12
食事を終えて、タクシーを二台呼び、片方にはいざよ、片方には弓弦と胡月が乗る。
宮野の屋敷までは、二十分ほどで着いた。
相変わらず無駄に大きな門が見えたところで、車を止めてもらう。運転手は興味深々で、
「このお屋敷、すごいお金持ちだって聞くけど」
「そーですね。こことの付き合いがあるのは母のほうでして。ぼくは良く知らないんです」
「ほう、今日はお使いかい」
「ええ。この歳になってお使い行けと言われるとは思いませんでした」
愛想笑いしながら、料金を払う。
しかし本当にこの歳でお使いとは。
初めて宮野の門を見た胡月は、その高さを見て感心している。
「ふい〜、おおきーですね」
「門から玄関までがまた遠いんだよ。歩くしかないから嫌いだよ」
ぐっと門を押し開ける。――弓弦がまだ幼かった頃は、ここに門番がいた。もちろん春日の間者である。しかしずいぶん前から形だけの存在だったということで、廃止されたのだ。この門番を担当していたのが泉家で、以降泉家の活躍の場は減る一方だ。弓弦が真家を継ぐ頃には潰れているかもしれない。
砂利の敷かれた足元はどんなに慎重に歩いても音をたてる。これも、春日一族による警備の名残である。現在では、外部侵入者に主が暗殺される危険などほぼないため、警備も必要ないといって過言ではない。
呼び鈴を押すと、しばらくして百家の長女、孜子が現れた。
「遅くに、しかも突然にご苦労様です。――そちらはどなた?」
胡月に視線を落とす孜子。その表情は冷たい。
「知らないふりはやめたら?」
「春日と宮野、どちらの縁者でもないことは知っておりますわ」
「この子は真家の者だ。それ以上は議会にでも言えばいい」
「怒らないで。わたくしは喧嘩売ったわけじゃないわ。――さっさと用を終わらせて帰って頂戴」
三歳という年齢差はあるが、孜子とは春日において「同年代」としてひとくくりにされている。当然接点も多いのだが、前々から仲が悪かった。だからといって、険悪というわけでもないが。
胡月とともに、孜子の案内で屋敷の中を進んでいく。
「旦那さまは予定の変更があって、遅くなられるそうよ。至輝さまは、今日は十家にお泊りとか。ま、十家ですし警備上の心配は要りません。なによりもと影役が一緒ですから」
「高三にもなって影役にべったりって、それやばくないの若君」
「わたくしの関知するところではないわ。たとえアブノーマルでも宮野の跡継ぎなら真綾さまがいらっしゃるし」
「末若のほうが、ぼくは心配だけどね。あの性格」
生真面目な至輝に比べて、弟の真綾(まあや)はどうも癖のある性格をしている。まだ小学生だが、将来的にどう成長するか心配だ。――跡継ぎ争いの種になることが充分に予想されるから。
「あれくらいの性格は特に問題にならないわ。問題があるのは、真綾さまの影が滋家出身だというほうでしょう。おかげで百家が神経削ってるの、誰か知ってるのかしら?」
「はいはい。わかったからお屋敷の中でそんなこと言わないで。誰かに聞かれたらどうするのさ。ぼくはその辺あんまり関知したくないです。お願いだから物騒なことやめて」
これ以上の権力争いなんて真っ平ごめんである。この宮野の屋敷を守る役割を負った孜子がこういう話題を出すということは、まず心配ないのだろうが。
「――由布さまは、ずいぶん悪いみたいよ」
孜子の声が静かに響いた。弓弦は溜息をつく。
「奥さまが亡くなられて、もう半年になるかな?――少しは改善すると思ったんだけどな」
「それどころか逆ね。――素人判断だけれど、名前を呼ばないほうがいいと思うわ。どっちの名前もよ」
「わかった。出来るだけ姫扱いもしないよ」
「ところで今更だけれども、この子に聞かせて平気だったかしら」
孜子が言う「この子」はもちろん胡月のことだ。胡月はきょとんとして弓弦を見上げる。
「ほんとに今更だね。――いいんだよ、春日入りの許可が出ないなら、無理やり入るまでさ」
「議会の頭の固さを甘く見ないほうがよろしいんじゃなくて?大事な妹、殺されても知りませんよ」
