13
孜子は玄関まで見送りに来た。
「薫には会えないようですわね?」
靴を履くために座った弓弦の背中に、孜子の声が降ってきた。不思議とその声に、いつもの冷たさがない。
「徹底的に拒まれてる。フジにも言われたよ、薫に見限られたんだって」
弓弦は立ち上がって振り返りながら答えた。
「半分は正しいと思うわ」
孜子は苦笑した。――フジが言うなんて、と。
「ねえ――、弓弦は今回の紘家の件、どう思います?」
唐突な話題変換。
孜子も紘家の一件について聞いているようだ。――紘生徳美が父である紘家当主を、議会に告発したことについて。
「どういうこと?」
「薫が関係しているかもしれません。徳美が、自分の父親から当主の座を奪い取ろうなんて発想、できると思います?」
「薫が徳美を唆したとでも?――違うと思う。紘家当主は、春日利一の春日入りに否定的だったし、会議を放棄してる。今の状態は薫に好都合なはずなのに、どうしてわざわざ徳美を引き入れるのさ?敵を増やすだけだよ」
静観する姿勢をとっていながら、妹のことはやはり心配らしい。必死さを押し隠して、口に出すのをためらいながら、孜子は言う。
「それは、わかっているの。でも、いくら自分に有利になるからって、フジが徳美を争いごとに引き入れるとは思えないわ。だからって、分家の馬鹿どもに、徳美が動かせるかしら?だったら薫が何か――」
「でも、――もしかしたら、徳美が自発的にやったのかもしれない。あの真面目な性格だよ。父親のやってることだって、裁くべきと思えば告発するって、考えられなくない」
「どの道迷惑だわ。こんな時に当主を告発するなんて、頭領の跡継ぎ問題にどれだけ影響があるか、きっと徳美は知りもしない。そんな子に当主なんてやってほしくないわ」
「同感だよ」
徳美はきっと、春日が跡継ぎ問題で揺れていることも、それを挟んでフジと薫子が争っていることも、知らないはずだ。真面目さが災いして、潔癖とも言える徳美は、醜い争いに目を向けようとしないから。
胡月は大人しく事の成り行きを背後で見守っていた。――胡月をあまり待たせてもいけない。そう思って会話を打ち切ろうと口を開きかけたが、声は出せなかった。
孜子がまっすぐに弓弦を見つめていた。嫌な予感がよぎるが、――大方考えていることは自分と同じだろうと予想がついた。
「薫はどうすると思う?」
「徳美の出方次第だろう」
「徳美は議会のバランスなんて考えられるはずないわ。彼女は、何も考えずにフジの味方をするに決まってる。春日利一の春日入りに徳美が賛成したら、意見多数で決定するんじゃないの?でもそれは、薫にとって都合が悪いってことになる」
春日利一が春日に迎えられることになれば、フジは彼の後見となる。――今現在、薫子と議会の力は拮抗しているが、議会がフジをも嫌っているから成り立つ均衡だ。
「権力を握れば、フジは薫をまっさきに潰す、と。薫はそれを防ごうとして、――つまりは徳美が危ないって?」
「意見が合っても弓弦とだとうれしくないわ」
「そりゃお互い様だよ」
「――もし薫を止められるものがあるとすれば、弓弦だけだと思うわ」
「やめてくれないかな、そういうの。由布姫にも言われたけど、ぼくは自分にしか興味がない人間だよ。だから薫にも見限られた」
孜子がふっと笑みを見せる。――嘲りの笑みだ。
「違うでしょう?あなたは自分を見てもらえないのが怖いだけよ」
「――ああ、そうだね」
「そろそろタクシーの来る頃ですわ。――道中お気をつけて」
これ以上の問答は無用といわんばかりの物言いに弓弦は負けて、胡月を連れて屋敷の玄関を出た。
深い深い溜息が出る。
「ニイやん、大丈夫です?」
不安そうに聞いてくる彼女に、作り笑顔を見せて。
「大丈夫だよ。――疲れると思うけど、胡月もちゃんと聞いておいてね。胡月ももしかするとこの春日で生きていくことになるんだから」
「はいです。――でも、ニイやんとマキさんのお話はむずかしいですのん」
「あはははは、そのほうが平和で良いよ。フジや薫みたいな思考回路してたら、争いの火種にしかならないから」
無知ではやっていけないが、賢すぎてもいけない。年齢を考えたら、胡月は相応だ。
砂利を踏む規則的な音が、時々乱れる。――胡月にあわせてゆっくりあるきたいのだが、気持ちが急いている。
「さてと。――ごめんね、胡月。帰る前に、寄る所ができた」
「どちらですのん?」
「薫子の居所はわかんないから、説得するとしたら徳美しかいないんだよね。となると、紘家の別宅、かな?――いい?」
「いーですよ」
門を出る。すでに呼んでおいたタクシーが到着していてもおかしくない時間だったが、車はなかった。代わりに、人の姿があった。
暗い中で、その人の吸うタバコの火だけが存在を主張している。――確実にわかったのは背格好だけだが、弓弦にはそれが馴染みの人間だと判断できた。
「――、現一?」
その名を呼ぶと、タバコの火が地に落とされる。軽い足取りで、門に取り付けられた外灯の光が届くところまでやってきた。
「一族ではタバコは禁止されてると思ったけど?」
「お前が言わなければ済む話だ」
「まあいいけど。――なんでこんなところに?」
「徳美が紘家当主に反旗翻したって話は聞いたな?」
「聞きたくなかったけどね」
「これからどこへ行くつもりだ?」
その質問に、弓弦の警戒心が一気に高まった。胡月を背後にかばうように、半歩体を引く。
「ねぇ、――タクシーが来てなかった?」
「おれが返した」
無防備なまでの自然体で現一が一歩踏み出した。
弓弦は体をひねり、胡月をむこうへ突き飛ばす。手に提げていた鞄を抱える――心臓の位置へ。
次の瞬間、懐に姿勢を低く構えた現一がいた。
その次の瞬間、現一とはすれ違った格好で、互いに背を向けていた。
「に、ニイやん!」
右側のわき腹が、焼けるように痛い。そこは熱を持っているのに、体の末端の感覚が薄れていく。
思わず座り込んだ。
痛みの場所に手を当てれば、――何かが埋まっていた。おそらくは、小型のナイフの類。
「ニイやん!」
駆け寄ろうとする胡月を、現一が止める。――そんな気配がする。
「間違っても救急車なんて呼ぶなよ、嬢ちゃん。そんなことしたら、――」
「胡月には手を出すな!」
渾身の力で振り返る。顔の色を失った胡月と、平然とこちらを見下ろす現一が目に入る。
「――誰の指示だ」
荒くなっていく呼吸の合間に出した声は、震えていた。
「殺すつもりはないんだ、冥土の土産はやれねーよ」
視界が急速に狭まっていく。――出血は少ないはずだ。だとすれば、毒か。
先ほどより地面が近くなったことに、しばらく気づかなかった。荒い息の合間に、現一の声が振ってくる。
「孜子を呼んでやれ、嬢ちゃん。――それから、これに懲りて二度とこの春日に近づくな。あんたはここへとどまる義務なんてないんだからな」
視界は、もう何も写していない。