27
緊張感から這い出すように、弓弦は玄関へと出た。――現一が発する威圧感は、傍にいるだけで参ってしまうほどだった。あれを直接ぶつけられる少年が哀れだ。
「千客万来だな、休んでもいられない」
弓弦はドア越しに客が誰か確かめ、玄関をあける。
そして、おもわず弓弦はため息をついた。――そこにいたのは、能天気な顔をした、滋家の賢治だった。
「え、なに!おれなんかした?!」
賢治が傷ついたんだけど、と騒ぐ。
一方の弓弦はさめていく。
「いやぁ・・・知らないほうがいいんじゃないかなぁ、なんて」
「なんだそれ」
弓弦はそれ以上説明をする気になれず、賢治を中へと招き入れた。
賢治が目撃するのは、自分が助けようとした同族の竜輝と、それをにらみつける良家の現一の姿である。
「・・・竜輝?なんでおまえここに、」
「弓弦を殺すつもりだったらしいが、――なんであんたがいんだよ」
「は?なんで竜輝がそんな・・・っつかそっちこそ。なんでいんの、現ちゃん」
「その呼び方をすぐにやめねーと、刺すぞ」
「え、無理だろ。現ちゃん体治ってないのにさ」
真剣で切りあった仲とは思えないなごやかさだ。
賢治は過去にこだわるたちではない。お互いに生きているならよしとでも思っているのだろう。
もともと仲の悪い二人、というわけではない。
現一は小学校の高学年にもなると大人と対等に渡り合う武術の腕を見せていた。六歳年上の賢治はちょうどいい練習相手になっていたはずだ。実際竹刀での手合わせを何度も見たことがある。
「で、――竜輝」
賢治がふいに厳しい目を少年へと向けた。
怒りではなく、無言の威圧と問いかけだ。
しかし少年は答えない。
賢治は少年に近づくと、唐突に平手で少年の頬を殴った。――誰かが止める暇もない。殴られた少年も、突然のことに呆然としている。
「なぜ春家の庇護下を離れてる?」
少年は相変わらず無言だ。――と思った瞬間。
少年が握ったこぶしを賢治へと突き出す。賢治はさっと手のひらで防ぐが、反撃がくると思っていなかったのかその表情は驚きに満ちていた。
少年は軽く跳びあがってソファに立つと足場の悪いそこから、賢治へ蹴りを食らわせる。賢治が防ぐのを見ると、すぐさまソファの背もたれを跳んで越えた。
「なんのつもりだ、竜輝」
「貴様に守られて生きるつもりは、欠片もない」
「ほう?――で、生きる手段をどこに見つけた?弓弦を殺せと命令する馬鹿がいるとは思えないが、一応それは誰かと聞こうか?」
「答えてやる義理はない」
「馬鹿が。現一もおれもいるここから、おまえは逃げ出せやしないんだ。大人しく答えて、従ったほうがその身のためだ」
「貴様に守られて生きるつもりはないと、さっきも言ったはずだ」
「ほう、――殺すしかないらしいな」
賢治のあまりに早い決断にあわてたのは弓弦のほうだった。
賢治が己の地位まで捨てて守った少年である。いくら賢治でも、それを殺すことにためらいがないはずがなかった。
それにここは自宅。間違っても殺人現場にはしてほしくない。
「待って、賢治」
「止めるな。こいつを生かす価値はもうない。おまえを殺そうとする人間が一族にいるってことは、覚えておく必要があるがな」
「おかしいよ、ぼくを殺したって誰も得しない。ぼくは周囲に知れ渡る、事なかれ主義だ。しかも真家の跡継ぎで、これを殺せば一族が全力で犯人を追うことが容易に想像できる」
「じゃあなんで――」
「なんで賢治はここへ来たの?来ることを薫以外の誰が知っている?――これを知る人間が黒幕だ」
部屋は静まり返る。
――狙われているのは弓弦ではなく、賢治だ。
弓弦が殺されることがあれば、その犯人は必ず一族につかまることとなるだろう。
もし黒幕が、賢治がここへ訪れることを知ったうえで、少年に弓弦の暗殺を命じたとすれば。少年が弓弦を暗殺し、工作したとすれば。
のちに訪ねてくる賢治が犯人に仕立て上げられる。
もともと少年も賢治も同じ滋家の間者。その手口は似るに決まっている。
この少年はいまだに議会に「発覚」していない存在である。犯人の候補に挙がりようがない。
さらには、賢治が徳美襲撃の犯人であるといまだに議会に「発覚」していないから、滋家と賢治の縁はまったく切れていない。表向きに賢治はまだ跡継ぎだ。
「賢治が真家の跡継ぎを暗殺したと思われた日には、――さすがの滋家も格下げだね。下手したら潰されるかも」
