33 OTHER SIDE


 階段のほうから音が聞こえた瞬間に、現一が飛び出した。大きな体なのに、その動きは素早い。時折テレビなどで見る、自衛隊や軍の訓練風景を思い起こさせる。――同族だが、家の性質がまったく違うのだ。あの身のこなしは、孜子たち百家の者は必要としない。
 安全を確かめられる距離を保って、孜子とフジはその後に続く。
 体がぶつかり合う音や、独特の鈍い金属音がいくらかしていたが、間もなく下の階から現一の声がした。
「来い」
 その様子がどうもおかしい。拍子抜けしたような、そんな色があったからだ。
 孜子はフジと顔を見合わせたが、フジが先立って階段を降りた。
 二つ下の階の踊り場に、三つの人影があった。
 一人は現一。
 もう一人は床に伏している、先ほどビルの外に張り込んでいた間者。
 最後に、床に座り込んで息を荒げている青年――瀧家の瑞貴。
「瑞貴?」
 孜子が声をかけると、瑞貴は視線だけで応えた。
 瀧家の瑞貴は、秋の徳美の一件で謹慎をくらい、その後一族の表舞台から消え去っていた。仕事をまったく回されず、ちょっとした集会にも呼ばれない状態が今も続いている。
 あの一件で一番割りを食ったのはおそらく彼である。
 なぜ彼が、と疑問を挟む前に、 フジが前に出て、瑞貴に上から問いかける。
「何かわかったの?」
 なるほど、と孜子は内心で頷く。――フジが仕事を干されている瑞貴を使っていたというわけだ。
「その前になんなんだこいつは!」
「ニノ春日に流れた、滋家の間者でしょう」
「滋家の相手は私の管轄外だぞ!」
「知ってるわよ。文人の家に多くは期待してないわ」
 フジや薫子を毛嫌いしていた瑞貴がフジに従っているということは、背に腹は変えられない状況まで追い込まれているのだろう。考えてみれば当然だった。仕事を回されない間者ほど、惨めなものもない。
「・・・・・・私が調べるまでもなかったじゃないか。おまえの予想通り、ニノ春日はすでに滋家と袂を別ってる。滋家を陥れようとしているのは、間違いない、――ニノ春日だ」
「ありがとう。確証があるのとないのじゃ大違いよ。――これで動けるわ」
 フジが厳しい表情を崩さないまま言う。
 瑞貴は憮然とした様子で立ち上がった。
「・・・なんで孜子がいるんだ」
 あからさまに、彼は孜子を睨みつけてきた。
 なぜだろう、と考えて、思い至る。瑞貴は、孜子が薫子を止める理由――薫子の病状――を知らないのだ。彼からすれば、薫子の味方がなぜこちらにいるとでも言いたいところだろう。
「――妹の間違いを正すのが、姉ではだめかしら?」
「おまえは薫の信望者にしか見えなかったけどな。――あんなのただの狂人でしかないのに、馬鹿みたいにあいつのやることに憧れるんだ。萩子だってそうだ。弓弦も操(みさお)も珠里(じゅり)も、・・・ああ、尊だってそうだった」
 軽蔑を隠そうともしない言い方に、思わず反論しようとした孜子だったが、それよりもさきに反応したのは現一だった。
 風を切るわずかな音の直後に、耳障りな金属音が辺りに反響した。
「現一・・・!」
 フジの声も引きつる。
 瑞貴は青い顔で現一を睨みつけたが、すでに腰が引けていた。
 ――現一が瑞貴に向かって放ったのは、鉛球。ぎりぎりで逸らされていたが。
「さっさと話、進めろよ。役立たず」
「・・・っ!」
「偉そうな口きいてんじゃねぇぞ。護衛も満足に出来ずに一族から縁切られる寸前のくせに、一人前に間者の批判か?――クソが。相手はてめぇよりかずっと立派に仕事やってるやつばっかだよ」
 瑞貴はまだなにか言いたそうな顔をしていたが、現一の雰囲気に圧倒されたのか、何も言わなかった。
 フジが場をとりなす。
「さっき言ったとおり、滋家の下っ端がニノ春日に流れて、その指示に従っているみたいなの。薫の仕業かしら?」
「いや・・・それは掴めていない。大方、滋家の当主や賢治を追いやって、その後に自分が高位に就こうとしているやつらが流れているんだろう?別に薫がいなくたって、ニノ春日がそういって奴らを釣るかもしれないじゃないか」
「ニノ春日に、そこまでの力はないわ。下っ端だって、傍にいればそれくらい見抜けるでしょうよ」
「じゃあまさか、・・・薫のカリスマで?」
「あんたの言う、信望者よね。――その可能性が高いと思ってる」
 もともと過激な性質のある滋家だ。薫子のやり方に賛同するものが多くても不思議ではない、と孜子も思う。
「でも結局証拠ナシ、か・・・。まあいいわ。その間者を問い詰めてみましょう。おそらく知らないでしょうけど、もしかすると薫の居場所の手がかりくらい、わかるかもしれない」
