32 OTHER SIDE
十家のフジは、孜子の前に女装で姿を現わした。彼はここ二年でいっきに身長が伸び、どちらかと言えば少女めいていた顔立ちは男のものに近づきつつある。それなのにいざ女装となると、癪なくらい似合っていた。
現一に連れてこられたのは、フジが通う高校近くにあるビルが立ち並ぶ一角。といっても小規模で、すでに廃れていた。三十年以上前に出来たというそこは、殆どのフロアが空いている。
誰も使わなくなったらしいがらんとした部屋の中で、じかに床に座って外を眺めていたフジは、ドアの開く音に反応して振り返った。
「あら、久しぶりね、孜子」
彼の態度は、宮野家の嫡男・至輝の影役をしていた頃とまったく変わらない。――影役は宮野の人間とほぼ同等の権利が認められている。幼いフジは、孜子が敬意を払うべき対象だった。――もっとも、当時は女装に目覚めていなかったのだが。
「弓弦がだれかに捕まったって?――で、それは本当に薫の仕業なのかしら?」
「確証はないわね。あんたの妹は、今日も音信不通だもの」
「何のために、私を呼びつけるのかしら?」
「あんたなら、薫子の居場所に見当がつくんじゃないかと思って。――こっちも手詰まりなのよ。動けないの」
「動けない?」
「下手に外に出られないのよね。――ここずっと、狙われてるの。手口が滋家っぽいわ。だけど今滋家は抑えてあるはずだから、下っ端がニノ春日に流れたのかも。――あたしを邪魔にしているのは、間違いなくニノ春日だわ。殺されたりはしないと思うけど、今はもう・・・その確証も、ちょっと薄らいできたわ」
フジは床から立ち上がって、服をはたいた。――制服だった。孜子の記憶に間違いがなければ、フジが通う高校の女子制服。肩幅の広さなどを考慮すると少し無理があるが、まとう雰囲気が女だった。肩からロングコートをかけてしまえば、さらに誤魔化される。
「・・・もしかしてそれ、変装?」
「そう。こうでもしないと出歩けないの。ウィッグも毎回変えてるわ。おかげで財布が泣けるくらい軽いんだから」
「そんなに、・・・ニノ春日にあなたを狙う力があるのかしら?」
「あるわけないでしょ」
フジはばっさり切り捨てる。
「現一にも伝えたはずよ。――先の件でニノ春日は一度薫を捨てたけど、また手を組んでる。薫がどんな手を使ったかはわからないけれどね」
「あなたを狙う間者は、ニノ春日や滋家からそっちに流れた下っ端だけれど、それらに指示を出しているのは薫だってことかしら?」
「たぶんね」
フジは窓際に立ち、孜子を手招きした。
孜子――と、後ろに控えていた現一――が、ブラインドの下りた窓へ近づく。
「現一、つけられたわね?」
「・・・悪い、気づかなかった」
「いいわ。そろそろばれる頃だったから」
ブラインドの隙間から、曲がり角に立つ人影が見えた。
「あれは滋家の下っ端ね。厄介だわ、あそこの間者は苦手なのよ」
「ねぇフジ。――ニノ春日にここまでする力がないのはわかっているわ。ここまでする理由も、少し弱いわよね。だけど、おかしくないかしら?」
孜子は俯きそうになるのを堪えて、フジを見据えた。
「ニノ春日にもだけれど、薫子にも、ここまでする理由が見当たらないわ」
「・・・なんで、ないと言えるの?」
「あの子は春日を潰して見せると言ったわ。だけど、――これまであなたを狙ったことがあって?じじさまを狙ったことは?他の重役たちを狙ったことは?――ないでしょう?あの子はそんな即物的な手段、大嫌いなはずよ」
自ら物理的に手を下すのを、薫子は嫌った。人を使役するときだって、かなり間接的だ。――自分の言動が回りまわって大きな事柄を動かす、そういうものが薫子は好きなのだ。
たとえば、普通に考えて、――春日を潰したいのなら、主だった重役たちを暗殺すればいい。容易ではないだろうが。
でなければ、無防備に彼女を見守る頭領を狙う手だってあった。跡継ぎが定まっていないこのときに頭領に何かあれば、春日一族は大混乱に陥ること必死なのだから。
何よりも、薫子を一番邪魔してきたフジをさっさと片付ければよかったのだ。それでも薫子はフジを狙ったりしなかった。フジだってそれは同じだ。
「薫は・・・あたしに言ったわ。――私がここを潰してあげる。あなたはそれを見ているといい。そしてあなたは私に負けて嘆いて、跪くんだわ、って」
「・・・ほら、あなたを狙う理由はない。別の誰かが、薫を利用しているんじゃないの?あの子は自分のやり方に誇りを持っているわ。プライド高いあの子が、それを曲げると思う?だいたいあの子はもう、死にそうなのよ?!」
「わかってるくせに現実逃避しないでくれる?あたしだってそれを信じてこの一月薫子に騙されてきたのよ!」
フジの声が裏返り、男の本性がちらりと姿を見せる。
フジの言うとおりだ。ただの現実逃避。――電話で薫子は、初めて弱音を吐いた。それほどに薫子は己の抱える病に追い詰められている。だから、もう彼女が手段を選ばなくたって、なんの不思議もないのだ。
孜子は必死に言い返す言葉を捜すが、その前に現一に無言で止められる。
フジはさらに言い募った。
