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24
現一が去って数十分、またもや来客を知らせるベルが鳴った。
ある種の予感をもって玄関を開け、やっぱり、と弓弦はつぶやいた。
「なんだ、やっぱりって」
眉間にしわを寄せて、フジが立っていた。
現一ほどではないが、フジもやつれていた。線が細い彼は、少し顔色が悪いだけでずいぶん重症に見える。
「キミも寝る?」
「いや、いい」
「何の用?」
「しばらく休ませてくれればいい。時間がちょっとばかり空いたんだ」
「へぇ、・・・まあいいや。どうぞ」
「悪いな。――で、現一は寝たのか」
「さっき部屋のぞいたけど、ちゃんと眠ってたよ。薬も結構強いの出しといたし」
「ならいい」
フジをリビングへと招きいれながらその言葉の意味を問うと、軽い笑みが返ってくる。
「そのつもりでここへ来させたんだよ。なんだかんだで、真家は安全だ」
「・・・意外だな、キミがそういう気遣いするなんて」
「駒の手入れは当然だろう。寝不足の駒なんて、役に立たない」
「その言い方さえしなければ、キミはいい主だよ。――状況が許せば、いい頭領になっただろうに」
「おれは主にはならない。その地位にいることが必ずしも支配者であるとは限らないし、ふさわしいとも限らない」
「だから、春日利一が必要?」
「おれ一人が必要としてるわけじゃない。長い目で見れば、春日一族全体があいつを必要としてる」
「ぼんやりとした子にしか見えないけどねぇ」
「そうだな。もう少ししっかりしてもらいたいもんだが、――別に、今はあれでいい。時間はあるんだから」
「急がないの?」
「急いで役者を上げても、舞台が崩れたら無意味だろう。まだ舞台は整ってないんだよ」
弓弦は嘆息した。
フジの思考を読み取ろうとするのは、やめたほうがよさそうだ。
「・・・・・・焦ったのは、ぼくのほうだったってことかな。キミが早急に決めるんだと思ってた・・・ぼくの失敗の原因はそこにもあったわけか」
「いや、多少はおれも焦る部分があった。それは確かだ。――焦る必要がないって気づいたのは、つい最近だよ。おれにしちゃ気づくのが遅すぎた」
「何に気づくって?」
「おれの最大の敵は、長くてもあと数ヶ月で消えるんだ」
ふっと、フジの口の端から息が漏れる。
「・・・・・・」
「どこに焦る必要があるんだ、一体。各家だって世代交代が進むんだ。すべて時が解決する。――気づいたとき、かなり動揺したよ」
それは、己の勝利を確実にした人間が見せるにはあまりに寂しい表情だった。
「・・・・・・薫は、どこにいるの?賢治も一緒なんだよね?」
「さあ。おれたちもいつだって連絡取り合ってるわけじゃない。それに、薫は賢治をかばわなきゃならないから、外部との接触に慎重になってる」
「病状は、平気なのか」
「余命宣告は過ぎたって、薫も言っただろ。大丈夫なわけがない」
「治療は、無理なのかな・・・」
「発覚当初におまえんとこの病院に行けばどうにかなってたかもしれない。だけど、どのみち完治の可能性が低かったんだろう。だから薫は下手に生き延びるよりも、残る時間を精一杯生きるほうを選んだんだ。それをどうこう言う権利、おれたちにはない」
「ぼくにはよくわからないよ。なんでキミが薫を説得しなかったのかも、薫がそうまでして春日に敵対するのかも」
残る命を賭けて、小さな一族を動かそうとするその意義。
どんな権力を誇ろうと、春日一族自体は表の世界に出ることのない小さな集団に過ぎないのだ。自分たちは生まれてずっとここに居たから、大きいと思えているだけ。
その時、フジがふわりと笑んだ。
中性的で整った顔立ちが、さらに魅力を増す。
視線が遠くへと移り、懐かしむような色がにじむ。
「簡単な話さ。――ゲームなんだよ。薫が支配するか、おれが支配するかの、単純なゲーム。――まだおれたちが宮野の屋敷に居る頃に始まった。どちらが先に情報を手に入れられるかとか、どちらが思い通りにことを運べるかとか、ずっと繰り返してきたゲームのうちのひとつに過ぎない。薫があんなことにならなければ、後々春日の外へ舞台を移したんだ、きっと」
無邪気と呼ぶにふさわしい感情だった。
おそらく彼ら以外の誰にも理解できない、例えるものを持たない、絆。
「これがおれたちの、最後のお遊びなんだよ。手を抜いたら薫に恨まれる」
薫子は、弓弦より自分を選んだと言った。だが、弓弦よりもフジを選んだのではないだろうか。――そんな考えが頭をよぎる。
どの道こんなことにならなかったら、弓弦は薫子と正面から向かい合う気になどならなかったのだが。
