幕間



 時に祈りたくなる。

「賭けよ。だけど幸運の女神なんかには祈らない」

 自分の力の及ばないものが存在する。それは事実だ。
 だからと言って、祈ってどうなるだろうか。
 祈る暇があるなら、そのぶん手を尽くせばいい。――それが間違いであるとは思えない。

「私が私以外を信じる必要があるの?」

 けれど。――自分の力が、自分の信頼に足らなくなったとき、一体どうすればいいのだろうか。
 己以外何一つ信じなかったわたしが、何かに祈って許されるのだろうか。


--*--



28


 無理やり聞き出したフジの携帯電話の番号にかけると、その日は一日中「電源が入っていないため」と決まりきったアナウンスが流れていた。
 仕事の合間を見つけて、かけ続けた回数、十五回。
 仕事を終えて帰宅する途中にかけた十六回目で、初めてフジは電話に出た。――時刻は午後七時。辺りは真っ暗で、末端がしびれるほど寒かった。
「もしもし?」
『てめぇはニュースというもんを見てねーのか、新聞読んでねーのか、この非常識!』
 第一声が、怒鳴り声である。フジはたくみに感情を隠す人間で、怒りをこのように表すことは少ない。ということは、弓弦の側に失態があったと考えるべきだ。だが、謝るのも癪だった。
「見てないし読んでないよ。昨日から一日中病院だったし、患者さんが多かったし。――で、会える?賢治のこととか、薫のこととかで、いろいろ話したいんだけど」
『・・・今から市街まで出てこれるか?』
「あー、うん。わかった。二十分もあれば行けるよ」
『駅前の喫茶。あそこでいいだろ』
「いいよ」
『覚えてろ、殴るから』
 電話は一方的に切れた。
 なんだろうか、と考えながら一つ息を吐き出す。
 手の中の携帯電話でタクシーを呼ぶ。五分ほどで来たタクシーに、駅までと告げて、約十分。
 帰宅する人々が行き交う駅前に、弓弦は降り立った。
 フジの指定した喫茶店に入ると、奥まった席にやけに目立つ少年がいる。――言わずもがな、フジである。
 高校の制服に身を包み、傍らには学生らしい大きな鞄。整った顔立ちは、中性的で人目を引く。疲れた顔で、ティーカップを口元に運ぶ姿はドラマの一場面のようである。
「・・・無駄に綺麗だよね」
 挨拶代わりに出たのは、そんな言葉だった。
 フジの向かいに座りながら、注文をとりに来た店員に「コーヒーを」と告げる。
 フジはティーカップ越しにじろりと弓弦を睨んだ。だが、何も言わない。相当不機嫌だ。
「今日、なんかあったの?一日中電話繋がらなかったけど」
「・・・弓弦、おれはこれでも高校三年だ」
「ふーん?」
「ふーん、で済ませんな、この馬鹿。今日はセンターだ、センター」
「・・・ああ!」
 ようやく合点がいった。
 ――大学入試センター試験。
「・・・そーいや、受験生だったんだ」
「簡単に言うな。こっちは大学に行けと議会から厳命されてんだ。落ちたら廃嫡の危機だっつの」
「いっそ廃嫡になればいいのに」
「おい、それ心の中で思ったつもりか?声に出てるぞ」
「ああ、ごめん、ぼくとしたことが」
 軽いやり取りを終えたところに、店員がコーヒーを持ってくる。礼を言って受け取り、口に運ぶ。それほど外を歩いていたわけではないはずなのに、暖かさが体にしみる。
「しかし、なんで大学に入れって?真家じゃあるまいし」
「若君の護衛だよ。学部は好きにしていいけど、いざというとき学内を自由に出入りできる人間がほしいって」
「若君は・・・確か推薦で決まってたよね」
「ああ」
「ふうん・・・?」
 妙な話である。フジはたしかに勉強以外にかまけているが、もともとの出来がいい。弱みを見せることを嫌う性格も手伝って、絶対に努力しているとは悟らせないものの、人並み以上に何事もこなせるはずだ。
「・・・たかが受験で、ずいぶん疲れてるね?」
「たかが受験、されど受験だ。勉強は一通りしなおしたし。廃嫡にされちゃ、たまんねーよ」
「フジを嫌ってる人間からすれば、廃嫡にする格好の機会だね」
「ほんと、弓弦が思いつくくらい簡単なことなんだよなぁ・・・」
 つまり、いくつもの妨害を乗り越えてきた、ということだ。彼自身が選んだ道とはいえ、少々同情する。
「で、何の用だ」
「賢治と滋家の間者のこと、どう処理したのかと思って」
 ――意識を失っていた弓弦は、あのあと何がどうなったのか知らない。目が覚めてみたら自室で、いざよに「すべて片付いたから」と言われたのだ。それ以上は、聞いても教えてもらえなかった。
「そんなことか」
 けっ、とフジが悪態をつく。――この程度のことで苛立ちをみせるとは、試験のあれこれで、相当参っているようだ。
「あれは、悪いが、じじさまを呼ばせてもらった」
「・・・キミじゃ無理だった?」
