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 タクシーの中で寝入ったフジを起こし、自宅の前に着いたことを告げる。
 フジが自宅の門をくぐるのを見届けてから、運転手に今度は自宅の住所を告げる。
 やれやれ、と弓弦はため息をついた。
 それほど間をおかず、自宅にたどり着いた。真家と十家はその重要性からも春家と近い場所に家を構えている。
 玄関に入り、ドアを閉めて、そして一人呟く。
「慣れないことはするもんじゃないよね」
 コートのポケットから取り出したのは、――フジの携帯電話と手帳。
 寝入った彼の鞄とポケットから抜き出してきたものだ。
 一応春日の間者である弓弦も、こういうことのやり方は知っている。
 しかし、慣れぬことをするものではない。心臓に悪かった。平気な顔で人に薬を盛ることも、眠っている相手の懐をさりげなく探ることも。
 いざよが呼ぶのも無視して自室に入り、携帯電話の電源を入れる。警戒心の強いフジらしく、ロックがかかっていた。
「四桁・・・ってことは、一万通りだよねぇ・・・」
 残念ながら、機械系にそれほど強いわけではないし、一万通りを試す忍耐も時間もない。
 手帳のほうも、やはりそれほど重要なことは書いていないようだ。重要な情報は、頭の中だけに残すのが基本である。何よりも、フジの字は悪筆で読みにくい。
 ――こんなことをしても、無意味だったか。
 今までどおり、すべてに無関心で、事なかれ主義でいるべきなのか。
 そのとき、フジの携帯電話が鳴った。――電話番号は、非通知。
 反射的に、通話ボタンを押した。
『フジ?――』
 凛とした、そして強気な声だった。
(まさか、)
 ――薫子。
 とっさに声を上げそうになって、どうにか飲み込む。
『面倒なことになったわ。良家が一枚咬んでるかも知れない』
 電話で内容を伝えるとは、妙だ。重要な事柄は、直接伝えるのが一番安全だとわかっているはずなのに。
『それと、私のほうに時間がなくなってきたの。悪いけれど、賢治のことは任せるわ。明日、会いましょう。詳しい話は、そこで』
「薫!」
 叫んだときには、切れていた。
 呆然と、ディスプレイを見つめる。
 これは偶然なのか。
 フジは、薫子の居場所を知らないし、直接の連絡手段もないと言っていた。
 薫子からの一方通行。
 それが、今。
(どこで会うつもりだった?いつ?)
 互いに落ち合う場所と時間は最初から決められていた?
 ならばそれはどこ?
 考えが行き詰まるより先に、フジの手帳を開く。
 人の電話番号だとか、予定だとか、時間割だとか、ありとあらゆることがメモしてある。その中に、何かないのか。
 必死で考える。
 会ったところで、今更薫子を止めることなんて出来ない。する必要もない。彼女には、春日を潰す力も時間も、もう残っていないのだから。
 それでも、今度こそ会うべきだと思った。――弓弦自身が、後悔しないために。



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