「真家の者には簡単に手出ししてこないよ。――それとも何?百家のほうに、胡月の暗殺命令でも出てる?」
「あら忘れたの?百家はもう汚れ仕事から手を引いてるわ。やるとしたら三家か滋家よ」
「そうだとしても、殺されないよ。春日は真家を、何があっても手放せない」
「大した自信ね。うらやましいわ」
「まあね。――孜子はせいぜい無茶しないでよ」
「ご安心を。まだ死ぬつもりはないもの」
隣の胡月を見れば、神妙な顔つきで会話を聞いていた。ただの興味の対象としてではなく、事態を真剣に捉え考えているらしい。
自分が殺される殺されないの話をされれば、誰だって真剣にもなるだろうが。
「で、無茶してる薫は?」
「相変わらずよ。家にも宮野にもほとんど寄り付かない。フジとは頻繁に会ってるらしいけど」
「フジと?そりゃまた意外な」
「お互いの動向を探るためでしょう。――好きにやれば良いわ」
「冷たいお姉さまだね。妹が殺すか殺されるかってときに」
「あのね、弓弦」
先を行っていた孜子が足を止めて振り返った。その顔に浮かんだものは、――怒りだった。
「薫が望むから、わたしくしは何も言わないだけ。あなただって薫を止められずにいるじゃない。それはなぜかわかる?わたしくしたちが、薫が意志を変えるほどの理由になれないからよ。あの子にとって、その程度の存在でしかないの」
孜子は一つ息をついて、再び前を向いて歩き始めた。
無言のまま、ずいぶん奥の部屋まで連れてこられる。孜子は床にひざをつき、ふすま越しに声をかけた。
「桂也乃さま、真家の方がいらしております」
内側からふすまが開き、初老の女性が顔を出した。母いざよと、年はそう変わらない。
「まぁ、――弓弦くん」
桂也乃は弓弦の姿に驚き、さらに一緒にいる胡月に驚いた。
「いざよに、なにか?」
「いえいえ、母は春日のほうに突然呼ばれまして。――すみませんね、ぼくみたいな頼りないのが来てしまって」
「春日に?」
桂也乃が怪訝な顔つきになる。――春日で長く生きる彼女は、勘がいい。
「兄に何事か聞いておきましょう。とにかくお入りなさい」
招かれた部屋は、由布姫の部屋へと続く和室で、由布姫の傍仕えの者――主に桂也乃の控えの間になっている。
座布団を出され、一度は下がった孜子が熱いお茶を持って再びやって来た。
「――それにしても驚きましたよ。しっかりお医者さまの顔つきになっているんですもの」
「お褒めいただきましたが、まだ研修中ですよ。あまり頼りにしないでください。――あと、ご紹介が遅れました、これが胡月です」
「はじめまして、胡月といいます」
度胸が据わった胡月は、物怖じせずに挨拶する。――多少緊張があるのか、いつのも妙な訛りが緩和されている。
「わたくしは、瀧家の桂也乃といいます。乳母として由布姫さまに仕えておりまして、瀧家当主と縁続きになります」
柔和な物言いと物腰に、胡月も気が緩んだらしい。いつもののほほんとした笑みを見せる。
桂也乃はお茶を出す孜子に向かって、
「孜子さん、忙しいところ悪いけれど、この子のお相手をお願いできますか?」
孜子は表情一つ変えずに、返事をした。
二人のやり取りに、弓弦はそっと苦笑を漏らした。
柔和に対峙していながら、信用のない胡月を、由布姫に近づけたくないのだ。胡月は気づいていないだろうが。
「では弓弦くん、由布姫さまのお部屋にどうぞ」
弓弦だけ、奥の部屋へ通される。さらにふすまを隔てた場所が、由布姫の主な部屋となっている。
「胡月は信頼できませんか?まだ十二のこどもですよ」
「失礼とは思いましたけれど、一族の人間でさえ不用意に姫さまに近づけることは出来ません。それだけ、あの方は危うい存在なのです」
「わかってますよ。でも、胡月が真家の人間だということはご理解ください」
桂也乃はあいまいにうなずいただけで、胡月を認めるような発言はしなかった。
「一つ、知っておいていただきたい事が」
「――?なにか、よくないことですか?」
「良くないとは言い切れませんが――、薫さんが数日前に、姫さまとお話しています」
