幕間



 この欲を満たすだけの力を持って生まれて。
 この欲を満たせぬまま死んで行く。

 誰がそのシナリオを書いたのか。
 そしてそのシナリオはどこにあるのか。

 この欲を満たすためならば、書き換えてやろう。
 たとえそれが神の手中にあったとしても。



--*--



23


 年末に薫子がいる病院を訪れるたが、そのときすでに彼女は退院していた。病気が改善したわけでは、もちろんない。ただすこし調子がよくなったから、という理由に過ぎない。
 フジに聞いても、薫子の居所はつかめなかった。同時に賢治の居所も。
 一人取り残されてしまった弓弦だったが、それを嘆く暇はなかった。
 長く休んでいた病院勤務を取り戻さなければならないし、春家からは密かに呼び出しがかかった。
 賢治が徳美を襲った事件――あれに関して、喋ることもかかわろうとすることもやめろと、頭領から直接釘を刺された。今までどおり、おとなしくしていろ、と。
 その指示に不満はなかった。賢治を不利にするつもりはない。だが、病を抱える薫子を放っておくことは出来ず、唯一の手がかりとなりそうだったフジに接触を続けた。しかしやがて、フジさえも捕まらなくなる。
 新年を迎えても、薫子の居所ははっきりとしなかった。
 その間、滋家は沈黙を続け、他の家々も緊張感を漂わせながら表面上は何事もなかったかのように振舞った。
 そんなとき、弓弦を訪ねてくるものがあった。
 ――良家の現一である。


 ようやく仕事が休みになった日の午後。
「フジから伝言だ。――議会には内密に、毒をくれって」
 家の中に招き入れると同時に言う台詞が、それだった。
 弓弦は眉をひそめた。
 その内容にもだが、以前現一と会ったときから約ひと月。たったそれだけの期間で、彼はずいぶんやつれていた。
「・・・現一、ちゃんと寝てる?傷の具合も、もしかして・・・」
「誰かの人使いが荒いんだ。寝てるのは寝てるが、安眠できる状態じゃねぇ」
「危ない橋渡ってる?」
「狙い撃ちにされながら綱渡りだ」
「・・・・・・そりゃご苦労さま」
「ほんとにな。――とにかく、毒」
 ソファをすすめても座ろうとしない。苛立ちを振りまきながら、部屋の入り口で要求だけを繰り返す。
「なんの毒?モノと用途によっては、渡せない」
「即効性の麻痺毒」
「用途は」
「言えない」
「じゃあダメだよ。――議会の許可なく毒薬出したら、こっちはお咎め受けるんだ。ばれる可能性がある限り、危険は冒せない」
「じゃあコーヒーくれ。今、おれに」
「・・・睡眠薬を入れてあげようか?寝覚めは最悪だけど、眠らないよりはずっといい」
「じゃあついでに客室のベッド貸せ。ここずっと安眠できる場所がないんだ」
「いいよ。薬なしで寝られるなら、その方が・・・」
「いや、ほしい。たぶん薬なしじゃ、深く寝付けない」
 弓弦はうなずいて、薬を取りに向かった。
 市販されているものよりも強力な睡眠薬を選び出す。春日の緊張を強いられる訓練のせいで、それを終えた後も寝られなくなると言う間者は多い。いざよがカウンセリングの真似事をしたりもするが、結局は薬に頼ることが多かった。
 現一がやっているのは、訓練のような生易しいものではない。これで効くのかと多少疑問を持ちながら、選んだ薬を水と一緒に彼に渡す。
「・・・・・・尊が、死ぬ前によく飲んでたな」
 薬を飲み込んだ後、現一がぽつりと漏らした。
 弓弦はぎくりと身を震わせる。――現一が尊の名を出すのは、ずいぶん久しぶりだった。それこそ、二年近く聞いていなかった気がする。
「・・・尊は飲む量が半端じゃなかったけどね。もっと強い薬だったし。――一時はキミまでそうなるんじゃないかって心配してたよ、うちの当主」
「あいにく、あいつほど繊細にできてないんだよ」
「そりゃよかった」
「・・・時々、うらやましいけどな。終わることができるんなら、そのほうが楽だ」
 現一は、自嘲するようにふっと息を吐いて口の端を曲げる。
 彼がこんな表情を見せるようになったのも、ここ二年だ。それより前は、喜怒哀楽の激しい、けれども明るい人間というイメージが強かった。
 こうやって春日に歪められ染められていくのかと、なぜかそんな思いが酷く心の中に渦巻いた。
「ずっと気になってたんだけどさ・・・キミがそこまで無理してフジに従うのは、誰のためなの?」
 その問いかけに、現一は黙り込んだ。
 弓弦は問いを重ねる。
「尊のため?透のため?」
 以前にフジが言っていた。――透が尊の二の舞になることを一番恐れているのは、現一だ、と。
 二年前、一族で起こったことを弓弦はよく知らない。当時はまだ学生で忙しく、一族のことは母がすべて対応していた。
 一つ覚えていることがあるとすれば、三船尊の葬儀に現一の姿がなかったこと。
 ――彼らは、傍から見ていて、仲のいい二人だったと思う。現一が、家の特性ではないにもかかわらず暗器の類を使いこなせるのは、尊の影響だ。
 二人並んで歩く姿は、何度となく見た。尊も体格はよかったから、現一と二人並ぶと、目立っていた。
「・・・死んだ人間のために、何かができると思うか?」
 ぽつり、と現一がつぶやく。問いというにはあまりに弱々しかった。
「さあ・・・、少なくとも、何かしたら自分を満足させるくらいのことにはなるんじゃない?」
「模範解答だな」
「君はどう思うの?」
「死んだら終わりだ。――終わってないと、尊が憐れだ」
 現一が、祈るように目を閉じる。
 弓弦は、それ以上たずねる勇気を持っていなかった。
「・・・早く寝たほうがいいよ」
「四時間で起こしてくれ。夕方には動く」
「残念ながら八時間は起きられないと思うよ。ゆっくり休んで」
 現一は苦笑してリビングを出て行った。





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