幕間
後悔をしたくない。
「やるべきことが、見えたような気がしたわ。ずっと覆っていた霧が退いて、視界が晴々としたの」
必死に生きている。
やり通したところで、達成感があると限らないのに。
「だけど私がたどり着いたここは、どこなのかしら」
必死に生きずに、後悔しない方法を知っている。
それは未来で、結果を受け入れること。――いつかくる将来をあきらめればいいのだ。彼のように。
--*--
20
虚ろになった心にも、日が経てば経つほど何かが積もって穴が埋まり、正常に動き始める。無気力は続いていても、睡眠と食事のリズムが整っていく。
弓弦は春日の屋敷にて面会禁止、外出禁止の罰を受けていた。
カレンダーを見ても、今日が何日かわからない。
あの日から、何日経ったかわからない。
けれど何かが決着するほどの日が経ったことはわかる。――そんな予感をもっていた弓弦のもとに、来客があったのは昼過ぎのことだった。
予告無くあけられたふすまの向こうには、十家のフジが立っていた。
「なにやってんだ。今日で終わりだろ」
「――なにが?」
緩慢に上げた視線の先。相手を見るのも、億劫だ。
「謹慎」
「ああ、――そうなんだ」
弓弦の反応に、フジは一瞬眉をひそめた。
「出ろよ」
「そうだね」
漫然とうなずく。
うなずいた後、どうするべきだろうと考えて、十数秒のちにようやく立ち上がった。
よろよろと、フジの後について部屋を出る。
続きの部屋を出る直前、フジが振り返った。
「みんな生きてる。――徳美と現一はまだ病院だけどな」
「――そう、」
「会議は繰り上げて行われた。――紘家当主の武徳は罷免、当主は空席と決まった。分家の広重が臨時の仮当主とはなっているが、空席は空席だ。広重は野心の無い人間のように見える。当分は、放っておいて問題ないだろう」
「それで、――君はよかったの」
「だれが、いいと言える?――おまえらが手を出さなければ、誰も怪我なんてせずにこれが決まったっていうのに」
静かで、しかし髪が逆立つような怒気だった。
「瑞貴にもおまえにも、手を出すなと釘刺してやったって言うのにこのザマだ。これだから嫌になる」
「・・・君こそ、何人巻き込めば気が済むのさ」
「馬鹿もいい加減にしろよ」
唐突に振り返ったフジが、こぶしを握っていたところまでは見えていた。
次の瞬間、みぞおちに衝撃があって、一拍遅れて痛み。
うめいて座り込んだところに、上から怒気のこもる声が降ってくる。
「何も知らない人間が首を突っ込むからややこしくなるんだ。――わかってんのか!滋家は徳美を殺そうとしてたんだぞ?!そんなことも知らずに、滋家を手引きしやがって!」
「賢治は、」
「そうさ、賢治がやったんだ」
「賢治は、殺そうとしてない。とどめを刺さなかった」
「それがどうした」
跳ね返ってくる質問にどきりとする。――どうしようもない違和感がこみ上げてくるが、その正体がわからない。
「弓弦。おれは前にも言った。薫に味方したいというならすればいいって。だけど中途半端な気持ちでやったって、意味が無い。薫に見限られたって言うのはそういうことだよ。薫と向き合う気がないなら、とっとと忘れればよかったんだ。――結果はどう転んだか、わかるか?薫にもおれにも不利になったんだよ」
「ぼくらは、どちらの味方もしてない」
「結果的に誰が得をしたかって問題だ」
「議会じゃないのか」
「滋家とニノ春日だ」
「――、ニノ、春日だって?」
弓弦は言葉を失った。
あまりに予想外の家の名。――春家の唯一の分家だ。
「滋家とニノ春日はつながってる。ニノ春日が滋家を味方につけたというのがただしい。一匹狼の滋家相手にどんな手を使ったかは知らねぇけどな」
「なんで、――なんで滋家はその意思を表明しないんだ。ニノ春日の長女は有力候補の一人なのに」
「裏で動きにくくなるからだろ」
「でも、それにしたって、――君が有利なことには、変わりないだろう?春日利一の支持票が、まだ一番多いはずじゃないか」
「三家と瀧家は今まで利一を支持してたのに、それを止めた」
「なんで」
「徳美の護衛役が、徳美を守りきれなかった責任を問われてるんだよ。――わかったか、てめぇのやったことの重大さが」
支持が、逆転された。
その裏には滋家とニノ春日がいる。
フジは権力から遠のいたが、薫子は―――。
「薫は仲の悪いふりをして、前々からニノ春日とつながってた」
耳の奥で、脈が耳障りな音を立てる。
外からの音を拒否したかった。
「ニノ春日から見れば、狂犬を飼ってるも同じことだ。だけど今までは力が足りないから、薫を捨てられなかった。滋家を味方につけることができたのも、おそらく薫の手腕だ。――だけど今回のことに薫の活躍は一切ないし、ここまで来たら薫なんて要らない。なによりすでに滋家が味方だ」
「だったら、」
薫子は、もうニノ春日から見て邪魔な存在だ。ニノ春日が味方につけた滋家は、議会に逆らうことは珍しくないし身内に対しての暗殺を得意としている。何より、薫子が春日一族全体にとっての脅威であることを考えれば、おのずと答えは出る。
「おまえが薫を追い詰めたんだ」
フジの声が、低く響く。
その言葉はこめかみを締め付けた。錘となった。
吐息が震える。呼気が詰まる。
(なんで、気づけなかった?)
思い返せば、その片鱗はそこかしこにあったのだ。
――「クソ親父が、もう動いたってか?!それとも、ニノ春日にでも加担するって?!」
いつか、賢治が滋家の隠された間者に対して放った言葉だ。
きっと前々からニノ春日は薫子を通し、滋家に接触していたのだろう。ニノ春日などに加担する気が無かった滋家は、せざるを得ない条件を突きつける薫子が気に入らない。一度は武力で持って黙らそうとさえした。――賢治はここまでは全部知っていたのだ。だから弓弦に「薫を止めろ」と何度も言ってきた。
(賢治は、嘘は言ってこなかった。ぼくは騙されてない)
滋家において嫌われている賢治は、ニノ春日と滋家が組んだことを、いつまで知らなかった――?
手を何度拭いても汗が滲む。心拍は安定しない。力が入りすぎた全身が、重い。
対峙するフジは何も言わなかった。弓弦が何か言うのを、黙って待っていた。
弓弦は祈るように目を閉じた。――開けた時、何一つ変わらない現実が、悲愴感をあおった。
「フジ」
「なんだ」
「――なんで薫が、・・・負けるんだ?なんで、・・・負ける理由が無い」
「・・・おまえがそこで自分のせいだと思ってくれる人間なら、幸せに生きていけただろうな。今までどおり、諦めのいい人生送れたんだ」
フジが顔をゆがめた。彼らしくもなく、――泣きそうに。
「なんで薫に会わなかった?なんで薫を止めなかった?――今更なんだよ、おまえはいつだって遅いんだ!」
「何度も止めたじゃないか!会おうとしたって、避けられた」
「薫がどれだけ逃げた?逃げるなら追いかければよかったのに、おまえはすぐに諦めたんだろう?――馬鹿が」
ありったけの嘲りを込めて、フジが吐き捨てる。
弓弦は震えながら、再び静かに目を閉じた。
「・・・・・・薫は、どこに?」