「薫が?なんでですか?」
「理由も内容もわかりません。わたしは姫さまに退室するよう言われましたので」
「それ以前と以後で、由布姫の様子に違いは?」
「ありません。――でも、それで余計に心配で」
「わかりました。――確かに、何かありそうで怖い」
薫子が無意味に行動するとは思えない。彼女は計算高い人間だ。彼女は、まだ少年らしく青臭さの残るフジに比べて、計算どおりに事を運び、無駄なものを切って捨てる冷徹さをもっている。
声をかけてから由布姫の部屋へ入る。
日本人形のように着物を着せられた少女が中央で本を読んでいた。弓弦のほうを一瞬見るが、すぐに本へと視線を落とした。
「姫さま、真家の弓弦さまです。いざよさまは本日、急な予定があり、代わりに弓弦さまが」
「そう」
由布姫は本にしおりを挟んでたたむと、こちらに体を向けた。――が、視線がかみ合わない。
「あなたは、何をしにここへ来たの?」
この少女と対峙していると、自分に話しかけてもらえているのか、不安になる。弓弦はどうにか気合を入れる。
「母の代わりを務めに。――定期的な健康診断でございます。といっても、私はまだ知識も経験も乏しいので、お顔を拝見するだけになりましょう」
「あなたも面倒が好きなのね」
「いやぁ、面倒は嫌いですよ。ここに来るのも正直面倒でした」
背後で桂也乃が苦い溜息を漏らした気配があったが構わない。逆に由布姫はその返答が気に入ったようだった。
「何もしなくてけっこう。夜も遅くなります、早くお帰りになってください」
そっけない声音に、ほんの少し楽しそうな色が混ざる。
「形だけはとりつくろわなくちゃいけないんで、その辺勘弁願いますよ」
「わたくしのような者を生かそうとするとは、なんと業の深いことでしょう」
「わたしはいい人間とは言いがたいですからね。業が深いというなら、適任でしょう。――面倒でしょうが、しばらくお話くださるだけで結構ですよ」
「そう」
「百家の薫子がこちらへ参ったと聞きました。どんなお話を?」
由布姫はその質問に、微笑を返してきた。普段生気のない表情をしている彼女の笑みは、人離れしていて少し怖い。
「弓弦には理解できない会話です」
「ん?ぼくの名前、覚えてくださってたんですね」
「薫子に聞きました」
「どんなふうに?」
「薫子の初恋相手だと」
弓弦は一瞬面食らって、次の瞬間笑った。
「それはそれは!――ずいぶんと昔のことを、覚えてるもんだなぁ」
「けれどあなたは他人など真剣に見ない人間だったとも、言っておりました。自分にしか興味がないのだと。今も変わっていないようですね」
「当たりですね。だから、あなたもぼくみたいなのに恋するのはやめたほうがいい。――片思いよりも、惨めですよ」
「ええ。もとより興味がありません」
「あらま」
「薫子は、とても強い人ですね。あなたなどつりあわないほどに、美しい人でした。――わたくしのこの無駄な時間を、あの方に差し上げたいほどです。あの方なら、もっと強く美しく生きる時間に、変えてくださるでしょうに」
弓弦は苦笑した。これほどはっきり言われると思っていなかったし、そのとおりだとも思った。
「耳が痛いです。――しかしね、その歳で、人生悟ったふりはおやめなさい。見えるはずのもの見えなくなってしまいます。あなたが見るべきは、自分の力で生きる未来です。屋敷の中でくすぶっていてはお暇でしょう。世の中は広い。見てみたいと思いませんか?」
「そうね。こんなところにいては、井の中の蛙とおなじね。いいえ、盲目と同じなのかしら?」
「どちらなりと」
「なににせよ、すべてを知ることなど出来はしませんよ、弓弦」
「――どういう意味で?」
弓弦は顔をしかめて聞き返した。由布姫の焦点の合わない目が、無性に不安をかきたてた。
由布姫は変わらぬ口調と表情で言う。
「あなたがもし海の広さや光あふれる光景を知っているのだとしたら、薫子は井戸の絶望的な深さや、闇に閉ざされた音だけの世界を知っているのでしょう」