 フジは現一に視線を送る。
 現一は無言のまま倒れていた間者を担ぎ上げた。――と思った瞬間だった。
 間者がぱっと体を翻す。その反動を受けて、現一が数歩よろめいた。――一秒後には、間者は臨戦態勢を取っていた。
 よく見れば、二十歳をいくつか過ぎたほどであろう、歳若い青年だ。
「・・・っ、逃がすな!」
 素が出そうで出ない、ギリギリの声でフジが叫ぶ。
 瑞貴が懐から取り出した何かを投じる。――現一が使う鉛球より扱いが簡単だが破壊力の落ちる、五百円玉大の金属片である。若い間者はそれを避けて、四人に背を向けた。
 フジはコートの内側から持ち手のついた細い金属の棒を取り出した。竹刀の三分の二ほどの長さである。それでもって、若い間者を背後から打ちにかかる。――が、間に合わない。
「どけ、フジ」
 現一が鉛球を寸分の狂いもない正確さで投じるが、体に当たっても間者は止まらなかった。ひらりと手すりを越えて、階段をいっきに降りる。
 現一がそれに続こうとしたが、フジが止めた。
「いいわ!――外まで追いかけるわけには行かないでしょう」
 現一は、不服そうな顔をしたが従った。
 フジは孜子と瑞貴にも「いいわね?」と問いかける。
「仲間がいるかもしれないし、あたしたちもさっさとここを引き払ったほうがいいわ」
「あれを尾行すれば、何か分かるかもしれない」
 瑞貴が反論した。
「あんたの尾行なんてすぐばれるわよ」
「だけど場所を移して、なんて悠長にしている暇があるのか?薫に手抜かりがあると思えないぞ。早く手を打たないと、おまえが追い詰められるだろう、慶藤」
 一理ある、と孜子は思う。
 薫子は一気に畳み掛けるやりかたを好む。それを突き崩す、決定的な手を打たなければ、フジの立場は危ういと言えた。
「最悪、うちの親父様に頭下げて間者を裏で動かしてもらうわよ。春家の命令じゃないぶん、多少マシでしょ」
「動くのか?あの、十家の当主が」
「動かすのよ。あたしじゃ無理かもしれないけど、母上が拝み倒せば動くでしょ」
「・・・無茶な家」
 奥方に拝み倒されて動くなんて、と瑞貴は呟く。
「・・・でも、それで薫を止められるとは思えないわ」
 孜子が零すと、現一が頷いた。
「そうだな。十家当主じゃ忙しすぎて手がまわらねぇだろ。薫を決定的に止める何かになるとは思えねぇ」
「別にすぐに止める手じゃなくたっていいじゃないの。あと一月もしのげば止まるんだから」
 驚くほどはっきりとそんなことを言ったのは、フジだった。
「ねぇ、だから。――なにか手がかりになるものがないかって、聞いてるの。些細なことでいいのよ。だいたいね、大事やってる暇、あたしにはないの。――みんな忘れてないかしら?あたし、受験生なのよ?」
 数秒間、その場を支配したのは沈黙だった。
「・・・いや・・・おまえ自身が忘れてると思ってた」
 現一が言葉を濁し、視線を逸らす。
「え・・・?そうだったの?」
 孜子は素で聞き返した。
「おまえ、これで受かったら必死で勉強してるやつらが哀れだ・・・」
 瑞貴がため息をつく。
 試験日は明日。主家の若君が入学決定している大学だし、全国的にも知られている有名大学ともなれば受験日はニュースで聞ける。一族の中ではこの試験日がいつか、良く知られていた。それだけに、フジのとっている行動が信じられない。
 フジは憮然としたが、深くは言わず、話を元に戻す。
「薫子、どこにいると思う?」
 現一は沈思。前々から薫子を嫌っていた瑞貴は露骨に顔をゆがめた。
 孜子も考える。――先ほどから何かが引っかかっている。
 薫子。
 同じ親を持って、同じ環境で育った、妹。
 それなのに、何も分からない。
「――・・・、薫は、弱っているわ」
 そう洩らした孜子に、当然でしょう、とフジは言う。
 孜子は首を横に振った。
「そんなことが言いたいんじゃないわ。薫子が弱ってる。あの子は、表に出てこない。絶対に」
「だから、何なの?」
「犬や猫は、死ぬ前に人の前から姿を消すわ」
 その台詞に、瑞貴が顔をしかめた。
 フジは無言のまま先を促す。
「正確には、体が弱ったときに、安全な場所に身を寄せるのよ。人が来ない、敵が来ないところ。そうでしょう?」
 現一が目を見開いた。
「マキ、・・・どういう、ことだ?」
「正確な場所は私にも分からない。だけど、――安全な場所って、自分の縄張りの中にあるって、・・・そう思わない?」
 縄張りは、それほど広くない。



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