幕間
いつの時代も人は自由を愛していた。
けれどわたしたちに、それが許された時代があるのだろうか。
「放牧された家畜に、どれほどの自由がある?」
柵の内側から、外の世界をどれだけ知れることだろう。
柵の内側で、どれだけ自分を計り知れるのであろう。
誰もが、狭き世界だと嘆く。
けれどわたしたちは、確かにここを愛している。
--*--
06
紅葉は終り、木々は泣くように枯れた葉をはらはらと落とす。春日一族の頭領はこの季節、日課として庭を掃く。
「庭が淋しくなるな」
頭領の呟きにそうですね、と弓弦は頷いた。
頭領は、この季節そんなことをよく漏らす。
春日は宮野家の繁栄を支えるため暗躍することが仕事だ。決して綺麗なものばかりではない。そして仕事以上に、一族内での争いが絶えない。――こんな血なまぐさい場所の頂点に居ながら、頭領はおどろくほど穏やかで、風雅を好む人だった。
あまりに清廉な人柄が不思議で、一度聞いたことがある。
「頭領は、春日一族の仕事を嫌悪なさらないのですか?」
「せんよ」
頭領は短く笑った。未熟な迷いをいつまでも抱える若年者を、ほほえましく見つめていた。
「弓弦、悩んだからといって答えが出ると思うな」
「――、私はそんな、」
「どんなふうに生きたところで、人は人であることの業を捨てられん。――精一杯動け。そして、己のとった行動に満足せい」
頭領の言い分を、理解できないでもなかった。当時の弓弦は、すでに幼くなかったから。
けれども正直、頭領に落胆した。
そんなものなのか、と。
今にも泣き出しそうな秋空と、すでに泣き疲れた庭を眺めながら、そんな昔の会話を思い出していた。
玄関のほうで、声がした。
一人、また一人と人が尋ねてくる。今日は、静かな邸宅が、緊張で静まりかえる日である。
春日当主議会。
真家当主である母の代理として出席を任された弓弦だったが、真家である自分たちは必ずしも議会に必要と言うわけではない。
真家は権力を持たない。どの家とも対等に振舞う権利があり、様々な特権が許される代わりに、春日の行く末を決める会議で、決議権を持たない。
「そろそろ、皆が集まった頃か」
頭領が庭を掃く手を止めた。そうでしょうね、と弓弦は頷く。
「今日は、どの家が出席の予定ですか?」
「分家は呼んでおらん。紘家はまた欠席だろう。――本当は会議することもない。やれとうるさいのは良家や滋家だ」
「では、議会の開催要望はそのどちらかから?」
「いや、慶藤(よしふじ)からだ」
弓弦は眉をひそめた。それをなだめるかのように頭領が続ける。
「人間、てんでばらばらに見えて、遺伝子は一パーセントだって変わらないといったのは弓弦だろう」
「――それが、なにか?」
「人間、出来ることは限られておる。どんなに賢い人間もおろかな人間も、差異はごくわずか。歴史が繰り返すと言うのは、そういうことだろう。事象のゆれは、ごくわずか、ということさ。――春日は成立から短いが、似たような事を繰り返してきた。慶藤は雑多な例の一つに過ぎぬ」
「仰る意味が、わかりかねます」
「おまえは大げさに悩みすぎだ。慶藤に、天変地異が起こせるとでも思っておるかのように見える」
その時、廊下に足音が響いた。視線を向ければ、十家当主と、彼の後ろを三家の透(とおる)がやって来た。
「やぁ、蓮(れん)。人は揃うたか」
頭領は箒を壁に立てかけ、十家当主――蓮へと歩み寄った。フジ同様、「蓮」は一族内で使われている通称で、本名ではない。
「いえ、まだですよ。――しかしそろそろお上がりください。家臣より低い位置に居たのでは、示しがつきませんから」
「なぁに、もとは皆同じ草の者。ほとんどが、主とじかに口をきくことさえ出来ぬ身分だった人間の集まりではないか」
からからと頭領は笑う。ここでなおも諌めるのが普通なのだが、蓮はその例に当てはまらない。
「ま、それもそうですね」
