19
入り口をふさぐ岩のように立っていた賢治の姿が、部屋の上座にいた徳美と向き合って座っていた弓弦の目に映っていた。
弓弦は瞠目した。
賢治は弓弦の後方にいたはずなのに。
なぜか彼の背中が、徳美の姿を覆い隠していた。
「徳美!」
最初に声をあげたのは、瑞貴。腰に下げた小太刀を抜く。
一方透も瞬時に臨戦態勢となり、右の手は鉛球を構えていた。――鉛は三家が最も得意とする暗器の一つだ。
それらはすべて、瞬き一つのうちの出来事。
弓弦は一切反応できなかった。
「手を出すなっ!」
苦しげだがはっきりとした鋭い徳美の声が、動こうとする護衛二人を制した。
賢治が緊張感を漂わせながら徳美から数歩退いた。
このときになって、弓弦はようやく事を理解した。
賢治の手には、刃渡り二十センチほどのナイフが握られている。徳美は、自分の右側に置いた刀を鞘から抜かぬままの状態で、構えていた。
「右に武器を置いておきながら反応できるとはたいしたもんだ。さすが、紘家の跡継ぎさま」
聞きようによっては皮肉だが、賢治は徳美をほめていた。
刀は普通左に差し、抜刀の際は右手を使う。座ったときに刀を右に置くのは、すぐ使えないということで、すなわち相手に敵意がないことを示す。
「自衛権の認められているわたくし相手に、喧嘩両成敗は適用されませんよ。お引きください、賢治どの」
「そんなこと百も承知さ」
自嘲するように言う賢治。
徳美は鞘から刀を抜き放った。賢治の喉元を指し、威圧するように刀を構える。
「なるほど、一筋縄じゃいかねーなぁ」
賢治の額に、汗が浮かんでいた。
紘家と滋家は、武術の形が似ている。だから紘家相手はやりにくいのだと、賢治が以前言っていた。
「透!知らせて来い!」
瑞貴が怒鳴って、ふすまを開けた。――賢治はそんなものに気を取られない。徳美とにらみ合ったままだ。
だがすぐに、透の驚いたような悲鳴が聞こえた。
「きゃっ!」
にらみ合う二人以外が、反射的にそちらに眼を向ける。
透の行く手を阻むように立っていたのは、――良家の現一だった。
「げ、げん――」
何か言いかける透の体を、現一はぞんざいに払い、――右腕を力強く振った。
それに答えるかのように、今まで背を向けていたはずの賢治が振りかえりざま、ナイフを薙ぐ。
耳に不快な金属音がして、弓弦の近くで、勢いが死んでいない鉛の玉が畳にのめりこむ。――現一が放ったものを、賢治が弾いたのだ。
「腕の調子はいいらしいな」
現一は吐き捨てるように言うと、透が持つ刀を取り上げて、抜き放った。
そして、次の瞬間。
賢治が猫のような身のこなしで飛び掛った。
間合いの広い現一相手に、恐れることなく突っ込んでいく。――変幻自在と呼ばれる、滋家特有の動きだ。
滋家は仲間内に有効な武器、すなわち陰に生きてきた武術に対してもっとも効力を発揮する。変幻自在のそれを目にするのは弓弦も二度目。現一にこれと対峙した経験があると思えない。
だが現一はみごとにそれをかわし、受け流した。さすが、頭領にまで天才と言わしめた現一である。
しかし、長くは続かなかった。
すぐに勢いは賢治のものとなり、――現一の懐に深く入った賢治は、真一文字に現一を切りつけた。
現一が倒れこむのと同時に、――おそらく透だろう――悲鳴が上がる。
「右腕の借りは返したぞ」
賢治の声は、なぜか遺言のように響いた。
とん、という、踏み込む音。
変幻自在は勢いを失わないまま徳美に向かっていた。
「やめろ賢治!」
弓弦はこの時になって、初めて叫んだ。それにかぶさるように、瑞貴の「徳美」と呼ぶ声。
世界から音が消えた気がした。
何も聞こえなくなって、――映像だけが動き続けていた。
賢治が振り返る。獣のような目が、弓弦を射抜く。
彼の両手と腹は血で濡れていた。
一拍遅れて、徳美が崩れ落ちる。
「けん、じ――」
自分の声すら、鼓膜を震わせてはくれなかった。もしかすると、声はきちんと出せていなかったのかもしれない。
賢治は血の着いた上着を無造作に脱ぎ、下にまで染みた部分をそれでもってかくしながら、きびすを返した。
賢治が去るのを、止められる者はいなかった。