「・・・薫は、ぼくのどこを見て告白なんてしたのかなぁ」
「はあ?なんだ今更、あれだけ適当に振っておいて」
「だって今の話聞いてると、よっぽどキミとの方が仲よさそうじゃないか。まぁ、傍から見てると仲悪そうだけど。なのになんでぼくだったのかなぁ、と」
その答えを、フジはすぐに導き出せないようだった。
しばらくの沈黙の後、
「・・・・・・――理解者とは、人が生きるうえで水にも等しい価値を持っている」
弓弦はその言葉の先を無言で促す。
「おれと薫が互いに得たのは理解であって、それ以上でも以下でもない。それ以外のものもない。――自分を知る鏡。自分を確かめる手段。そういうものだよ。だけど、互いを慰めたり励ましたり、ましてや互いの何かを受け止めてやることなんて出来ない。鏡は慰めてなんてくれない」
弓弦は戸惑いを覚える。
弓弦に対してだって、慰めを必要とする人間ではなかったのだ、薫子は。
「ぼくは薫を慰めたことなんてないよ」
「詳しいことは薫本人に聞け。――勝手な予想を言わせてもらうなら、・・・おまえと薫は似てるよ。自分本位なところとか」
「なにそれ」
「おまえ、人を好きになるなんて、面倒だと思ってるだろ?薫も一緒。愛だ恋だ友情だって不安定なもの、求めるのも求められるのも嫌いなんだよ。あいつはなんでも一人でこなせるから、他人に求めるなんてしない。それなのに周りからは求められるから、そういうものが鬱陶しいんだ。――おまえは薫に求めたりしなかった。だからだろ」
「・・・そんな、もんなのかな」
「そんなものさ」
十代の少年にしてはやけに老成した冷静さでフジは語る。自分や他人の感情を客観的に観察しているのだ。
この少年と向き合うと、いつも何かしらに感心し、そして何かしらに恐れを感じる。
自分の感情を見誤ったりしない。それは出来た人間だということなのだろう。――けれども、思考することに囚われ過ぎているように見えることがたびたびある。
薫子にも感じることがあったが、しかし彼女は自分にえらく正直で、己を押し殺すなんてこと絶対にしない。
思案に沈む弓弦にかまわず、フジが立ち上がった。思考を中断して何事かと問えば、もう行くという。
そして。
「弓弦、毒をくれ」
「・・・・・・現一にも言ったけど、真家に危険が及ぶ可能性がある限り渡せない」
「まぁ・・・おまえの言うことがわからないでもない。――だけど、少しでも有利に進めたいんだ」
「無理なものは無理」
フジは眉間にしわを刻み、躊躇を見せる。しかしやがて、ほとんど喉を振動させることなく言葉を選び出す。
慎重に。
「・・・滋家の、当主に使う」
空気がかすかに揺れる。
「・・・滋家、」
一拍の鼓動の後、体温が急激に下がるのを感じる。
めまいがしそうなほど、血の気が引いていく。
滋家の当主に使う。――それはつまり、賢治にも、彼とともに行動しているであろう薫子にも関係あることだ。
フジがあの日「滋家の当主が邪魔だ」と告げた相手は、賢治なのだから。
「・・・薫の居所を、知らないんじゃなかったの?」
「知らない。間接的に薫から頼まれた。――別に、不思議なことじゃないだろ。賢治も薫も滋家に狙われてるんだ。排除しなけりゃことが進まない」
「暗殺する気?」
「蹴落とすだけだ」
己の正義のために。己の信ずるままに行えと教えられてきたとおりに。
「・・・――無理だ」
「そうか。・・・それならそれでいいんだ。悪かったな、――現一のことだけど、当分寝かしておいてかまわない。おれは先に行ったと伝えてくれ」
去るフジを、玄関まで見送りに出る。
暗殺の企みを告白した少年は、いつもの余裕と自信があふれる整った顔に、美しい微笑を浮かべて弓弦を振り返った。
「じゃあな」
「――気をつけて。薫に、――会いに来いって伝えて」
無造作にポケットから取り出した小さなビンをその手に握らせる。
フジは顔色一つ変えなかった。
「伝えられるかは、保証がない。おれも連絡取れないんだから。一応努力はするよ」
「それでいい。ありがとう」
フジがドアの向こうに消える。
無人になった玄関で、弓弦は座り込んだ。
――口の端から、ため息と共に自嘲がこぼれる。
込み上げてきた感情は様々だった。
その感情に任せてこぶしを床へと振り下ろし、――鈍く広がる痛みに情けなさを感じる。
何も出来やしない。
それなのに、何かしようとする。どうにかしようと、もがく。その結果が、良いほうに転ぶ保障なんてどこにもない。――それが怖い。
この感情から今まで逃げていたのだ。
逃げ続けていたはずなのに。
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