蓮は肩をすくめて、あっさり引き下がった。――十家は封建の時代、身分のきわめて低い一族だったと聞いたことがある。
蓮は飄々とした印象で、歳は四十半ばだと言う。息子のフジと違って男性的で、体格もどちらかと言えばがっちりしている。十家の奥方とはほとんど会ったことのことない弓弦だが、フジが母親似であろうことは予想できた。
頭領は視線を蓮の後ろの透へと向けた。
「今週は、稽古に来るのか?」
透はすっと頭を下げた。
「はい!ぜひとも、稽古をつけていただきたく思います!」
「そのためには、今日の議会で罰を受けぬように。――おまえは道理のわからぬ幼子ではなかろう。上手く立ち振る舞いなさい」
一瞬、透は面食らったような表情になり、そして元気な笑顔が抜け落ちた。
「――、はい」
もう一度、彼女は頭を下げた。
蓮がその様子に苦笑する。
「頭領、お上がりください。会議前にお話があります」
「わかった、わかった」
頭領は草履を脱いで、直接廊下へと上がった。
去り際に蓮は、弓弦へと視線を寄越し、言う。
「透ちゃんを頼む。部屋に案内しておいて」
「――承知」
頭を下げて頭領と蓮を見送り、弓弦も廊下へと上がった。
三家の透は戸惑った様子で弓弦を見上げた。
「弓弦さん。今日、私が呼ばれた理由って知ってる?」
「はっきりとは聞いてないけど、見当はついてるよ」
「私もなんとなくわかってるけど。わかってるんだけど釈然としないの」
「まぁ馬鹿正直に議会にそう言っても構わないけど、それは上手い立ち振る舞いとは言わないよ」
「そうなんだけど、いやだなー。すっごいイヤ」
透は大きく溜息をついた。それが年齢に不相応な気がして、少しおかしく思う。
「割り切れば?――ここはそういうところなんだよ」
頭領と似たようなことを言っている――と思いながらも、弓弦はこれ以外に慰めの言葉を思いつかなかった。
透は乾いた笑い声を上げる。
「うちのお父さんもね、世の中ってどこもこういうものなんだって説教してきたわ。――馬鹿みたい。春日にどっぷりつかって育ったあの人に、普通の世間の常識がわかってたまるかっ、て」
「本質は間違ってないと思うよ」
「間違いだらけ。途中の計算が違うのに、偶然答えが合うのと同じ事よ。――ばかみたい。私はこっちの人間じゃないのに、こっちの常識押し付けてきちゃって」
俯く少女に、これ以上かける言葉を持っていなかった。
「部屋はこっちだよ。召喚された間者は、別室で呼ばれるまで待つことになる」
「知ってる。――これで呼ばれたの、三度目。たぶん今回も同じ理由」
「告発者も全部同じ?」
「ううん。初めはニノ春日で、次が良家」
たった二年で三度呼ばれるとは、記録的だ。普通はミスや違反をしても、議会に呼ばれることはない。
春日一族に巻き込まれてしまった少女に同情しないでもないが、割り切って器用に立ち振る舞えば良いのに、と思ってしまう。
だが、人の事を言えるほど、弓弦だって理性的な行動はしていない。
会議のある間から、一部屋隔てた場所が、待機の部屋となる。ふすまを開けると、思いがけず人がいた。
春家の奥方、ちか江(ちかえ)である。
「あら、ちょうどよかった。お茶菓子を持ってきたところですよ」
柔和に笑う、昔美人を彷彿とさせる上品な老婆の登場に、透は素直に喜んだ。
「チカさま!」
「透ちゃん、また呼ばれちゃったのねぇ」
「そうなんですよ」
「――まったく女の子をいじめてなにが当主議会ですか。頭領もほんとに情けないわねぇ」
「チカさまだけが味方ですよ、ほんとに」
時に何かを飲み込むように間を置きながら、透は気丈に振舞っていた。それを見つめる弓弦に気づいたのか、ちか江は笑顔を向けてきた。
「弓弦くん、透ちゃんを送ってきてくれてありがとう。あなたもそろそろ議会へ行った方が良いでしょう」
「――ええ、そうですね」
何も出来ない自分に嫌悪する。
いっそ助けを欲する人間に、気づくことがなければ楽なのに。