死に行く薫子に会う意味がないことに、気づく。
 今までろくに人と向き合ってこなかった。薫子に対してだってそうだ。
 会わないまま彼女が死んでも、きっとあまり後悔しない。
 ずっと薫子を止めようとしなかったのに、彼女の命の期限が迫っているとしったとたんに、何を考えて会おうとしていたのだろうか。
(自分勝手だ。・・・薫はきっと、気づいてた)
 薫子の訃報が届くのはいつだろう、とそんなことを考えていた。
 彼女にはきっともう会ってもらえないだろう。
 そんな思考に支配されてすごしていた、ある日だった。



 すっかり空気が冷え切った夜八時。
 けだるい体を引きずって家の前まで帰ってきたその日、事は動いた。
 玄関前に、見慣れぬ人影が一つ。――大柄だが、草臥れしおれた雰囲気が漂っていた。
 振り返ったその顔に、面影を見つける。
 浅い呼吸を繰り返して。
「・・・・・・百家、智親」
「よぉ、久しぶり」
 彼は目を細めて笑う。
 最後に声を聞いたのはいつだっただろう。――中学のとき、ではなくて。
「――キミは、薫と一緒に・・・いたよね?」
 霧のかかった記憶の向こうで、姿は覚えていなかったがその声は覚えていた。
 捕まった先で。熱でうなされる弓弦の傍らにいた。
 百野智親。――先代百家当主で息子であり、薫子や孜子にとっては従兄。
 警戒感から、体がこわばった。
 その様子を感じ取ったのか、智親が笑う。
「別に、なんかしようとか思ってねぇよ。俺、もう薫のところから離れたし」
「・・・孜子や百家の当主は、君が薫に加担してたと知ってるの?」
「そろそろ気づいてるんじゃないかな」
「なんで、君は・・・」
 智親が、ふいに視線をそらした。その表情は穏やかというよりも、老けている。激しさも軽さも、どこにもなかった。年は賢治と同じはずなのに。
「今から、ちょっと時間ある?居酒屋でもファミレスでもいんだけど」
「どうして」
「薫に、オネガイされたから。兄貴分として、それくらい聞き届けようと思って」
 返事を一瞬迷った弓弦を制するように、智親は続けてつぶやく。
「・・・最後だし」
 冬の風が、吹き抜けた。



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