「薫はあたしにもう一度組もうと言ったわ。・・・最期に、もう一度、一緒にって。だけどそれは薫の罠だった!あたしたちは、あたしたちのゲームを、・・・十年も続けてきたゲームの延長だったはずなの!だけど薫はそれを裏切ったわ。薫はゲームを利用して、あたしを騙して、目的の達成だけを目指し始めてる」
「だけど・・・!」
「だけど?何?何か知ってる?」
「・・・・・・わからないわ。あの子が何をしたいのか、私は理解できたためしがないんだもの」
「あたしは多少わかってるつもりだった」
フジの声は、冷たく響いた。
孜子は彼の様子に、思わず視線を伏せた。
薫子はフジを理解者だと言った。「私の野心を肯定して、その価値を知っているのはきっとフジだけなの」と。実際孜子は、その価値まではわからなかった。
フジも同じだったのだろう。
けれどそれを、薫子は裏切った。
「弓弦は、おそらくあたしの代わりに捕まってるわ。――生きているかどうかは知らないけどね」
「・・・話がようやく戻ってきたようだけれど、あなたの代わりと言うのは初耳ね」
「あんまり言いたくないんだけど・・・原因はあたしにあるの。弓弦に一服盛られて寝入ってる間にケータイすられたのよね」
「・・・・・・」
嘘でしょう、と孜子は声にならない声で呟く。
弓弦は間者の最低ランクの枠外にいるようなやつである。それがフジ相手にそんな真似する度胸からしてあるとは思えなかった。
「で、弓弦の手元にあるあいだに、あたしのケータイに薫子が電話をかけてきてる。それは履歴でわかったわ。その内容がなんだったかわからないけれど、弓弦は行動をおこして、薫に・・・」
「弓弦があなたの代わりに電話に出たとしたらあの子はなんで、弓弦をあなたのかわりにするの?おかしいわ」
「ここ最近、薫は一方的な連絡しか遣さなかったわ。――録音だったのよ、薫の声」
「・・・弓弦に伝わったと、あの子は知らないの?」
弓弦はもしかすると録音の音声だと気づいたかもしれない。気づかなかったかもしれない。どちらにせよ、弓弦には大きな問題ではない。
指定されたのか、思い当たったのか、その場所に向かえばいいのだ。そうすれば、薫子に会えると弓弦は思い込む。
「そんなわかりやすい罠、あの子は仕掛けないわよ。あなただって、」
騙されるわけがないでしょう、と言いかけて孜子はやめた。
フジが複雑な笑みを浮かべていたから。
嘘でしょう?と呟くと、フジはゆるやかに首を横に振った。
「あたしは、あたしなりに、薫を信じてた。自分で電話を受けていたら、わかっていてたけど行ったかも知れないわ」
薫子は一度もフジの身柄を直接狙わなかった。一番簡単であるはずなのに、だ。
それはお互い様。
フジも薫子を狙えばいいのに、狙わない。
彼らの関係は理解しがたいが、そこに確かな信頼もあったのだ。
もしかすると、薫子はそれすら利用しようとしていたのかもしれない。
「じゃあ・・・弓弦に利用価値はないでしょう?どうして拉致されるの?」
「弓弦が死ねば、一族はそれなりに混乱するわ」
「・・・まさか、薫が弓弦を殺すって言うの?!」
「それくらいしかないのよ。まったくの別件に巻き込まれてると言わない限りね。――言っておくけれど、人一人殺しても得られる成果がその程度なんて、馬鹿らしいわよ」
「今のあの子なら・・・、でも弓弦だけはありえないわよ・・・」
さっきから、心臓が落ち着かない。
薫子は、弓弦に執着を見せていた。――彼に向かって好きだと何度も言っていた。弓弦は相手にしなかったが。
「薫はもう、まともな状態じゃない。だからこそ薫のために、弓弦の無事を確認したいの。――だけどじじさまにこれ以上手を貸していただくわけにはいかないってことは、あんたにもわかるでしょう?今の議会は、薫のおかげで不安定だわ。そこにきて春家が議会に明らかにせずに事を処理するなんて、議会の反感を買うに決まってる。――孜子。なにか知らないの?なんでもいい、薫の居場所をさがす手がかりをちょうだい」
これほどに真摯なまなざしのフジを見たのは、初めてだった。
けれども孜子にはわからない。
薫子と同じ親から生まれて、ほぼ同じ環境で育ってきたはずだった。薫子は妹だが幼い頃から孜子よりずっと賢かった。けれど、孜子が支えてやらなければならない時代だって確かにあった。
欠片くらい、わかったっていいのに。
その時、現一が鋭い声をあげた。
「・・・フジ。張り込んでた間者がいなくなった」
ブラインドの隙間から外をずっと観察していたらしい彼の声は、緊張に包まれている。
一方のフジも緊張を高めた。
「どうするつもりかしら?」
「諦めたわけじゃなさそうだ。くるかもしれない」
「あんたがいるってのに、向かってくる馬鹿がいるの?」
「一人とは限らないし、相手は滋家だ。下っ端でもおまえらじゃ分がわるいだろ。っつか狙われてるくせにスカートとかはいてんじゃねぇよ馬鹿」
現一は戦闘に不利だとでも言いたいのだろう。フジもそれを知った上でこう言い返す。
「見られても別に困らないからいいのよ」
孜子も同調した。
「見る人が気の毒だわ」