「どの家が関係してるか、わからなかった。竜輝とかいう間者も口を割らない。こうなると、下手におれが手を出すより、春家が秘密裏に処理してくれたほうが安全なんだ」
「・・・このところ、春家それが多すぎるよ。反発がいつ起きたって不思議じゃない」
 春家、すなわち頭領の言うことに従うことが基本とされる一族だが、あまりにワンマンでは反発が起こるのは当然だ。議会と和を保ち、議会の均衡を保つように動く頭領が、理想とされる。
 武力を持たない真家にとって、議会の争いに巻き込まれるのは危険だ。だから、議会が常に穏やかであることを願っている。
 頭領への反発から議会に何らかの争いが起きてしまうのも、避けたい。
「おれだって自分でできるなら自分でやるさ。じじさまの負担を増やしたいとは思ってない」
「・・・そりゃそうだ」
「ま、とりあえずおまえの知りたいこと言っとくと、賢治と竜輝は、春家が身柄を預かってる。薫の居所はわからない。とりあえず、おまえからの預かり物は薫の手に渡ったはずだ」
 預かり物――弓弦がフジに渡した、麻痺毒のことだ。
 あれで、フジや薫子は滋家当主の失脚を目論んでいた。その実行を、賢治にさせようとしていた、――はずである。
「賢治がいなくて、いいの?」
「いや、必要だよ。予定が狂ったのは確かだが、近々あいつも、動き出すだろ」
「ふうん・・・?」
 フジがイライラした様子で、空になったティーカップをテーブルに下ろす。彼は通りがかった店員に、紅茶をもう一杯、と注文した。
「・・・受験の他に、何かあるの?やけに機嫌悪いけど」
「ああ・・・?いや、・・・実家からも邪魔入ってるからな」
「実家?」
「うちの親は、滋家の当主の挿げ替え反対だから」
「・・・・・・」
「滋家だけでも厄介なのに、そこに実家が加わったら薫と組んでも難しい」
「十家当主と争ってるってこと?」
「争うってほどじゃない。毎日毎日口喧嘩はしてるけど。賢治の監視が厳しかったり、おれに対する監視が厳しかったり、ってだけ」
「だけ?」
「そう。それだけ。――それだけなのに、なんでうまくいかないのか、わからない」
 フジの視線が弓弦から逸れて、新たに運ばれてきた紅茶へと移る。
 自分の思うようにことが運ばない上に、その原因までわからない、だから不機嫌。ということらしい。
 なんだって自分で答えを導き出してきた彼にとっては、ストレスに違いない。
「・・・薫と組む価値がないとは、言いたくないんだ」
 ぽつり、とそんなことをこぼして、フジは紅茶に口をつけた。
「薫と組んでもうまくいかない?」
「全然ダメ。薬の副作用とかが結構あるらしいし。頭が回らないって、本人も言ってた」
「・・・末期に使う薬は、痛みをごまかすためのものだからね」
「つまり麻薬だろ」
「言ってしまえばね」
「なあ、」
「ん?」
「麻薬漬けの人間と組むのは馬鹿でしかないよな」
 弓弦は眉をひそめた。
 フジは薫子と同じで、自分で何でもこなせる人間だ。そして賢くて、深く考えることを苦痛としない。自分の感情の整理は、自分でつけることができる。だから、人に意見を求めるなんて、滅多とない。
「・・・キミは、もっと計算高い人間だと思ってたよ。情なんて、邪魔なだけって思ってるようなタイプなのかなって」
「それなりにな」
「でも若君とか、姫には、やさしいよね。あと、徳美にも、かな。彼らに、害があるものを近づけない。――それって、好きな人間だから、だろ?」
「・・・逆だ。守るものがあるから、計算高くなったんだよ」
「薫は、キミにとって何?」
「・・・・・・」
「守るべき対象?敵?それとも、道具?」
 フジは黙り込んだ。目を伏せて、きゅっと口元を結ぶ。
 これが正常な反応なのだろうか。
 あれほど動揺しても、弓弦は薫子のことを思って涙を出すことが出来なかった。そんな気持ちにはならなかった。――職場に死は溢れている。春日一族は、世間一般よりも死が近くに存在する。世間一般だって、歳を重ねれば重ねただけ人の死に出会うことは多くなる。
 賢治が、自分の兄かもしれない人の死を知っても泣けなかったといった。麻痺した感覚で、自分もそうなるのだろうと思った、と。
 感覚はそれと似ている。
 歩みを中断するほどの事件ではない。人は、死んで当たり前なのだ。
「薫は、鏡だよ。――道具の一つだ」
 伏せられた睫の合間から、涙がにじんでいる。それが目からこぼれ出ても、彼は手で乱暴にぬぐったりしなかった。
 こぼしたのはその一粒だけ。
 すっと顔を上げたときには、いつものフジだった。
「・・・別に、我慢しなくてもいいのに」
 そういうと、フジは軽く眉根を寄せた。
「化粧が落ちる」



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