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 すぐにでも春日の屋敷に忍び込んで、と言うことにはならなかった。
 頭領とその奥方ちか江しか住んでいない屋敷だが、護るに適した構造をしたあの場所に外部の者が忍び込むのは容易ではないだろう。
 もう一つ、これは賢治の情報だが、徳美が春日の屋敷に移るのにあわせて、十家の当主夫婦も春日の屋敷に入ったというのだ。十家の人間は、直接の戦闘となれば弱いことが多いが、護る事と策を練ることにはどの家よりも長けている。
 すべて、フジの思い通りに進んでいるように思えて仕方がなかった。
 徳美がこのまま当主になり、徳美はフジに言いくるめられて、春日利一が議会に承認され、そしてフジは春日利一の後見となって権力を得る。
 一度は否定したが、――ここまでくると、徳美を唆したのはフジであっても不思議はない。
 それを言うと賢治は無口になって、春日の屋敷に侵入するルートを調べると言い残して連絡が途絶えた。間者としては最低レベルの弓弦に、手を出すなという無言のメッセージだった。
 弓弦は理由を怪我とは言わず過労だといって病院を休んでいたが、そろそろ出なければならなかった。医師不足の世の中、研修医も貴重な人材となっている。
 そして弓弦が決断したのは、賢治抜きに徳美に会いに行くことだった。
「ニイやん、どこ行きますの?」
 正装――スーツに着替え始める弓弦を見て、胡月は不安そうに準備を手伝い始めた。
 胡月は空気をよく読む。そして、従順だ。そんな妹を心配にならないわけではない。胡月の性格を形成するのに少なからず影響を与えたのは、弓弦と、そして背後に見え隠れする春日の存在だろうと思う。
 学生時代は胡月にやさしく接してはいない。当時は年の離れた妹をしっかりと受け止められなかったし、勉強ばかりで心に余裕もなかった。
 それでも胡月はずっと健気に、弓弦の後を追ってくる。
「おかあさんが言うてましたん。ニイやんが今動いたらだめですって」
「母さんに行動読まれたとなっては、ますます危ないなぁ。今度も無事生き延びれるかしら」
「ニイやん!」
「ぼくはね、胡月。徳美はまだ春日の深い部分に踏み入れるべきじゃないと思ってる。廃嫡になったほうが、あるいは幸せかもね。あの子は春日の裏の部分なんて直視できない。きっと尊や透みたいに潰れていく。一人で全部カタをつけた尊なんて、綺麗なもんだよ。尊敬するね。だけど、――徳美は春日のすべてを巻き込んで潰れる。だってあの子にはフジがついてるんだから」
 温度のない声で一気に言う。静かな迫力に圧されて、胡月は黙った。
「――真家って言うのはそういう役回りなんだよ。権力を持たないが故の、不動の地位だからこその、役回り。他の家には出来ないんだ」
 胡月は恐る恐る、首を横に振った。――わからない、と主張している。
 胡月がそんな部分まで知るはずがなかった。それを承知で、弓弦は続ける。
「一族からの脱却は、真家の管轄なんだよ」
「だっきゃく――、」
「聞かなかったことにして。まだ胡月が知るべきことじゃないから」
 胡月は不安な表情を残したまま、うなずいた。
「でも、ニイやん。胡月よく知りませんけど、――おかあさんが、危ないと言うてましたん。どして、――だって、おなかの傷だって、治ってないですのん」
「敵がいる上に、ぼくの考えは読まれてるんだよ。――徳美に当主になってほしい人と、徳美も邪魔だけど現当主の方がもっと邪魔で、だけど当主を退任させるチャンスだから退任だけはさせたい人と。
 ぼくだって多少は身を守れる。でも、一人ずつならいいけど、家単位で、しかも複数。最悪なのは、徳美に前言撤回させるのが難しいって事だよ」
「それなら、――どうして皆さん、ニイやんのこと、狙うんですか?」
 小学生にしてはなかなか鋭い質問をする。――ちゃんと春日のペースについてきている。
「徳美が意見を翻す可能性は、難しいけどそれなりにあるんだ。真家の意見は聞き入れられやすい傾向があるしね。――ま、策を読まれてるのはお互い様なんだよ」
「じゃあどうして、賢ニイやんに、護ってもらいませんの?」
 胡月が首をかしげた。
 弓弦は上着のボタンをはめながら、口の端で笑ってみせる。
「――簡単なことじゃないか」






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