22
外来患者の訪れる一階フロアは騒がしい。
隣に座った賢治は、時々弓弦の様子をうかがってはあわてて視線を逸らす、それを繰り返していた。
弓弦はそれでも彼が話しかけてくるのを待った。空になったコーヒー缶を玩びながら、人の流れを見つめる。
「・・・親父殿との取引だった。――竜輝から、手を引かせたかったんだ。結局、それすらできなかったけど」
賢治がぽつりとつぶやいた言葉はそんなものだった。
滋家の隠された間者だった少年の顔は、今でもはっきりと思い出せた。異様に怯えたあの表情を。
「あの子は、無事だよ。春家の庇護下にあるんだから」
「だけど滋家があいつを狙うのをやめたわけじゃない。このまま見逃したら、他の間者に示しがつかないんだ。だから、」
その先は続かない。
滋家の内情は、ほとんど知られていない。喋ることを、おそらく禁じられているのだと思われた。
どれだけ隠された間者が存在するのか。どんな独自の掟が存在するのか。
社交的で、一見すると賢くなさそうな賢治ではあるが、彼の口から滋家の内情が零れ落ちたことはなかった。
「・・・なんで、そんなにあの間者をかばうの?今までだって、こういうことがなかったわけじゃないんだろう?それを全部、いちいち庇ってたら、命がいくつあっても足りない」
「なかったといったら、なかった。――隠してはいるが、一族の中で一番多くの間者を抱えているのは滋家だ。当然物事を進めるには間者の多いほうが有利に決まってる。そういう意味で、滋家はほかの家よりは議会に裁かれる危険って言うのは少ない」
弓弦の質問を、賢治ははぐらかそうとする。
「・・・賢治」
少し強い口調で名を呼ぶと、賢治は視線を伏せた。
そして。
「・・・竜輝はおれの弟だよ」
弓弦は一瞬思考が停止するのを感じる。
滋家の本家には、賢治一人だったはずである。
だが。
「おとう、と・・・?」
それをなぜ「隠された間者」にする必要がある?
「腹違い。竜輝以外にも何人かいるし、別に滋家じゃ珍しいことじゃない」
「珍しくないって・・・えっと・・・戸籍は?」
「ああ、竜輝の母親は旦那いるから。うちの分家。戸籍上はそこの子供」
「ええっと・・・他にもいるって・・・いや、やっぱいいや」
「ま、期待するような面白い話はねぇよ。おまえんところと大して変わらない」
「いや・・・うちもそりゃややこしいけど平和だから」
「そうだな、うちはどうも平和と疎遠だ」
そういう賢治の口調に、後ろ向きの響きはなかった。
「おれ昔、兄貴いたんだけどさ」
「・・・・・・腹違い?」
「あー・・・うん。って言っても確証ない。戸籍上は従兄弟。えーっと・・・」
「いや、近親の泥沼なんて聞きたくない」
「そうか?――とりあえずその人、竜輝みたいにミスって、滋家の別の間者に殺されたんだ。当時はよくわかんなかった。ただ、兄貴最近見かけないな、くらいにしか感じてなくて。けど、たぶんそうなんだろうなって最近になって悟った」
「そっか・・・」
「悲しかったとか、怒りが沸いたとか、全然ないんだ。いつかそうやって、おれも消されるのかなって、すごい麻痺した感覚で思った。でも竜輝にこのこと言ったら、会ったことない兄貴のために、泣いたんだ。
それがどうってわけじゃない。おれはその時、こいつ変なやつ、くらいにしか思わなかった。だけど、・・・こんな麻痺してる自分がちょっとは怖いとはじめて思った。それで、きっと、――助けようなんて、魔がさした」
ふいに賢治が笑みをこぼす。
疲れきった人が――病院で、患者が時に見せるものと似ていた。言いようのない胸騒ぎを感じる、そんな笑み。
「これから、どうするの」
「竜輝と海外にでも逃げるかな。国内でもいいが、・・・竜輝が安心するほうにしてやりたいし・・・おれはたぶん、どうやったって一族には留まれない」
