31 OTHER SIDE


 電話の向こうの声。
 少しだけ、前回よりも力強さが薄れた。確実に、彼女から様々なものが失われつつある。
「――いいわ、私のほうから、お母様に話を通しておくから。あなたは体を気遣いなさい。くれぐれも、無理はしないで」
 本当は、やめてしまえと言いたい。
 けれど言えない。
 彼女の意志がどれほどに固いものか知っている。それに、彼女が成し遂げる姿を見てみたいと言う気持ちも、少なからずある。
「ねぇ、本当に大丈夫なの?お医者様に、なんて言われたの?やっぱり、病院にいたほうがいいんじゃない?」
 少し疲れたわ、と返答がある。
 めずらしい。彼女はいつだって強気に大丈夫だと言い続けてきたのに。
 少しは休みなさいと言う言葉に、そんな時間があると思うの?とおどけた調子で声が返ってきて、そして別れを告げる。
「ええ、・・・じゃあね」
 こちらの心配などかけらも理解した様子なく、あっさりと電話は切れた。
 百野孜子は、つー、つー、とむなしく音を響かせる受話器を、ため息と共に置いた。
 背後にあるリビングのドアが開いた。振り返ると、ドアから従兄が顔を出している。
「電話、薫から?」
「ええ」
「あいつ、どうしてんの?」
「好き勝手やってますわ、ほんとに嫌になるくらいわがままにね」
 疲れた雰囲気を漂わせる従兄――百野智親(もものともちか)は、雰囲気そのままに苦笑を漏らした。
「あれは寿子(かずこ)叔母さんじゃなくて、うちの親父に似たんだろ」
「縁起でもないわ。やめてください」
 孜子がまなじりを吊り上げると、智親は肩をすくめてドアの向こうに顔を引っ込めた。
 本当に、縁起でもない。――反逆者に似るなんて。
 幾度目かもわからない重いため息をついて、廊下に置かれた電話から離れたところに、今度は玄関のほうから呼び鈴が鳴る。
 表情を引き締めて、孜子は玄関へと急いだ。
 百野――百家の家は、築二十年ほどで、孜子が普段働いている宮野の邸宅のような純和風とは程遠い造りである。広さも、あれに比べれば犬小屋程度。
 もっとも、百家の人間は一年のうち三分の二を宮野の邸宅で過ごしている。いわゆる住み込み状態だ。だから、この家もあまり使っていない。小さくても決して不便はなかった。
 訪ねてきたのは、めずらしいことに、良家の現一だった。
 仕事の性質上、百家と良家の接点は薄いし、現一個人とはとりたてて仲良くもない。孜子にしてみれば、弓弦や賢治のほうがまだ接点がある。
「どうしたの?フジのおつかい?」
 軽い冗談のつもりだったのに、現一はあきらかに機嫌を悪くした。
「否定は、しねーよ」
「ごめんなさい、冗談だったのよ。――それよりも、ほんとにどうしたの?」
「薫、どこにいるかわかるか?」
 その質問に、孜子はきょとんとして首をかしげた。
「フジが・・・そう聞けと言ったの?」
 体の中を違和感が駆け巡る。
 さっきの電話――、彼女は、薫子は何と言った?
 ――少し疲れた?
「ああ、そうだけど、なんか悪いことでも――」
「フジが薫子の居場所を把握してないって言うの・・・?!」
「はぁ?知るかよ、あいつのことなんて」
 問い詰める孜子を、現一が怪訝な顔で振り払う。
「なんだよ、フジは知らなきゃおかしいのか?」
「一番おかしいのは、フジが私にそれを聞くということでしょう?」
 そういうと、現一は、納得した様子を見せた。
「薄々思ってはいたが・・・やっぱりフジが、切羽詰ってるってことか?」
「違う・・・!」
 孜子は頭を抱えた。
 薫子は自信家で、いつだってどんな病状でだって弱気にはならなかった。時折電話してきたり、ふらりと帰ってきたりしたが、その時だって弱音は一切吐かなかったのだ。
 電話の向こうから聞こえた、薫子の言葉を反芻する。彼女の声音を思い出す。
「焦っているのは、・・・薫のほうだわ」
 震えそうになる声を振り絞って、そう告げる。
 察しのいい現一は、すっと眉を寄せた。だが、それに関することは、その場では言わなかった。
「顔色が悪いぞ、どっか座れ」
「・・・中に、入って」
 現一を中に招きいれ、油断すれば震える足を居間へと運ぶ。客間もあるのだが、居間のほうが部屋を温める手間が要らない。それに現一は、気を使う相手ではない。
 居間に入ると、そこと続いている台所から声が上がった。
「あれ・・・現一?だろ?」
 従兄の智親だった。――すっかり存在を忘れていた。
 彼は、台所の椅子に腰掛けて、マグカップで何かを飲んでいる。
「・・・お久しぶりです、智親さん」
 現一が、智親がいたことに面食らいながらも挨拶する。
「おー・・・久しぶり。――あれ?どうした、マキ。顔色・・・」
「お兄様、席を外してくださる?」
「え?ああ」
 智親は首を傾げただけで、何も聞かずにその場から立ち去った。
 彼は、こういうことに慣れている。いちいち腹を立てたり、首を突っ込んできたりしない。
 現一を促して座らせ、自分もその向かいに座る。
「あいつ、フジにだけは居場所知らせてたのか?」
 現一の問いに、首を振る。
「居場所は知らないと思う・・・でも、必ず連絡を取れる状態にはしていたらしいわ。私が知る限りはそうよ。私も、お母様も知らないのに、フジはいつだって知っていたもの。私たち、フジに伝言頼んでたのよ?」
 現一は眉間に皺を寄せた。
「そのフジにさえ、行方をくらませたってか?」
「きっと体調が悪いんだわ。あの子が、自分の身を守れないくらいに」
「周囲と連絡を絶って、安全な場所に身を寄せてる?――犬か猫みたいなことしやがるな」
「あの子はもともと野生的よ。理性と愛情があっての人間なのに、あの子にはそれが欠けてるんだもの!自分勝手で、ひたすらわがままで、妹に何かをゆずったり分けたりするのさえ打算でしかなかったわ」
「・・・リアルすぎて吐き気する」
 これは薫子を間近に見てきた人間ならば当然の反応だった。
 「これがほしいわ」と恐ろしく無茶な要求を、無謀な相手にむかって平気でするのだ。周囲が青くなるばかりで、本人は涼しい顔をしている。そして最終的に、ほとんどの場合欲しいものを手に入れている。数分で手にしてしまうこともあれば、数年かけて達成するものもあったが、彼女は思い通りに人生を歩んでいた。
「フジは・・・どうして薫の居場所を知りたいの?私に聞くって事は、何かあるんでしょう?」
 現一は苦々しい顔で頷いた。
「弓弦が、いなくなった。――たぶん、ニノ春日側の勢力に拉致されてる」



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