「滋家を排除したい誰かがいる・・・?」
「らしいねぇ」
弓弦は部屋の全員を見回した。
現一がつまらなさそうに息を吐く。
少年と向かい合う賢治は、緊張を解かないままつぶやく。
「誰だ」
「キミの動きを知っている人間。キミにとっての内にいるか外にいるかはわからないよ。少なくとも薫やフジの仕業じゃない。滋家並に強引なことをするのは、さて誰なのか」
「でもおかしかねーか?なんで毒を使おうとした?」
そういうのは現一だ。
少年が眉をひそめるのを見て、弓弦は苦笑した。――どうやら何も知らないらしい。
弓弦は毒の入ったコップを手に取った。
「滋家の竜輝。知らなかったらしいね。――真家の人間は呪われてるんだよ」
一気に水を飲み干す。――無味無臭の毒は抵抗なく吸い込まれていく。
少年は顔をこわばらせ、現一と賢治もあわてた表情を見せる。
「ばかっ!だからって無事とは限らねぇだろうが!」
「平気だよ」
空になったコップを床に投げて、あわてる二人を一言で黙らせ、少年を見据える。
「真家はかつてお毒見の家でもあったんだ。薬物に影響を受けにくい人間を集めて、血族結婚を繰り返して。――主家を守るための毒見じゃない。敵地において、まず己が体を張って飲んでみせる。信頼を得た上で、それを敵の主に飲ませ、――殺す」
戦国の時代に発祥したといわれる、この家。しかし力を発揮したのは江戸になってからだった。誰かの政敵を殺すために、この家の者は使われてきた。
「死ぬわけがない。血が薄れたとはいえ、真家の血筋はこの毒を主な武器としてきたんだから。別にこれは隠してなんかない。積極的に口にしないだけの話。一族の主だった人間なら知っていることだよ。――だから、ねぇ、・・・毒を使おうと考えたのは、キミの独断だろう、竜輝」
現一も賢治も、弓弦がそういう体質であると知っている。弓弦にも効く毒、効く量も予想をつける。だから現一が弓弦に対して毒を使ったときにはきちんと効果を発揮した。
少年は蒼白になって後ずさった。その隙を逃さず、現一が懐から出した鉛球を投げつける。少年が避けるとほぼ同時、賢治が身軽にソファを飛び越えて少年の側頭部へと蹴りを食らわす。
お手本のような鮮やかさで、蹴りが入る。少年の体は、無抵抗に床に沈んだ。
それを見届けて、賢治が弓弦をふりかえる。
「弓弦。解毒剤とかあんのか?」
「ないよ」
「平気なのかよ」
「平気だよ。確かに血は薄れて影響を受けるようになっているけど、普通なら気を失ってるところだ」
遅れて襲ってくるめまいに耐えながら、弓弦はソファまで自力で移動し、倒れこんだ。
長く息を吐き出して、やるべきことを考える。
「・・・賢治、すぐに薫に連絡は取れる?」
「いや、無理」
「じゃあ現一。フジには?」
「無理すりゃできなくはねぇな」
「じゃあフジでいい、連絡して。あの子ならこの状況を処理できる」
「・・・仕方ねーな」
現一は携帯電話を取り出して簡単なメールを打つ。――どんな内容かは知らないが、おそらくは暗号的なやり取りだろう。
「賢治はここで大人しくしてるべきだよ」
「十家のガキの指示に従えって?んなのお断りだ」
「そのほうが、薫が不利にならない」
「もともとおれは薫の味方ってわけじゃねぇ」
「賢治。――実家から狙われてるだけじゃない、他に敵が現れたっていうのを自覚すべきだよ」
さすがの賢治も黙り込む。
滋家からと、正体のわからない誰かからと。――滋家の暗殺をかわすだけでも相当神経を使っているはずだ。
「現一、手があいた?悪いけど胡月を迎えに行ってくれない?」
「なんで?」
「そこの間者が胡月の名前を出した。目をつけられてるかもしれない」
「阿呆、過保護だ。おれが迎えに行ったのを見られたら、逆に状況が厄介になる。ほっとけ、あんな利用価値のないガキ、どうもならねぇよ」
言われて弓弦は苦笑する。利用価値がない、――つまりは安全というわけか。
「じゃ、キミのすることはもうないよ。寝たら?」
「そうする」
睡眠薬がまだ効いている状態で起きていられる彼の精神力というのは相当なものだ。
現一は集中力が切れたのか、ふらつきながらリビングを出て行った。
「賢治、後のことは頼む。僕は、これ以上動ける自信ないから」
返事を聞くよりも先に、弓弦の意識は深いところへと落ちていく。