「春家なら・・・頭領なら何とかしてくださるはずだ。跡継ぎの座にはもう戻れないだろうけど、一族には留まれる」
賢治がそれを笑い飛ばす。
「おまえさ、おれの変死体、見てーの?」
「・・・・・・」
「毒はたぶんない。滋家が得意なのは、自殺や事故に見せかけるやつ。仲間内にしか通用しない技術だけどな。――おれは滋家の間者やってたんだ。狙われたら最後、防ぐのは難しいって誰よりわかってる」
「滋家を議会に告発すればいい」
「一族は滋家を捨てない。真家を捨てられないように。――おれたちが影に生きる一族である以上、汚い部分は捨てられない。頭領は、おれと竜輝の命よりも滋家を選ぶと思う」
「真家が責任を持つ。だから、」
「弓弦」
鋭く、そして重い声が弓弦の名を呼ぶ。
先の言葉を失った弓弦に、賢治は言い聞かせるようにゆっくりと。
「おれはいつだって覚悟してた。いつか消されるって。――おれは間違ってもいい人間じゃねぇよ。墓の下までもってかなきゃなんねー秘密どっさり抱えてる。だけどこうやって、何の因果か生かされた。なら生きてやるよ。そのためなら場所が変わったって、構わない。確実に生きていけるほうを俺は選ぶ。罪償うとかかっこいいことは全然言えねぇし、はなからそんな重苦しい意識ないけど、それでも死ぬつもりはない」
弓弦は静かに目を伏せた。
目を閉じても現実はまぶたの裏にだって張り付いている。逃げられる場所があるのなら、そこは黄泉か。
自分が今までと同じように、おとなしくすべてに無関心であったなら、こうなりはしなかったのに。
「慣れないことは、するもんじゃないね」
力なく言うと、賢治は首肯した。
「おまえを責める気持ちがないわけじゃない。――でも考えてみろ。おれが逃げて済むことだ。その程度で済んだんだから、幸運だって」
ののしられたほうがいっそ楽だ、とは思わなかった。
この幸運を、噛み締める。
これよりも酷い失敗だったなら、自分は正気ではいられなかっただろうから。そんな自分の中に、ひとかけらだって強さはない。
賢治がふいに立ち上がった。
見上げ、そしてその視線を追う。
人の流れに逆らって、こちらへ近づいてくる人の姿があった。
「なんの用だ、くそガキ」
――十家のフジだ。
「喧嘩腰になるなよ、滋家の跡継ぎさま」
「嫌味言いに来たのか」
「つくづくおれを嫌うよな、あんたも、弓弦も。――薫のほうがそんなにいいのか?」
「ただ単にてめぇが気に入らねぇだけだよ」
「気に入られなくて構わないから、これだけは聞いておけ。――勘違いしているようだが、今回のことの下手人が賢治であると、議会には『発覚』してない」
意味を理解して、顔がこわばる。
賢治も眉間に皺を寄せた。
「発覚してない、だと?」
「もちろんどの当主だって、おまえが犯人で滋家の命令だろうとは見当をつけているが、じじさまはそれを一度だって肯定していない。容疑者不明のままだ」
「――ちょっと待って、フジ」
弓弦は慌ててフジをさえぎる。
「なんだよ」
「このタイミングでキミが出てくるって・・・・・・もしかして盗聴・・・」
「正解。――おまえのポケットのなか」
「・・・最悪」
「てめーに余裕がなさ過ぎるんだよ」
フジは軽く鼻で笑う。
ポケットを探れば、改造された携帯電話が姿を現す。いつの間にか入れられていたらしい。薫子のことで余裕がなかったのは確かだが、一応弓弦も間者の端くれ。こうも簡単に盗聴されたとなると、情けなくなる。
しかし賢治はそんなことに興味を示さなかった。動揺する弓弦のことなど無視して勝手に話を進めていく。
「何が言いたい、フジ」
「あんたとおれと、利害が一致してるんだ。――薫とも」
「なんだと?」
「滋家の当主が邪魔だ」
フジの言葉は簡潔だった。
「あんたが取って代われ」