08


 案の定、透は控えの部屋でちか江相手に泣いていた。弓弦に気づくと、赤く晴らした目をこすって、元気を取り繕う。
「上手くなんて、できないよ」
 弓弦はやれやれと溜息をついてみせる。
「まったく、冷や冷やしたよ」
「弓弦くん、座りなさい」
 ちか江が勧める座布団に座ると、逆に彼女は立ち上がった。
「わたくしはみなさんをお見送りしてきますから、透ちゃんと一緒に居てあげてくださいね」
 ちか江が去るのを見送ってから、しばらく沈黙が続いた。透はもう泣いていなかったが、それでも落ち込んでいるのはみてとれた。
「――、お父さん、会議中に何にも言わなかった」
「そうだね」
 透の父は、三家の当主だ。今回は透と庇うことも責めることもしなかった。だが彼の表情は、――責める側にあったように見えた。
「私、ここ嫌いよ」
「知ってるよ」
「兄ちゃんも、嫌いだったのかなぁ」
「嫌ってたよ」
「そっかぁ」
 透は赤くなった目を細めて、くすくす笑う。
「兄ちゃんが、今も元気だったら、よかったなぁ」
「そう、だね」
「そしたら私は、なーんにも悩まずに剣道の大会に出て、思い切り実力出し切って、きっと全国大会とか行ってさぁ・・・。春日なんかに来なければ、試合に監視がつくことなんてなかったんだよね。トシくんとこれまでみたいに馬鹿みたいな話して、笑ってられたんだよね」
 笑う声はやがてまたすすり泣きに変わる。
 慰める言葉はなかった。普段は反発していたって、やはり弓弦は春日に慣れきっている。
 透は、跡継ぎへ据えられて二年しかたっていない。時間がすべてとは言わないが、理屈で割り切れないものは時間がゆっくり溶かしていくのだ。
「フジに、利一に近づくなって言われたの」
「フジが、そんなことを?」
「この前の試合、フジが監視に来てたの。だから今回の告発者、フジでしょ?私に近づくなって言いながら、フジはトシくんと話してた。――すごく、くやしかった」
「そっか、」
「トシくんも、こんなところに、来ちゃうのかな」
「さあ、どうだろう?」
「私、来て欲しいと思ってる」
 奇妙なまでに、その声は凛と響いた。
 そうすれば、再び友と言葉を交わせるからと思っているのか。その時たとえ、小さな箱庭で、時代錯誤な身分という隔たりが出来るとわかっていても。
 いや、それ以上に大切なことがある。――フジが春日利一に近づくなと言った、その本当の意味を透はきっと理解していない。
 弓弦はこわばった顔を透へと向けた。
「透ちゃん、――それ、誰かに言った?」
 透は弓弦の反応に戸惑いながら、首を横に振った。
「言ったら、ダメなの?」
「跡継ぎ問題に、口を出さないほうが身のためだよ」
 透は短い言葉の中から、危険を察知した。どんなに春日に属した時間が短いとは言え、自分の身の安全がかかっていれば、誰だって聡くなる。
「なにそれ、」
「知らないほうがいい」
「待ってよ!私、」
「誰に味方したって危ないんだ。キミは春日利一に近しい人間だから、すでに危険なはずだよ。――いい?今後一切、春日利一の名前を口に出さないで」
 透が戸惑いながらも、頷く。
 その時。
 前触れなくふすまが開いた。
 ぎくりとして透と二人振り返った先には、女装したフジが立っていた。
 油断した。――どこから聞かれたか、わからない。
「弓弦、話があるわ。いいかしら?」
「――、研修医って忙しいんだ。またにしてもらえる?」
「帰る道中で、時間は充分よ。バス停まで送るわ。――薫子からの伝言聞きたかったらつきあいなさい」
「へぇ、そりゃあいいね」
 笑って見せようとしたのに、顔がこわばる。
 どうやら選択肢はもともとないらしい。









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